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尊王攘夷

日本は開国したが、不平等な条約を受け入れる。こうした混乱の中、広まったのが尊王攘夷という考えだった。攘夷が難しいことを薩摩・長州藩がさとり倒幕へと向かっていく。

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ねらい

尊皇攘夷という考え方がわかる。薩摩藩や長州藩を中心に、江戸幕府(えどばくふ)を倒して新しい政治をはじめようとする「倒幕運動」が起こったことがわかる。

内容

1858年、日本は不平等な条約を受け入れることになりました。この条約のもと貿易がはじまると、物の値段が上がり、生活に苦しむ人が暴動を起こしました。幕府に対する人びとの不満は高まっていきました。広まっていったのが「尊王攘夷」という考え方です。「尊王」と、「攘夷」が結びついたものです。「尊王攘夷」をかかげる人びとは、幕府と激しく衝突をくり返していました。「尊王攘夷」が盛んだった長州藩では、外国船を攻撃する事件が起こりました。仕返しを受けてまちは焼きつくされ、砲台も占拠されます。外国の力を知った長州藩は「攘夷は不可能だ」と考えるようになります。薩摩藩もイギリスと戦い、攘夷が難しいことを悟っていました。「攘夷」が難しいと考える薩摩藩と長州藩が手を組みました。「薩長同盟」です。「尊王攘夷」という考え方は「倒幕」、つまり「幕府を倒し朝廷中心の新しい体制をつくろう」とする動きへとかわっていきました。