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関税自主権の回復

小林寿太郎は、不平等条約の一つ、関税自主権の改正に取り組んだ。条約締結から50年余り、ようやく自主権を回復することに成功した。

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ねらい

日米友好修好条約によって受けていた不平等条約の改正までを、小林寿太郎を軸に見つめる。

内容

関税自主権の回復にいどんだのは小村寿太郎です。小村は輸入品に自由に税をかけられないという不平等条約の改正に取り組みました。1904年、日露戦争が勃発します。1年半におよぶ戦いの末、アメリカのポーツマスで日本とロシアの講和会議が開かれました。外務大臣の小村が、日本代表として出席しました。ロシアから賠償金は取れませんでしたが、ねばり強く数々の条件を引き出しました。その頑固さと冷静な交渉ぶりは、仲介役を務めたアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも舌を巻くほどだったといいます。日露戦争の結果、アメリカは日本の力をみとめるようになっていました。小村はそれを追い風に、条約改正交渉に乗り出します。1911年、ついに、アメリカなどの国々から関税自主権の回復に成功したのです。幕末から50年あまりの間、日本を苦しめた不平等条約が、陸奥と小村たちの活躍により、改正された瞬間でした。