お困りの際には、「困ったときは…」をご覧ください。

野麦峠

繊維工業では女工たちが、劣悪な条件で酷使されていました。

関連キーワード:

ねらい

工業の発達の陰で、劣悪な労働条件の中で働いた女工のいた事を知る。

内容

野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市の県境にある標高1672メートルの峠です。明治時代の初め、飛騨の若い娘たちが、信州の繊維工場で働くために、この峠を越えました。明治初期、日本の輸出の主力は、生糸や綿などの繊維産業でした。「富国強兵」「殖産興業」を推し進めた政府は、官営工場を民間に払い下げるなど、産業の育成を図ります。そして、各地に建てられた製糸工場、紡績工場の働き手となったのは、貧しい農家の娘など10代の少女だったのです。当時の歌に「男軍人、女は工女、糸を引くのも国のため」という歌詞があります。繊維産業で外貨を獲得し、そのお金で、日本は戦艦などを購入したのです。女工達は、劣悪な条件の下、1日十数時間に及ぶ過酷な労働を強いられました。そのために身体を壊したり、命を落とすこともあったといいます。野麦峠を越えて働きに出た娘たちへの聞き書きを基に、山本茂実(しげみ)は「あゝ野麦峠」を著しました。