武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~

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scene 01 塩が無くて困る信玄に手を差しのべた謙信

武田信玄の生きた戦国時代は、戦いにつぐ戦いの時代です。そのころ信玄は、となりの国の北条氏たちからのいやがらせで、塩を売る商人が信玄の国に入ってこられないようじゃまされていました。「塩止め」です。そんなとき、敵ながらも塩を止めることをしなかったのが、信玄のライバル、上杉謙信だったといいます。戦国大名にとって塩は大切なもの。塩は、兵たちの疲労(ひろう)回復に、そして食料の保存に欠かせないものだったのです。

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scene 02 応仁の乱がきっかけとなった戦国時代

武田信玄と上杉謙信は、戦国時代に活躍(かつやく)した戦国大名です。戦国時代は、室町幕府の将軍・足利義政(あしかが・よしまさ)のあとつぎをめぐって全国の大名が争った「応仁(おうにん)の乱」に始まります。京の都は焼きつくされ、将軍は力を失います。一方、地方では、領国を独自に支配する「戦国大名」が登場。たがいに勢力争いをくりひろげます。そのなかに、甲斐(かい)の武田氏、越後(えちご)の上杉氏がいました。

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scene 03 “甲斐の虎”武田信玄

応仁の乱からおよそ50年後、武田信玄が生まれます。21歳(さい)で武田家の当主になると、家臣の能力を正当に評価することで国内をまとめ、戦国最強といわれる軍隊を育てました。甲斐や信濃(しなの)一帯を次々と攻略(こうりゃく)していく信玄。その圧倒(あっとう)的な強さから、“甲斐の虎(とら)”とよばれました。

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scene 04 “越後の龍”上杉謙信

そんな信玄のライバルが、越後の上杉謙信です。幼いころから寺で修行し、19歳(さい)で当主になります。電光石火の戦術で野戦(やせん)に勝ち、生涯(しょうがい)ほぼ負け知らず。織田信長も、謙信の奇襲攻撃(きしゅうこうげき)に敗れています。その神がかった強さから、謙信は、“越後の龍(りゅう)”とたたえられました。

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scene 05 ドキリ★信玄と謙信は戦国大名の象徴的存在だった

信玄と謙信がはげしくぶつかった戦があります。今の長野県、北信濃の支配をめぐって起こった「川中島の戦い」です。5回にわたる戦で特に熾烈(しれつ)をきわめたのが第4回。信玄は背後から謙信の軍を追い立ててはさみうちにしようと考えます。しかしそれを見ぬいた謙信。霧(きり)にまぎれて信玄の軍にしのびより、奇襲攻撃(きしゅうこうげき)をかけます。大乱戦になったそのとき、一人の武将が信玄の前に飛びこみます。謙信でした。ふりおろしたその刀を、信玄は軍配で受け止めます。この勝負、引き分けに終わりました。この一騎(いっき)打ちは伝説ともいわれています。

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scene 06 名将であり名君でもあった

戦いの名人だった信玄と謙信。領国を治めるうでも確かでした。信玄の有名な政策の一つが、今ものこる「信玄堤(づつみ)」です。川に堤防(ていぼう)をつくって洪水(こうずい)を防ぎ、年貢(ねんぐ)の収入を安定させたのです。金山の開発にも力をいれ、多くの金を手に入れました。一方、謙信は、「青苧(あおそ)」という植物の栽培(さいばい)を奨励(しょうれい)しました。青苧の糸で織った布製品を全国に売って富を得たのです。

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scene 07 ドキリ★戦国大名は産業を育て領国を強くした

このように戦国大名たちは、戦だけでなく、領国の経営に力を入れました。城を築き、家臣や商人たちをよび寄せて城下町をつくったほか、「分国法(ぶんこくほう)」という領国独自の決まりを定め、武士や領民をとりしまりました。産業を育て、城下町をつくるなどして国を強くした戦国大名の時代は、およそ140年続きました。

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scene 08 年号ごろあわせ

信玄と謙信がはげしく戦ったあの戦は1561年。こう覚えましょう。「人混む戦(1561)、第4回・川中島の戦い」。