北条政子~ご恩と奉公を受け継ぐ~

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scene 01 鎌倉幕府の土台を守った北条政子

北条政子は、鎌倉幕府を築いた源頼朝の妻です。頼朝亡きあと、政子たち北条一族で幕府を守りました。――時は平氏の全盛期。平清盛から京都を追われ、伊豆(いず)へと流された頼朝。そんな頼朝と恋(こい)に落ちたのが、政子。武士の世をつくろうとする頼朝を全力で支え、愛したのです。政子の目標は、頼朝がつくった鎌倉幕府の土台を守り、支えることでした。

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scene 02 頼朝と出会って

平安時代末期、武士の二大勢力、平氏と源氏がぶつかり、平氏が勝利します。敗れた源氏の頼朝は都を追われ、遠くはなれた伊豆へと流されました。頼朝は再起を胸に秘め、伊豆で17年の歳月(さいげつ)を過ごしていました。そんな頼朝のもとへと走る一人の女性。伊豆の武士、北条時政の長女、政子です。頼朝と愛し合うようになり、父親の反対をおしきって結婚(けっこん)します。その3年後、頼朝は再び戦いをいどみます。そして弟の義経たちとともに平氏をたおし、政権をつかみ取りました。鎌倉に幕府をつくり、武士による世を切り開いたのです。

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scene 03 頼朝の死後訪れた危機

しかし1199年、頼朝は53歳(さい)で亡くなります。悲しみにくれ、髪(かみ)を切り、尼(あま)となって冥福(めいふく)をいのる政子をさらなる悲劇がおそいます。息子たちが次々と殺され、源氏の将軍が三代でとだえてしまったのです。すると、京都の朝廷(ちょうてい)が幕府をたおそうと動き出します。朝廷は幕府に従っていた御家人(ごけにん)たちに協力を求めました。朝廷に味方するか、幕府を守るか。御家人たちは動揺(どうよう)します。鎌倉幕府の大きな危機でした。

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scene 04 「ご恩」と「奉公」

そのとき立ち上がったのが、“尼(あま)将軍”とよばれていた政子でした。政子は、頼朝が築いた「ご恩と奉公(ほうこう)」の大切さを説きます。それは、頼朝政権を支えた仕組みでした。頼朝は戦で活躍(かつやく)した御家人(ごけにん)にほうびとして土地をあたえました。これが「ご恩」です。これに対し御家人は、戦のとき“いざ鎌倉”とかけつけ戦いました。これが「奉公」です。『頼朝さまのおかげであなたたち武士の地位は上がり、土地も増えました。そのご恩は山よりも高く海よりも深い。今こそそのご恩に応えるときです』。御家人たちは深く感動し、再び団結したのです。

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scene 05 ドキリ★「ご恩と奉公」で御家人を団結させた

1221年、19万の幕府軍は京都にせめのぼり、朝廷(ちょうてい)を破りました。「承久(じょうきゅう)の乱」です。政子の毅然(きぜん)としたよびかけによって、鎌倉幕府の土台は守られたのです。

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scene 06 武士の法律「御成敗式目」

源氏の将軍がとだえたあとは、政子の北条一族が「執権(しっけん)」として政治を行いました。そして政子の死後、三代目の執権・泰時(やすとき)が「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」を定めます。「成敗」は、“裁判”、「式目」は“決まり”という意味。つまり、武士の裁判の基準となる法律です。『20年土地を支配していた場合、その土地の権利を認める』、『子どものいない女性は、養子に土地を相続させてもよい』など、領地をめぐる問題が起きたときにそれを解決するための決まりが定められていました。

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scene 07 ドキリ★御成敗式目などで武士の世の土台が固まった

武士の社会のための法律が独自につくられたことで、鎌倉幕府の支配力はいっそう強くなりました。この法律は、その後も長く武士の政治のよりどころとなりました。頼朝が開き、政子たちが固めた武士の世は、およそ700年続くことになります。

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scene 08 年号ごろあわせ

1221年、北条政子が御家人(ごけにん)を説得し、朝廷(ちょうてい)に勝った承久の乱は、こう覚えましょう。「いいふうふの戦(1221)、承久の乱」。