チャプターあらすじを読む
scene 01月日は百代の過客にして…
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「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟(ふね)の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらへて老(お)いをむかふるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」――「月日というものは、永遠(えいえん)の時間を旅する旅人みたいなもので、やって来ては去っていく年月も、やはり旅人のようなものなのだ。舟の上で一生はたらく船頭(せんどう)さんも、馬をひいて年をとっていく馬方(うまかた)さんも、毎日の生活そのものが旅なわけで、旅を自分の家にしているようなものなのである」。

scene 02松尾芭蕉の紀行文
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この冒頭(ぼうとう)文で有名な『おくのほそ道』の作者が、松尾芭蕉(まつお・ばしょう)です。松尾芭蕉は江戸時代のはじめに、今の俳句(はいく)のもとである「俳諧(はいかい)」をよむことを仕事にしていました。「古池や蛙(かわず)飛(と)びこむ水の音」。芭蕉は、五・七・五、わずか十七音の中に、しみじみとした趣(おもむき)やかれた味わいをえがきました。言葉遊びが中心だった俳諧を、芸術性(げいじゅつせい)あふれる文学に高めたのです。『おくのほそ道』は、旅の体験(たいけん)を数々の名句でまとめた紀行(きこう)文です。

scene 03「夏草や兵共が夢の跡」
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1689年3月27日に江戸を出発した芭蕉と弟子の曽良(そら)は、日光(にっこう)、福島、仙台(せんだい)をへて、岩手県の平泉(ひらいずみ)へ向かいました。「三代の栄耀(ええう)一睡(いっすい)の中(うち)にして、大門(だいもん)の跡(あと)は一里(いちり)こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残(のこ)す。 夏草や兵(つはもの)共(ども)が夢(ゆめ)の跡」。

scene 04はかない栄光の跡
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「平安時代に頂点(ちょうてん)をきわめた藤原(ふじわら)氏の栄光(えいこう)も、ひとねむりする間の夢(ゆめ)のようにはかなく消えて、当時の表門(おもてもん)は4kmほども手前にその跡(あと)がのこるだけだ。秀衡の館の跡は田んぼになってしまい、かれのきずいた金鶏山という小山だけが昔のすがたをのこしている。一句(いっく)うかんだ。今見れば、ここは夏草がボウボウと生いしげっているだけだが、昔、武士(ぶし)たちが雄々(おお)しくもはかない栄光を夢見た戦場(せんじょう)の跡なのだ。しみじみ切なくて、悲しくなるなぁ。『夏草や兵共が夢の跡』」。

scene 05scene 05 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
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芭蕉と曽良は、5月27日、山形県にある立石寺(りゅうしゃくじ)をたずねました。「山形領(りゃう)に立石寺(りふしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、殊(こと)に静閑(せいかん)の地なり。 閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」。

scene 06静寂の中の蝉の声
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「山形県に立石寺(りゅうしゃくじ)、今の立石寺(りっしゃくじ)という山寺がある。慈覚大師というえらいお坊(ぼう)さんが作った寺で、それはそれはきよらかで、ものしずかなたたずまいだ。一句(いっく)うかんだ。夕ぐれの立石寺がある山は、物音一つせずしずまり返っている。その静寂(せいじゃく)の中で、蝉(せみ)の声だけが、岩にしみ通るように聞こえてくるのだ。あぁ、なんというしずけさだ…。『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』」。

scene 07旅へのあつい思い
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芭蕉は旅を愛(あい)した人でした。日本各地(かくち)をさまよい歩きながら、そこで見た風景(ふうけい)をもとに、数多くの名句(めいく)をのこしました。旅の様子をえがいた絵を見ると、小さな荷物だけで、お金もほとんど持っていません。『おくのほそ道』の旅に出発したのは46歳(さい)のときで、当時としてはかなりの高齢(こうれい)でした。芭蕉を“命がけの旅”にかりたてたのは、旅への熱い思いだったのです。

scene 08「五月雨をあつめて早し最上川」
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5月28日、最上川(もがみがわ)中流の大石田(おおいしだ)の船宿(ふなやど)に到着(とうちゃく)しました。「最上川(もがみがは)乗らんと、大石田といふところに日和(ひより)を待つ。 五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川」。

scene 09五月雨を集めた川の流れの力強さ
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「最上川を船に乗って下ろうと思い、大石田というところで、船旅に都合のよい晴天になるのを待っていた。一句(いっく)うかんだ。おりからの五月雨(さみだれ)の雨水を集めて、最上川は満々(まんまん)とみなぎり、すさまじいいきおいで流れ下っている。自然(しぜん)の力というのはすごいものだなぁ。『五月雨をあつめて早し最上川』」。

scene 10死を目前になお旅の夢
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日本海側(がわ)の新潟(にいがた)、金沢(かなざわ)などをへて、8月下旬(げじゅん)、芭蕉と曽良はついに旅の終点、岐阜(ぎふ)県の大垣(おおがき)に到着(とうちゃく)しました。このあと芭蕉は、5年をかけて清書(せいしょ)をし、『おくのほそ道』を完成(かんせい)させます。しかしこの直後、病にかかり、旅先の大阪でなくなりました。死を目前にしても、新たな旅を夢(ゆめ)見て、この句(く)をよんだといわれています。「旅に病んで夢は枯野(かれの)をかけめぐる」。

おはなしのくにクラシック
おくのほそ道(松尾芭蕉)
東北を旅した芭蕉の紀行文「おくのほそ道」から、名作と言われる俳句を、実際の風景と心象風景を織り交ぜながら紹介していく。