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秀吉と名護屋城/めざせ!佐賀博士2

天下を統一した豊臣秀吉は、佐賀県唐津市に巨大な名護屋城をつくり、ここに全国の大名を集めた。その目的は朝鮮へ攻め入ることだった。

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ねらい

唐津市に残る名護屋城跡や関連する地名から、この場所が歴史上の大きな出来事の舞台となったことを学ぶ。

内容

唐津市鎮西町。ここに「伊達政宗陣跡交差点」という場所があります。東北地方の有名な戦国武将である伊達政宗の名前の交差点が、どうして佐賀県にあるのでしょうか。それは豊臣秀吉が、彼を佐賀に呼び寄せたからです。秀吉は天下を統一すると、唐津市に名護屋城という巨大な城を築きました。当時、大坂城に次いで2番目に大きな城でした。城の周りには、秀吉の命令で全国の大名達が集められました。徳川家康、前田利家、上杉景勝など。しかし、どうして秀吉は巨大な城をつくり、大名達を佐賀に集めたのでしょうか。それは、朝鮮半島に攻め入るためだったのです。こうして文禄・慶長の役がおこり、秀吉は15万もの大軍を朝鮮に送りました。秀吉の死により日本軍は撤退しますが、両国に大きな傷跡を残しました。この戦いの結果、白くて堅い焼き物、磁器を作る技術が日本に伝わりました。