平清盛~武士の世の中へ~

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scene 01 平治の乱で大勝利…

平治の乱(へいじのらん)で、ライバルの源氏に勝利した平氏。意地と意地がぶつかりあったすばらしい戦でした。平清盛は、平治の乱での活躍(かつやく)がみとめられて、上級貴族の仲間入りをします。なのに、負けて伊豆に流された源頼朝のほうに同情が集まるなど、清盛がやっつけた源氏のほうが、人気があるようです。でも、清盛もがんばりました。まずは、どうやって清盛が力をのばしてきたかを見てみましょう。

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scene 02 武士が力をつけていった時代

平清盛は、武士の世を切り開いた、時代の革命児(かくめいじ)です。清盛が生きたのは、今から850年ほど前の平安時代。土地を切り開き、農業などをして暮らす人々のなかには、領地を守るために武芸にはげむ者がいました。こうした人々を「武士」とよびます。この時代、政治の中心を担っていたのは天皇や貴族でした。武士の地位は低く、便利なボディガードとしてやとわれていました。争いのとき、貴族にとっては武士の力がたよりでした。やがて、武力を増した武士は、貴族をしのぐ立場になっていきます。

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scene 03 武士の頂点に

清盛は、当時横行していた海賊(かいぞく)の取りしまりを朝廷(ちょうてい)から命じられます。そこで大手柄(てがら)をあげ、瀬戸内海を支配する権利をあたえられると、兵力を西へと拡大させていきました。そんな清盛の最大のライバルが、源義朝です。二人はそれぞれ武士の一族、平氏と源氏を率いるリーダーでした。1159年、貴族の権力争いをきっかけに義朝と清盛が激しく衝突(しょうとつ)。天皇を味方につけた清盛が大勝利を収めます。「平治の乱」です。義朝は殺され、息子頼朝は遠く伊豆へ流されました。清盛はついに武士の頂点に立ったのです。

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scene 04 ドキリ★平治の乱に勝ち、武士と貴族の頂点に

清盛は活躍(かつやく)をみとめられ、武士でありながら上級貴族にもなります。さらには、平安時代最高の役職である「太政大臣(だいじょうだいじん)」になり、政治の実権をにぎりました。頂点に立った清盛は、一族を重要な役職につけました。平氏一族が太陽のようにかがやく時代が幕を開けます。

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scene 05 中国との貿易に乗り出す

出家した清盛は、すぐれた実業家としての才能も発揮します。平氏の基盤(きばん)を支える収入を得るため、あることに乗り出すのです。当時、「宋(そう)」とよばれた中国との貿易です。清盛は、今の神戸である福原(ふくはら)の港を貿易の拠点(きょてん)にしようと考えます。しかしそこは、宋の船が安心してとまれる場所ではありませんでした。強い風や波の影響(えいきょう)で、荷物の積み下ろしが困難だったのです。清盛はあきらめません。「ならば、港をつくりかえよう」と決心します。

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scene 06 ドキリ★港を改修し、中国との貿易を活発に

大規模な工事が始まりました。けずった山で海をうめ立て、風や波から船を守る人工の島をつくったのです。こうして、中国の船が安心してとまれる大きな港になり、貿易は活発になりました。日本からは、砂金や木材、火薬の原料となる硫黄(いおう)などを輸出し、中国からは陶磁器(とうじき)や織物などを輸入しました。特に「宋銭(そうせん)」は、物々交換(ぶつぶつこうかん)が主だった日本に貨幣(かへい)経済をもたらしました。清盛は、港を改修して中国との貿易を活発にし、大きな経済効果を生んだのです。

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scene 07 平氏の時代の終わり

富を持ち、政治をほしいままにする平氏。その姿をほかの武士たちは苦々しく思っていました。「平氏は武士のためではなく、平氏一族のために政治を行っている」…。1180年、事態は大きく動きます。かつて、平治の乱で伊豆へ追いやった源頼朝が、打倒(だとう)平氏をかかげ、立ち上がったのです。「あのとき、頼朝を殺しておけばよかった…」。清盛は後悔(こうかい)します。そして、64歳(さい)で熱病にかかりなくなります。清盛の死から4年後、壇ノ浦(だんのうら)の戦いで宿敵源氏に敗れ、平氏の時代は終わりを告げました。

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scene 08 今に受けつがれる功績

現在の神戸港。かつて清盛が、貿易のために大きくしたあの港です。多くの外国船が行き交う、日本有数の海の玄関(げんかん)に成長しました。武士として、貴族として、すぐれた実業家として、清盛の功績は今に受けつがれています。

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scene 09 年号ごろあわせ

清盛が平治の乱で勝利した1159年は、こうやって覚えましょう。「平氏が勝って、いい号泣(1159)」。