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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01徳川家康が開いた江戸幕府
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徳川家康。およそ260年続く江戸幕府を開いた人物です。家康は、さまざまな制度を作り、大名を従わせます。家康から三代将軍家光の時代にかけて、幕府のしくみはつくられていき、その支配をゆるぎないものにしました。今日は、江戸幕府とそのしくみを見ていきます。

scene 02関ヶ原の戦い
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岐阜県関ヶ原町。西暦1600年、ここで、天下分け目の戦いが行われました。「関ヶ原の戦い」です。戦ったのは、豊臣秀吉の死後、天下をねらう東軍徳川家康。その兵およそ7万。対するは、豊臣政権を守ろうとする石田三成率いる西軍、およそ8万。全国の大名が真っ二つに割れた天下分け目の戦いでした。戦の前にすでに駆け引きは始まっていました。家康が東北の大名伊達政宗に出していた手紙には、「自分に味方すれば領地を与える」と書かれています。家康はあらかじめこうした手紙を150通以上も書いていました。

scene 03家康の大勝利
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1600年9月、両軍は激突しました。三成率いる西軍が戦いを優位に進めます。そのとき、異変が起こります。小高い山の上にいた1万5千を超える西軍の軍勢が突如裏切り、味方の軍に攻めかかったのです。形勢は一気に逆転しました。結果は、家康の大勝利。これをきっかけに、家康は最も力のある大名になります。関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年、「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」となり、江戸に幕府を開きました。

scene 04「国家安康 君臣豊楽」
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家康が江戸に幕府を開いたあとも、豊臣家は、依然、大坂を中心として力を持っていました。家康は、豊臣家を滅ぼす機会をねらっていました。そこで目をつけたのが、豊臣家と関係が深い方広寺という寺の鐘に刻まれた文字、「国家安康(こっかあんこう)」と「君臣豊楽(くんしんほうらく)」。「国が平和で、みんなが豊かに楽しむ」という意味です。家康はこれを、「自分の名前をわざわざ切り離しているので無礼である」と言いがかりをつけたのです。

scene 05大坂冬の陣・夏の陣
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これを口実に、1614年11月、家康は大坂城の豊臣家を攻めました。「大坂冬の陣」です。しかし大坂城は、周囲に大きな堀をめぐらせているため、なかなか攻めきれません。そこで家康は策略をめぐらし、堀を埋めるよう豊臣家に持ちかけました。そして、翌1615年5月、家康は再び大坂城を攻撃します。「大坂夏の陣」です。家康の作戦によって堀が埋められていた大坂城は、わずか3日で攻め落とされました。

scene 06幕藩体制(1)
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江戸幕府で将軍の直接の家臣を「旗本」と「御家人」といいます。彼らは江戸に住み、幕府の軍事や政治を分担しました。一方、全国各地の大名を支配するしくみも整えられました。大名とは、将軍から1万石以上の領地を与えられ、将軍と主従関係を結んだ有力な武士のことです。その数、全国でおよそ200。大名の領地とその領地を治めるしくみを「藩」といいます。幕府は大名を3つに分けました。徳川家の一族である「親藩」、代々徳川家に仕えてきた「譜代」、関ヶ原の戦いのあとに家臣となった「外様」です。

scene 07幕藩体制(2)
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幕府の政治のしくみも整えられました。将軍のもと、政治を行う最高責任者は「老中」。老中のもとで、「奉行」がそれぞれ仕事を分担しました。これらの役職には、旗本や譜代大名が選ばれました。幕府と藩によるこうしたしくみを「幕藩体制」といいます。

scene 08江戸時代の身分制度
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人々を職業により区別する制度も作られました。武士、町人、百姓です。武士は、社会を支配する身分で、苗字を名乗り、刀を持つことが許されていました。町人とは、職人や商人。百姓とは、農業や漁業、林業に携わる人々のことです。江戸時代の終わりごろの人口の割合をみると、総人口およそ3200万のうち、85%が百姓でした。また、百姓や町人とは別に、職業や住む場所を厳しく制限されるなど、差別を受けた身分が置かれました。

scene 09武家諸法度の制定
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全国の大名を江戸幕府に従わせるため、二代将軍秀忠は厳しい決まりを作りました。「武家諸法度」です。「大名は新しく城を造ってはいけない」、「許可なく結婚してはいけない」…。武家諸法度は、大名の行動を取りしまり、反乱を起こさないようにするための決まりでした。さらに、三代将軍家光は新たな決まりを加えました。「参勤交代」です。大名は1年おきに江戸と自分の領地を行き来することが決められました。従わないと、領地を没収されるなど厳しい罰を受けました。

scene 10参勤交代
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仙台藩(伊達家)の参勤交代の様子が描かれた絵がのこっています。大名はかごで移動します。この絵には、1577人もの人が描かれています。仙台から江戸までおよそ350km。7泊8日をかけたといわれています。江戸についた大名は、1年間江戸で暮らし、領地に帰るときは、自分の妻や子どもを人質として江戸に残さなければなりませんでした。江戸幕府は、こうした厳しい制度で大名を従え、長く続く江戸時代を築いていったのです。

10min.ボックス  日本史
幕藩体制の確立
関ヶ原の戦い、大坂の陣などを経て徳川氏による幕藩体制が確立した。どんな社会が作られたのだろうか。