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津川雅彦 津川雅彦

津川雅彦俳優つがわまさひこ

1940年生まれ、京都府出身。56年、『狂った果実』で映画デビュー。以後、映画、テレビなどで活躍。近作は、映画『HIGH&LOW THE MOVIE』、ドラマ『アガサクリスティー そして誰もいなくなった』『やすらぎの郷』など。またマキノ雅彦として映画『寝ずの番』『次郎長三国志』『旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ』を監督。NHKでは『ナイフの行方』『戦艦武蔵』、大河ドラマ『葵 徳川三代』など。『大岡越前』シリーズは大岡忠相の父・忠高役で出演。

大河ドラマ 『葵 徳川三代』

大河ドラマ 『葵 徳川三代』

 もう15年前ですか。今や当たり前になりましたが、大河ドラマとしてはこれが初めてのハイビジョン制作。カメラはもちろん、メイクや照明など、各スタッフさんたちには大変な苦労があったかと思いますが、みなさんのプロフェッショナルな仕事のおかげで、我々は以前と何ら変わらず演技に集中することができました。思い出深いのは関ヶ原の合戦シーン。馬だけでも60頭。御殿場の草原を駆ける馬の足音も地鳴りのように聞こえるほど、リアリティのある壮大なロケでした。このときにスタッフが“家康馬”として用意してくれた白馬も、とてもすばらしい馬でね。本当にテレビドラマ史上に残る、見事な合戦シーンになったと思います。それだけのクオリティーだったからか、今でも歴史番組などであの映像をうまく再利用しているのを見かけます。扇を掲げているシルエットだけでも「“葵”の時の僕だな?」と、不思議と自分の出演シーンだけはわかるものです(笑)。

 『葵 徳川三代』の脚本はジェームス三木先生です。家康についてのト書きを読むと、「爪を噛むのが癖」と書いてある。この爪を噛(か)む、という仕草をどう解釈すればいいか――私も考えを巡らせました。家康といえば、「鳴くまで待とうホトトギス」の泰然自若の人であり、天下が転がり込んでくるまで辛抱強く待ち構えていた“たぬき親父”のイメージが強い。この作品より前に、大河ドラマ『独眼竜政宗』(1989年)で私が演じたのは、まさにそういう“静”の家康でした。ところが、爪を噛む癖というのは一般的にイライラしている短気な心情の表れですよね。ふと、家康は実は単なる辛抱強い男ではなかったのかもしれない、との考えがよぎりました。

 この爪を噛むという癖は、家康のそうした心の機微を表す癖として、芝居に使っていけたらと思いました。例えば、石田三成(江守徹)が使者をよこし、豊臣家への忠誠を「誓うや如何に」と問いかけてきたときなどには、爪を噛むだけではなく、ようやく噛み終わった爪を小姓の出した懐紙に「ぷっ」と吐き出す。この一連の行動で相手をじらし腹を見透かされないようにする、家康の策謀として演じました。これでこれまでにない、実は短気だがしかし老獪(ろうかい)な雰囲気の家康像を、浮かびあがらせることができました。

  • 『独眼竜政宗(1989年)』“静”の家康
  • 『葵 徳川三代』(2000年)爪を噛(か)む家康

 演じながら思ったのは、家康はむしろ「いらち(せっかち・イライラして気が短い)」な性格だったからこそ、“辛抱強く待ちながらも、抜群のタイミングで天下を取ること”に成功を収められたのではないかということでした。その家康の「いらち」が最も爆発したのが、関ヶ原の合戦でしょう。頼りにしていた息子の秀忠(西田敏行)は家康の真意が理解できず、真田攻めから帰って来ないし、小早川秀秋(鈴木一真)はいつまでも東軍への寝返りの動きを見せない。そんな小早川に催促する大砲を打ち込むなんて、まさに「いらち」のなせる業じゃないですか(笑)。その場面では私も歯ぎしりしながら鞭(むち)をくわえ、馬の鞍を拳骨で叩き、天下取りにかけた家康のむき出しの執念を表現しました。あらゆる策を講じ人事を尽くした家康でしたが、東軍としての勝利は、本当にギリギリのものでした。でも、天が家康に味方してくれたわけです。そうした強運を呼び込めたのも、短気な性格なのに辛抱強く待つことができたその努力が、天下人となりうる家康の器をつくったのでしょう。

 実は関ヶ原の少し前にも、家康には三成を簡単に成敗できるチャンスがあったんです。三成に反感を持つ武断派の加藤清正(苅谷俊介)、福島正則(蟹江敬三)らが、世に言う石田三成襲撃事件を起こしたときですが、単身家康に助けを求めにきた三成を快く逃がしてやるんですよね。秀忠が「なぜ助けたのですか?」と、父・家康に尋ねる場面があったのですが、ジェームス先生の台本の答えは「助けてやれば良いこともあるものさ」と云うものでした。私が自分なりに考えたのは、ここで三成を葬ってしまっては、逆に天下取りの時に手強い武断派の方を自分に刃向かわせることになり、三成以上にやっかいな敵を背負うことになってしまう。だから来たる天下分け目の戦の際こそ、三成を敵にしておかなければならない。そうすれば、三成を嫌う武闘派たちを逆に味方につけることができるとね。つまり、三成は家康にとって“大事な敵”だったのですね。そこで私は、「敵の敵は味方よ」という秀忠への答えを、ジェームス先生にお願いして付け加えさせていただきました。先生からは「結構です」とお返事を頂けましたが、今回の家康の人物造形は決して間違っていなかったのだな、とお墨付きをいただけたように思え安堵した記憶があります。

  • 『葵 徳川三代』(2000年)石田光成役の江守徹さん

 そして、この作品でもうひとつ特徴的だったのが、家康の愛の絆の太さを描いていることです。家康は60歳を過ぎてから男の子が3人も生まれました。この年齢になってできた子どもたちに対して、家康はそれぞれに自分の肉体をちぎって渡したような特別なかわいさを覚えたのではないかと思いました。その愛情から家康は孫のような子ども3人に“徳川”の名を名乗らして御三家をつくろうと考えつきました。そうすることで後継ぎが途絶えないようにし、徳川の天下を盤石に出来ると思ったのです。更に自分の直接の後継に選んだのは、武勇にも知略にも欠け、家来達にも信頼のない三男の秀忠でした。しかし、その性格こそ家康流に言えば、“これからの平和な世には向いている”のだと。自分のような「いらち」では、また乱世に戻りかねない。つまり、自分とは真反対ののんびりした子を後継ぎに選んだのですね。でも、つくづく家康の眼力は素晴らしいと思わされます。家康の子どもたちを愛する気持ちが、徳川御三家の制度など、その後の江戸幕府存続にもつながり、結果的には260年続く徳川政権の礎となったのですからね。感慨深いものがあります。これまで数々共演を重ねてきた西田敏行さんが秀忠を演じてくれたので、あうんの呼吸で父子役ができたのも楽しい思い出です。私はこれまで徳川家の将軍の役を何人も演じてきましたが、やはり家康役が演じていて一番おもしろかった。そして勿論『葵 徳川三代』は、最も思い出深い作品です。

大河ドラマ 『八代将軍吉宗』

大河ドラマ 『八代将軍吉宗』

江戸幕府において享保の改革を行った八代将軍・吉宗の生涯を描く。脚本はジェームス三木。この作品では西田敏行さんが吉宗役を、津川さんが五代将軍・綱吉を演じた。

 綱吉という人は「生類憐みの令」のせいで、徳川幕府において最も悪名高い将軍です。優しさが欠点となってしまった男の典型といえる人物かもしれません。それは、母親の桂昌院(藤間紫)に対する、マザーコンプレックスとしてこの作品では描かれています。その自信のなさぶりを、どう表現しようかなと考えていたときに、ふと私の家のお手伝いさんが僕に呼ばれて返事をするときに「あ、はい」と、必ず「あ」をひと言入れる人がいて、“これだ!”と思ったんです。その人はどうやら私のことが苦手のようで(笑)、それで緊張するのか、自然と返事の前に「あ」が付いてしまう。素直に返事をするには、何か心にひっかかるコンプレックスがあったのでしょう。そんなことを、この役で生かしてみました。「上(綱吉)さま」と母上から呼びかけられると、綱吉は「あ、はい」と返事をする。母上への畏敬の念が高じてコンプレックスになっている綱吉の性格が、観る人に伝わればな、と思って演じました。でも、最近思うのは「生類憐みの令」などは、現代の親による我が子の虐待やペットの大量処分問題などに揺れる今の時代にこそ必要な法令かもしれませんね。将軍としては、実は読書家だし、勉強家でアイデアマンでもあったと思います。時代に恵まれなかった将軍です。でも、そんな不運な将軍をどこかチャーミングに演じられたのも、ジェームス先生の脚本の魅力だと思います。

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