東日本大震災 被災者に学ぶ 校長先生

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scene 01 校長先生の判断

scene 01 校長先生の判断

濱田龍臣(はまだ・たつおみ)さんが、宮城県南三陸町(みなみさんりくちょう)にやってきました。現在さら地になっているこの場所には、当時、小学校がありました。東日本大震災(しんさい)が起きたとき、学校にいた91人は、全員無事でした。その背景(はいけい)には、子どもたちを守る校長先生の判断があったのです。『学ぼうBOSAI 被災者(ひさいしゃ)に学ぶ』。今回は、東日本大震災で大津波(つなみ)におそわれた小学校で、子どもたちを守った校長先生にお話をうかがいます。

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scene 02 強いゆれ、そして津波警報

麻生川敦(あそかわ・あつし)さん。当時、南三陸町立戸倉(とぐら)小学校の校長先生でした。「地震のときはとても動けなかった。教頭先生が『机(つくえ)の下にかくれなさい』と放送することになっているのですが、ゆれが強くて、放送室まで歩けなくなってしまいました。地震がおさまるのを待つのが精いっぱいでした」(麻生川先生)。ほどなく、ラジオから津波警報(けいほう)が流れました。校長先生は、すぐに避難(ひなん)が必要だと感じました。

scene 01 校長先生の判断

scene 03 マニュアルで、避難場所を決定するのは校長先生

「向こうの高台ににげるか、少しでも早くにげるために校舎の屋上ににげるか。地震が起こったときどちらににげるかは、マニュアルで、わたしが決めることになっていたんです」。すぐににげられる屋上か、あるいは、歩いて10分かかるけれどもより高い場所にある高台か…。校長先生はどちらを選んだのでしょう。「高台ににげることを決めました」。

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scene 04 地元出身の先生たちの意見

校長先生が生徒たちを移動させたのは、学校から200mはなれた高台でした。なぜ高台を選んだのでしょう。「津波が来るまでの時間がすごく気になっていて、屋上のほうがいいのではと思っていました。しかし地元出身の先生たちは、小さいころから『津波のときは高台ににげる』と教わってきました。この地域では『津波のときには高台へ!』と昔から言い伝えられていました」。麻生川先生は地元の先生たちの意見を受け入れ、高台に移動することを決めたのです。すぐに生徒たちを高台に誘導(ゆうどう)。高台に着いて、学校にいた生徒91人全員の無事を確認(かくにん)しました。その次の瞬間(しゅんかん)…。

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scene 05 scene 05 とっさの判断、さらに上へ

「ものすごい音がしました。建物がこわれる音。本当にすごい音、バキバキという音を立てながら津波がどんどんこちらに来ました」。ふりかえると学校は津波に飲みこまれていました。そして、高台のすぐふもとまで津波がおしよせていたのです。校長先生は、ここも危険(きけん)だと判断します。「ハンドマイクで『上にのぼりなさい!』と指示して、こどもたちは上にあがっていきました」。校長先生は、生徒たちをさらに13メートル上にある神社へ避難(ひなん)させることに。まよっている時間はありません。神社にのぼるせまい階段(かいだん)を、生徒たち91人と近くの住民、あわせて150人の人たちがかけあがりました。

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scene 06 もしあの場にそのままいたら…

「みんなが上がってきて2分ぐらいで、津波がさっきまでいた高台をおそったんです」。間一髪(かんいっぱつ)でした。町は津波に飲みこまれました。神社のまわりも海に囲まれて、まるで孤島(ことう)のようになっていました。「あの場にそのままいたら、全員が流されて命がなかっただろうと思います」。マニュアルにとらわれず、現場の状況(じょうきょう)を見きわめた校長先生の判断で、学校にいた生徒全員の命が助かりました。ところが、さらなる困難(こんなん)が…。

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scene 07 さらなる困難、寒さと雪

「津波が来たあと、雪が降りはじめて寒くなってきました。そこで神社の中に入れないかと考えました」。避難(ひなん)した人は150人。しかし寒さをしのげる場所は一つだけ。全員入ることはできません。「このまま外の吹雪(ふぶき)の中に1年生をいさせるわけにはいかないということで、とにかく小さい子から中に入れたのですが、4年生までしか入ることができない。5年と6年生は外でひと晩(ばん)すごしてもらう決断をしました」。

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scene 08 不安の一夜

「その夜、気温は氷点下に冷えこみ、雪もふっていました。神社の中には低学年の生徒たちを入れ、5・6年生は外で夜を明かしました。その日、この場所ですごした二人に話を聞きました」(濱田さん)。当時、6年生だった熊谷(くまがい)さんと菅原(すがわら)さんです。「流されてきたみかんが配られて、半分ずつわけて食べたけど、不安なためにおなかがすいたことを全然感じなかった。これからどうしようということばかり考えていました」(熊谷さん)。「家族が心配で、とても不安でした。家が海の目の前にあるので、家族がどうなったか…」(菅原さん)。

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scene 09 卒業式のために練習していた歌

一週間後には卒業式の予定でしたが、学校は津波に飲まれました。恐怖(きょうふ)と寒さにふるえながら、6年生たちはあることを始めました。「卒業式ができないと思い、みんなと歌いたくて、歌いました」(菅原さん)。「♪いつのまにか 時は流れ もう今日は卒業の日…♪」。卒業式のために練習していた歌でした。その歌声は、不安だったみんなの心を一つにしました。「卒業式で別れるはずだったけど、もしかしたら、震災でばらばらになっちゃうかなと思いました」(熊谷さん)。麻生川先生も、「先生たちも、『がんばらなくちゃ』という気持ちと勇気をもらったと思います」と言います。

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scene 10 状況に応じた判断の大切さ

一夜が明け、みんなで安全な場所へ避難(ひなん)することができました。校長先生の判断によって、学校にいた91人の生徒たちは全員生きのびることができたのです。震災の日を、麻生川さんはこうふりかえります。「現場の状況(じょうきょう)をどのように判断するのか。現場の状況をふまえて、マニュアルが使える状況かどうかを判断しないといけない」。…「今回、校長先生のお話を聞いて、大勢の命を守るために判断することのむずかしさを感じました。そして、つらいときおたがいをはげましあった生徒たちの強い気持ち…。まわりの人たちを助け、支え合うことが大切なのだと思いました」(濱田さん)。