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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01「武士」の誕生
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平安時代の中ごろ。馬に乗り、弓矢を取って戦う人たち、「武士」が誕生します。貴族に支配されていた武士は、徐々に力をつけ、政治的発言力を強めていきました。今日は、武士が自らの政権を打ち立てていった、平安時代の終わりから鎌倉幕府の時代を見ていきます。

scene 02二大勢力、源氏と平氏
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律令(りつりょう)制が崩れていくなか、9世紀の末から10世紀にかけて台頭してきたのが、武士でした。地方に住み、広い土地を経営する豪族のなかには、自分の土地を守るために武装する者が現れます。一方、都では役人たちが、貴族の身のまわりの警護や都の警備にあたる武士となっていきました。武士たちは戦いに備えて家来を集め、次第に強力な武力を持つようになります。なかでも、天皇の子孫である源氏と平氏が率いる勢力が有力でした。

scene 03「平家にあらずんば、人にあらず」
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1159年、都で大きな争いが起こりました。「平治の乱」です。それを鎮めたのが、武士、平清盛でした。武士のトップに立った清盛は、天皇や貴族の信頼を得て出世を重ねていきます。そして、貴族の最高の地位「太政大臣(だいじょうだいじん)」にまで登りつめました。平氏の歴史をつづった『平家物語』には、当時66あった国のおよそ半分を平氏一門が支配した、と書かれています。さらに、清盛の娘が高倉天皇の皇子を産みます。のちの安徳(あんとく)天皇です。清盛はその地位を一層確かなものにしました。

scene 04平氏の滅亡
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しかし、平氏の政治を批判する勢力が次第に増えていきます。その中心の一人が、源頼朝です。東国(とうごく)の武士たちの支持を得た頼朝は、鎌倉を拠点にして急速に大きな勢力を持つようになりました。1181年。平清盛が病で亡くなります。一族の柱・清盛を失った平氏は、次第に源氏に追い詰められていきます。平氏最後の戦いの場は、今の関門海峡、壇ノ浦(だんのうら)でした。大きな力をふるった平清盛が死んでわずか4年後、平氏は滅亡しました。

scene 05武士による政治の始まり
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武士の頂点に立った源頼朝は、鎌倉に、武士たちが自ら政治を行う組織をつくりました。鎌倉幕府です。1192年には征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任ぜられ、名実ともに幕府は形を整えました。幕府には3つの役所がおかれました。侍所(さむらいどころ)は武士の取り締まりや軍事・警察などを担当。公文所(くもんじょ)、のちの政所(まんどころ)は幕府の財政や政務を、問注所(もんちゅうじょ)は裁判を担当しました。地方には国ごとに、軍事や警察の役割を果たす「守護」、土地の管理や年貢の取り立てなどを行う「地頭」が置かれました。

scene 06御恩と奉公
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将軍に仕える武士を御家人(ごけにん)といいます。将軍と御家人は、「御恩(ごおん)」と「奉公(ほうこう)」という関係で結ばれました。御恩とは、将軍が御家人に、先祖代々持っていた土地の所有を保証したり、新たに土地などを与えることです。奉公は、御家人が御恩に報いようと、将軍のために戦ったり、朝廷や幕府の警備をすることです。この御恩と奉公の結びつきの強さを伝える話がのこっています。

scene 07今こそ御恩に応えるとき
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頼朝が亡くなっておよそ20年後、鎌倉幕府と朝廷は争いになります。御家人は、幕府と朝廷、どちらにつくかで迷いました。このとき御家人を説得したのが、頼朝の妻、北条政子(ほうじょうまさこ)でした。「頼朝公のおかげでみなの地位も上がり、土地も増えました。その御恩は山よりも高く、海よりも深い。今こそ、その御恩に応えるときです」。政子の言葉を聞いた御家人は一丸となり、朝廷の軍を打ち破ったのです。

scene 08元の襲来
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1274年10月。中国大陸で大きな力をふるっていた元(げん)が、日本に攻めてきました。元は900隻もの大軍で九州の博多に押し寄せます。日本では見たこともない「てつはう」という爆弾などで、武士たちを苦しめました。幕府の執権となっていた北条時宗(ときむね)は、元の2度目の攻撃に備えて守りを固めました。その一つが、現在ものこっています。博多湾に面して造られた石の壁、「石塁(せきるい)」です。高さ2.5m、当時は長さが20kmもあり、海からの敵に備えました。

scene 09幕府に対する不満
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最初の攻撃から7年後、再び元が攻めてきました。しかしこのときも日本は、元の上陸を防ぐことができました。2度にわたる元の攻撃から日本を守った時宗。しかし、新たな土地を獲得したわけではなかったため、元と戦った御家人に「御恩」となる土地を十分に与えることができませんでした。御家人は幕府に不満を持つようになり、幕府の信頼は失われていきました。1333年、ついに北条氏は滅び、鎌倉幕府は幕を閉じることになります。

10min.ボックス  日本史
武士の台頭と鎌倉幕府
武士勢力が台頭し、平氏政権や鎌倉幕府が誕生。武士の政権が生まれた背景や元寇がどのような影響を与えたのかを考える。