近代国家の成立~明治政府~

印刷

どうがを見る

オープニング

オープニング

(オープニングテーマ)

オープニング

scene 01 明治政府の成立

明治時代になり、天皇が京都から東京に移ってきたときの様子を描いた絵『東京府京橋之図』。これ以降、東京が日本の首都となりました。明治政府は、西洋の国々に倣った近代国家をめざします。そして、政治のしくみ、社会のしくみなど、これまでのあり方を一変させる改革を次々と進めていきます。今日は、明治政府が行った改革と、それによる社会の変化を見ていきます。

オープニング

scene 02 新政府と岩倉使節団

1867年、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜は政権を朝廷に返し、天皇中心の政治が始まりました。新しい政府は、翌1868年、「五箇条の誓文(ごかじょうのせいもん)」を公布してこれからの政治の方針を示し、そして元号を「明治」と改めます。誕生した明治政府は、西洋の国々に学ぼうと、アメリカ、ヨーロッパ諸国に使節を送りました。岩倉具視を中心とした100人を超える使節団です。岩倉使節団は、1871(明治4)年11月に日本を出発。まず、アメリカを訪問し、その後イギリスに向かいます。

オープニング

scene 03 西洋の文明や文化に学ぶ

イギリスに滞在したあと、使節団はフランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスを訪問しました。この訪問中に、一度に大量の製品を生み出す工場など、西洋の進んだ技術や政治のしくみ、文化を知ることになります。ヨーロッパの国々を回ったあと、完成したばかりのスエズ運河を通り、インド洋を経由して日本に帰りました。2年に及ぶ旅で、西洋の文明や文化を目の当たりにした使節団。その後の日本の発展に大きな影響を与えました。

オープニング

scene 04 新政府の改革「廃藩置県」

明治政府がめざしたのは、政府が全国を直接支配する「中央集権体制」の国家でした。そのための重要な改革が「廃藩置県」です。大名が支配してきた全国の各地の「藩」を廃止。代わりに「県」や「府」を置き、政府が任命した「県令」や「府知事」を派遣しました。また、それまでの幕府の役職を廃止し、「太政官(だじょうかん)」を置く新たな組織が作られました。その重要な役職には、西郷隆盛など、新政府の成立に功績があった薩摩藩や長州藩出身の者が就きました。そのためのちに、「藩閥(はんばつ)政治」と呼ばれます。

オープニング

scene 05 新政府の改革「四民平等」

江戸時代の身分制度も廃止されました。「四民(しみん)平等」です。旧藩主や、朝廷に仕える公家は「華族(かぞく)」、武士を「士族」、百姓や町民は「平民」となりました。そして苗字が許され、住居や職業など、それまでの身分による制限は改められました。こうした、幕末から明治にかけて進められた一連の大改革が、「明治維新」です。

オープニング

scene 06 自由民権運動の始まり

土佐藩出身の板垣退助は、1874(明治7)年、政府に国会の開設を求める「民撰議院設立建白書」を提出しました。薩長を中心とした「藩閥政治」をやめ、国民が政治に参加することを求めたのです。「自由民権運動」の始まりです。板垣は、反乱や武力ではなく、演説会や新聞を使って運動しました。「自由」とは、「人は幸福を求める権利を誰からも奪われないこと」。「民権」は、「国民が政治に参加する権利」のことです。

オープニング

scene 07 自由民権運動の広がりと弾圧

このころ、士族はかつての特権を政府に奪われ、不満を募らせていました。自由民権運動は、こうした士族の不満を背景に広まっていったのです。運動はやがて士族だけでなく、農民や商人のあいだにも広がり、次第に激しさを増していきました。それに対して政府は、弾圧を加えていきます。演説会を止めに入った警官に対して、民衆が激しく抗議している絵がのこされています。運動が高まるなか、1881(明治14)年、伊藤博文を中心とした政府は、1890年に国会を開くことを約束しました。

オープニング

scene 08 五日市憲法草案

東京都あきる野市五日市(いつかいち)の農家の蔵から、憲法案を記した文書が発見されました。「五日市」という地名から、この憲法案は「五日市憲法草案」と呼ばれています。法律のもとに国民がすべて平等であることや、国民が政治に参加することなど、国民の権利について細かく書かれています。204か条にも及ぶこの憲法案を作ったのは、小学校の教師千葉卓三郎など、五日市の青年たちでした。日本を自分たちの手で作り上げようと、理想とする憲法案を作ったのです。

オープニング

scene 09 憲法の制定

1881(明治14)年、政府が国民に国会を開く約束をすると、伊藤博文は「憲法」をつくる準備を始めました。そして、憲法や議会について調査するため、ヨーロッパに向かいました。伊藤が注目したのは、ドイツの憲法です。国の君主である皇帝と、そのもとにある政府が大きな力を持っていたからです。ドイツで憲法を学んだ伊藤博文は、「ここで国家のしくみを見つけた」と、日本政府に報告しています。帰国した伊藤を中心にして、ドイツの憲法を参考に日本独自の憲法案が作られました。

オープニング

scene 10 大日本帝国憲法の発布

1889(明治22)年、国会や選挙について定めた初めての憲法は、天皇が国民に与える形で発布されました。「大日本帝国憲法」です。天皇が国を治める権限を持ち、政府が国民をまとめていくこと。さまざまな制約はあるものの、選挙によって選ばれた国民の代表が政治に参加することが初めて定められました。その憲法のもと、1890(明治23)年、第1回の国会が開かれました。こうして日本は、憲法と議会を備えた近代国家としての歩みを始めたのです。〔『大日本帝国憲法』:国立公文書館所蔵〕