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生麦事件と薩英戦争

薩摩藩とイギリスの紛争が発生しました。

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ねらい

薩摩とイギリスの紛争によって、江戸幕府が最終的に滅亡するきっかけが生まれた事を考える。

内容

1862年8月。薩摩藩主の父・島津久光(ひさみつ)は、江戸から京都に向かっていました。一行が、現在の横浜市鶴見区生麦(なまむぎ)付近に差し掛かったとき、馬に乗った4人のイギリス人が、行列の前を横切りました。これに腹を立てた薩摩藩士が、イギリス人1人を殺害、2人を負傷させました。「生麦事件」です。イギリスは、薩摩藩に対して関係者の処罰と賠償金の支払いを要求しますが、薩摩藩はこれを拒否しました。翌1863年7月、生麦事件の報復のため、イギリス軍艦が鹿児島湾にやってきました。薩摩藩は果敢に戦いましたが、イギリス軍の砲火を浴びて市街地を焼かれ、大きな被害を出しました。この戦いで欧米列強の力を知った薩摩藩は、方針を転換して、江戸幕府を倒す運動を進めていきます。