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自由民権運動の弾圧

自由民権運動は士族だけでなく、農民や商人の間に広がり、しだいにはげしさを増す。政府は弾圧を加える。政府は、1881年(明治14年)、国会を開くことを約束した。

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ねらい

国民の代表である議会を中心にした国づくりを主張した自由民権運動によって、政府が国会を開くことを約束したことがわかる。

内容

板垣退助(いたがきたいすけ)がはじめた「自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)」は士族だけではなく、農民や商人のあいだにも広がり、しだいにはげしさを増していきました。「国民の代表である議会が中心になった国づくり」を主張していた板垣に対して、伊藤博文(いとうひろぶみ)たち政府は「政府中心の国づくり」を進めようとしていました。政府は、高まりを見せる自由民権運動に対して弾圧(だんあつ)を加えていきました。この絵では、演説会を止めに入った警官(けいかん)に対して、民衆(みんしゅう)がはげしくこうぎしています。しかし、自由民権運動の火は消えることなく、全国へと広がっていきました。この勢いの中で1881年、明治14年ついに伊藤たち政府は、10年後に国会を開くことを約束したのです。