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平城京と長安

1400年前、日本は中国のすぐれた文化や政治のしくみを学ぶため遣唐使という使いを出した。710年、当時の唐の都・長安にならい、奈良につくられた都が平城京である。

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遣隋使や遣唐使が、中国の優れた文化や政治のしくみを学び、奈良の都に平城京をつくったことがわかる。

内容

今から約1400年前。日本は国として正式に中国に使いを送りはじめました。当時の中国は、「隋」。使いは「遣隋使」です。旅は、船で海をこえる命がけの航海でした。なぜそうまでして中国を目指したのでしょうか?目的は、日本にはない、すぐれた文化や政治のしくみを学ぶことでした。中国が隋から唐にかわると、使いは「遣唐使」とよばれました。唐の都・長安についた遣唐使は目を見張りました。巨大な都市で、南北には広い通りがのびています。こんな都を日本にもつくりたい。710年、今の奈良県につくられた都が「平城京」です。長安と同じように、まっすぐな道が続きます。この通りは長安の半分の広さですが道幅は75mもありました。こちらは通りの南の端にあった門。長安にも同じ場所に門がありました。ふたつを比べると、通路の数は同じく5つ。一本の通路の幅は、どちらも約5mでした。日本は国の政治の中心である都を唐にならい建設したのです。