ホーム » 日本ニュース » 日本ニュース 第71号

日本ニュース

日本ニュース一覧へ戻る

タイトル 日本ニュース 第71号
公開日 1941年(昭和16年)10月14日 日本ニュースについて

「戦争証言アーカイブス」の動画ページ、一部コンテンツには、Adobe Flash Playerを使用しております。快適にお使いいただくためには、最新版のAdobe Flash Playerをインストールしてご利用ください。

Get ADOBE FLASH PLAYER※NHKサイトを離れます

また、推奨環境につきましては、FAQをご覧ください。

チャプター

[1] チャプター1 西貢米<沃土に恵まれた東亜南方資源>  01:38
[2] チャプター2 天然ゴム<沃土に恵まれた東亜南方資源>  01:10
[3] チャプター3 慰問人形に喜ぶ中支陸鷲勇士<戦線通信>  00:51
[4] チャプター4 南仏印機甲部隊演習<戦線通信>  00:54
[5] チャプター5 中支自動車野戦修理隊<戦線通信>  00:57
[6] チャプター6 敗敵を急追急降下地上掃射  01:20
[7] チャプター7 陸の荒鷲衡州爆撃  00:54
[8] チャプター8 新黄河渡河 鄭州進攻戦  01:43

再生テキスト

ABCD包囲陣のさなかにあって、断固、東亜共栄圏の確立に邁進(まいしん)する日本へ、今最も有力な協力者として、日一日と親善の度を加えつつある仏印。その仏印はまた、豊饒な米の産地。有名な西貢米の国でもあります。メコン川下流のデルタ地帯を中心に、約600万ヘクタールにおよぶ水田には、よし素朴な農法がとられていようとも5月米、10月米の二毛作もあって、6300万トンの生産が約束されています。この豊かな米は、米の町といわれるチョロン(ショロン)に運ばれ、そこで脱穀、精米されて、そのうちの一部ははるばる銘酒の国、日本へ運ばれて来ます。
チョロン(ショロン)の町はまた、華僑の町でもあります。華僑のおさえている精米工場は75もあり、大規模な近代的設備を整えて、およそその生産方法とは対蹠的(たいしょてき)な形を示し、十分考うるべきものをもっているのであります。

熱帯の、しかもごく限られた部分にのみ産出するというゴムは、最も貴重な資源のひとつでありましょう。ブラジルゴムが南洋各地への移植に成功してから、わずかに60年。仏領インドシナではここに見るホンキャンのゴム園を営む「テール・ルージュ」、すなわち赤土植林会社が、今ほとんど独占的に事業を行っています。仏印全土ではゴムに適した赤土を中心に、最大面積約13万ヘクタール、約7万トンのゴムが生産されます。
ゴムの液はかき回されて硫黄を加え、弾力が与えられた後、運搬に便利なように切られます。かくて今や日本を最大のお得意として、仏印経済の中枢をなす二大産物は、ウインチの音も高らかに日本への積み出しが急がれているのであります。

「おーい。みんな、集まれ!」。髭武者が大声で相好を崩しています。「なんだ、なんだ」と集まったのは、奥地爆撃で敵軍をすっかり弱らせている、陸の荒鷲たち。「こいつぁいい」「こりゃあ素敵だ」と大喜びの慰問品を囲んで、折から爆撃から帰って来た戦友も一緒になって、仲良くジャンケンで分配です。

これは南仏印の野に、厳然たる仏印防衛の陣をしく、我が機甲部隊の機動(音声切断)英雄であります。猛進また猛進、炎熱140度もものかは、轟々(ごうごう)たるうなりをたて、戦車、自動車の戦列は進撃する。いかなる敵も粉砕せんとする皇軍の意気はまさに天を衝くの概があります。

「その、機関蓋あけろ。修理急ぐぞ。あと3時間で仕上げ。」
「はい。頑張っております。」

中支最前線の自動車移動修理工場。敵弾雨飛の間をぬって、あらゆる輸送に使われる自動車の故障を手早く直すこの部隊は、1日に30台も修理します。

敵情の偵察。それは戦いに勝つために最も大切なことであります。この重大な任務に服して華やかでもなく、しかも常に敵の頭上や地上をすれすれに大胆な飛行をする直接協力偵察機隊こそは、地上部隊の感謝の的でありましょう。
ここに中支の空を縦横に飛び交いながら、地味で危険な仕事を遂行している部隊に田中部隊があります。敵地を写真に撮ったり、通信筒を投げ下ろしたり、友軍との無電連絡や地上部隊の誘導までも行います。
これは湖南殲滅(せんめつ)戦に呼応して、敗走する敵を急追。その頭上に壮烈な急降下、地上掃射を試みる勇士であります。

民国30年、総反攻の豪語もむなしく、厳然たる皇軍の一撃に、長沙を放擲(ほうてき)した敵軍は、雪崩れを打って重要拠点、衡州へ敗走しました。陸の荒鷲、北島部隊はクサカリ隊長を先頭に銀翼を連ねて衡州を急襲。巨弾の雨を降らせて敗走する敵を粉砕。徹底的に軍事施設を破壊しました。

支那事変史に輝かしい1ページを飾る、待望の河南侵攻作戦は、10月2日、濁水うずまく新黄河の敵前渡河をもって、火蓋(ひぶた)を切って落としました。旧黄河鉄橋付近から中牟(ちゅうぼう)まで、延々100キロに渡って濁流を泳いでの決死的渡河は栗須、小林、星野、小池の各精鋭部隊によって一挙に成功。
渡河地点の敵を蹴散らしながら、驚異的速度をもって進撃また進撃。敵将、衛立煌(えいりつこう)麾下(きか)の各軍団を直押し(ひたおし)に押しまくり、作戦開始以来、わずかに3日、10月4日、早くも敵の牙城、鄭州を陥れました。
これより先、有知部隊の精鋭はたちまちにして鄭州北方五里の重要拠点、栄澤を攻略。城頭(じょうとう)高く大日章旗を翻しました。

ページトップ