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滝田栄 滝田栄

滝田栄俳優たきたさかえ

1950年、千葉県出身。文学座養成所から劇団四季を経て現在に至る。テレビでは大河ドラマ『草燃える』『女太閤記』『徳川家康』、連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』、『マリコ』など多数主演。また『料理バンザイ』の司会を20年間つとめた。舞台では『レ・ミゼラブル』主演ジャン・バルジャンを初演より14年間演じる。2006年、映画『不撓不屈』で主演。ほかに仏像制作、仏教の研究、公演活動、執筆活動など幅広く活躍。

大河ドラマ 草燃える(1979)

伊東祐之役

大河ドラマ 草燃える

インタビュー

 僕の演劇史上、最高傑作だと思っているのが『草燃える』で演じさせていただいた伊東祐之役です。北条義時(松平健)という権力を目指した男と対極に位置する原作には登場しない架空の人物でした。

北条義時(松平健)とは幼なじみの間柄

 脚本の中島丈博さんは「エリートが一生懸命頑張って頂点を極めたということだけでは面白くない。泥にまみれぼろぼろの人生を送ってきた男が最後にすべてを超えた境地に到達し心の目を開かせる」「義時と祐之の人生をクロスさせることで人間は何を目指して生きるのか、その最終的な目標を描きたい」というお話をしてくださったんです。

平家方についたことから運命が変わり始める

 歴史をひもとけばわかるように、当時は実に多くの人をあやめ、だまし、裏切るという行為が横行していたすさまじい時代。そこで頂点を極めた権力者はけっして幸せや安心感といったものは得られなかったのではないか。一方で何もかも失った男が、一種の悟りの世界で無常感をしっかりと自覚して心の目を開かせる。これこそが一番重要な人生の最終目標だという丈博さんの思い、人間の深い生きざまをテーマにした作品だったと思います。

落はくの身となり諸国をさまよう

 祐之といえば、義時の兄である北条宗時(中山仁)と対決した時に顔面をズバッと切られてできた刀傷が特徴的でした。制作陣から事前に「放浪する祐之の顔に傷をつけてもいいですか」と聞かれ、僕も芝居が面白かったので「どうぞ、ご自由に」と応えた結果、ものすごくリアルな刀傷が誕生しました。あの傷には道を外してしまったという祐之の思い、自分の愚かさ、恨みなど、さまざまな意味が込められていたんです。

顔に深い傷が刻まれている

 そしてやはり心に残るのは最終回。琵琶法師となった祐之が「平家物語」を権力者に向かって吟じるシーンです。「おごれる者はひさしからず」と全盛を極めた平家の時代が終わったこと、頂点に立った者には必ず終わりが来ることを、鎌倉でいま頂点に立つ執権義時、そして政子(岩下志麻)に向かって奏でる。このシチュエーションにはぞくぞくしました。
 ドラマを通して人間って面白いなと感じたし、人間の魂の深さ、崇高さをドラマで表現できるんだという可能性を身に染みて感じることができました。

義時の前で「平家物語」を吟ずる

大河ドラマ おんな太閤記(1981)

前田利家役

大河ドラマ おんな太閤記

インタビュー

 『草燃える』の伊東祐之役は顔も人生も汚れていたので、この作品では対照的にきれいなところで演じてほしいと言っていただきました(笑)。

秀吉(西田敏行)が足軽だった頃からの友

 第1話で、利家の人物紹介としてはユニークだなと思ったのが、秀吉(西田敏行)に見初められたねねさん(佐久間良子)が、本当は利家のことが好きだったというエピソードです。真面目な利家はそれを察知して「私には妻がおるんだ」と告げ、そこからねねさんが秀吉に傾斜していくというものでした。自分で言うとおかしいのですが、おそらく橋田壽賀子さんは人間としての聡明さ、人としての美しさのようなものを利家に託して書いてくださったのだと思っています。

秀吉とねね(佐久間良子)の間を取り持つ

 毎回の出番ではありませんでしたが、秀吉が数々の武勲を上げ、やがて天下統一にまい進していく人生をじっと見つめている役割でした。天下人として権力の頂点を極めたところまでは良かったのですが、その後、海外進出を考えるようになった秀吉を利家は見過ごすことができない。秀吉の人生観だと思うのですが、これまでは家臣団を従わせるためにお金や名誉を与えみんなを喜ばせてグループを大きくしていった。そんな物質的な魅力でひきつけてきたのが、日本を制圧したら分け与えるものがなくなってしまい、絶対にやってはいけない朝鮮に出兵してしまったんです。

天下人へと登りつめる秀吉を見守り続ける

 そこで利家が秀吉をいさめるのですが、それは僕が出演した大河ドラマの中で一番良いセリフだったと思っています。橋田さんが書かれているのでとても長かったんですけどね(笑)。老衰でまともな思考ができなくなっている秀吉は、何としても自分の子どもである秀頼に権力を上げたい、守ってくれと言うのですが、これが同じ人物かと思うほどぼろぼろな状態で倒れ込んでしまう。そんな老醜をさらして倒れている秀吉に向かって「朝鮮出兵だけは絶対にやってはいけない」と必死になっていさめるんです。結局、秀吉はもはや利家の言葉も理解できないのですが、それでも本当に良いセリフで演じていてもしびれました。

命がけで太閤秀吉をいさめる

 権力者の最後の哀れさも含めて、当時のドラマは人間性の面白さというものを大きなテーマで描き出してくれていましたから、演じる僕らも制作陣もみんな喜々として取り組んでいましたね。

ドラマ・スペシャル マリコ(1981)

寺崎英成役

ドラマ・スペシャル マリコ

インタビュー

 平和主義者であり反骨精神に満ちた実在した外交官を演じさせていただいたのですが、本当にこんな人がいたのかと思うほどすばらしい人物でした。外交官としてアメリカに赴任していた時に結婚したアメリカ人の妻グエンと家族を守り、悪化する日米関係に外交努力を積み重ね、戦争を回避しようと頑張る姿からは人間愛の深さを感じられました。

妻子を守りながら、日米開戦を止めようと奔走する

 世界中が物質主義に染まる中、それ以前に大事なことがある。家族であり兄弟であり友人であり国であり隣国であり、世界中の人がその延長線上にあるということ。人間の命、尊厳というものを、身をもって示し言葉を発して生きた人でした。もし軍部にばれたら殺されてしまうかもしれないのに、戦争を止めて欲しいと天皇陛下に直訴することを考えるなど最後まで必死でした。孤立し苦悩しながらも平和主義、人間主義を貫こうとした寺崎英成を通して、人間のすばらしさ、希望というものを証明できたのではないかと思っています。

戦争を止める最後の手段、天皇への直訴を決意する

 ただ撮影は本当に大変でした。1台のカメラによる1本撮りで映画と同じようにカット、カットで切っていくというプロセス。映画本編に負けないぞという覚悟で、一番いい表情を撮りたいからとひとつのセリフもカットごとに照明を組み直して撮っていました。ドラマ班、技術班がこれ以上の仕事はできないというくらい燃えていたんです。

寺崎の奮闘むなしく日米は戦争に突入する

 寺崎一家が蓼科に疎開するシーンがあったのですが、実際に雪の中を家族で歩いていくシーンも撮りました。雪解け後、食べる物がないからと寺崎が慣れない鍬(くわ)を持って畑を耕し、とうもろこしなどの種をまくシーン、さらにそれが本当に育って収穫するシーンもリアルに蓼科で撮りました。3時間のドラマですが1年近くかけて撮影していたんです。

妻子を連れ日本に戻り、蓼科へと疎開する

 実際に寺崎一家が厳冬期にお借りしたという小さな小屋が残っていて、そこで撮影できたことはありがたかったのですが演じるほうは大変でした。ひとつのセリフ、ひとつのシチュエーションを全部自分の中に入れておかなくてはいけない。それも戦時下の極限状態にあってなんとか戦争を回避したいという精神でいたこと。それが実現できない悲しさ、苦しさ、さらに家族を背負って真剣に生きていく。そんな状態を1年以上、一時も離れずに自分の中で維持していなければいけなかったからです。撮影時にさらっと芝居をすれば良いというふうなことが僕はできないので、徹底して入り込み、英成の心を失わないように日常も過ごしていました。それだけに全編つながったものを見た時には、ドラマでここまでできるのかという可能性に自分でも震えるほど感動しましたね。

戦時下の厳しい生活の中、病に体をむしばまれる

 この作品は想像を絶する大反響をいただいたのですが、当時ご存命だった昭和天皇から「すばらしかった」というお言葉をいただき、菊のご紋の入ったタバコをいただいたことも思い出です。

戦後、妻子をアメリカへ送り出す

大河ドラマ 徳川家康(1983)

徳川家康役

大河ドラマ 徳川家康

インタビュー

 『徳川家康』のお話をいただいた時、プロデューサーは「家康は誰も止めることのできなかった戦国という殺りくの時代を終わらせて、260年間、内乱も戦争もない太平の世の礎を築いた武人。家康の魂の物語をこれから始めるのでその魂を演じてほしい」と僕に言ってくださったんです。さらに「タヌキ、ずるい、腹黒い」と言った一種の風評に惑わされずにゼロから家康を考え直してほしい」とも。悲劇の時代を終結させた魂とはどういうものだったのか。深い深い制作の思いに僕も「これはすごいぞ」と勉強を始めました。

265年間続く江戸幕府を開いた武将・家康

 そんな中で、家康の役作りをするには実体を知らないと演じられないなという思いがありました。どうしたら一番深い心の奥底、魂のレベルで家康にふれることができるのか。責任重大ですから、ものすごく悩みましたし、プレッシャーから失踪してしまおうかと思ったこともありました。

 そんな時に、家康が7歳から19歳まで今川義元の人質として静岡の臨済寺に預けられ、太原雪斎禅師から軍学を学んだというくだりが原作からも資料からも見つかり、臨済寺に行けば何か手がかりが得られるのではないかと思い、役作りのために置いて欲しいとお願いしたんです。禅宗の道場なので普通の人には無理だからと断られたのですが、必死でお願いして受け入れていただきました。家康が実際に使っていた「手習いの間」という小さな部屋が再現されていて、そのすぐ横に一部屋空けてくださり生活が始まりました。そこで非常に重要なことを一つ一つ理解することができたんです。

本能寺の変の後、堺から伊賀を越えて全長三百キロの強行軍で三河に戻る

 禅僧が日々の生活で取り入れている決まり「戒(かい)」があります。食事の前に唱える「五観の偈(ごかんのげ)」という食作法(じきさほう)もその一つです。冷たい板の間に正座しておかゆをいただくのですが「食事をいただけるような行いをしたのか」「どんな過程を経て食事がここまで運ばれてきたのか」。そういうことを考えなさいという内容でした。これが僕に家康の実像に迫るインスピレーションを与えてくれたんです。お湯のようなおかゆですが、最終的に自分の心、魂を養うための薬としてつつしんでいただくということ。家康は将軍になっても食事は生涯一汁二菜で贅沢はしませんでした。禅宗の食作法は家康の中に具体的に生きていたと感じることができました。

一汁二菜の質素な食事

 あともう一つ根本的に家康の魂にふれられることはないか、役作りにならないなと頭を抱えていたら、倉内松堂老師という大禅師が声をかけてくださったんです。庵でお茶を入れてくださったのですが、1杯目は甘く、2杯目が渋い、3杯目は苦いとすべて味が違いました。「“甘渋苦”と言ってこの3つ揃って人生の味わいというんだがね」とニッコリとされた。カッコいいなと思ったのと同時に、そうか艱難辛苦(かんなんしんく)の人生だった家康はそれら一つ一つを無様でも必死に生きてきたんだろう。無様があっていいんだと頑なだった心が解け、松堂さんがお示しくださった核心にあたる大事なメッセージを受け取ることができました。

武田軍と三方ヶ原の戦いに惨敗し、城に逃げ帰る途中に馬上で脱ぷんしてしまう

 また、お釈迦様が亡くなられた時の涅槃図(ねはんず)という絵を見せてくださり、どうしてお釈迦様を囲む生きものたちが泣いているのかと尋ねられたこともありました。「お釈迦様ほどの方との別れが悲しいからだと思います」と言ったら「まったくその通り」と。お釈迦様は人類で初めて命をかけて、どうしたら本当の安心を得ることができるのか考えてくださった方で、命ある者にとっての大恩人。だから涙を流して別れを惜しんでいるというのです。「おそらく400年前、太原雪斎は少年・竹千代に涅槃図を示し、このような武将になるよう教えたと思うがどうかね」とも。

秀頼親子とは、あくまで和議で決着をつけると言いわたす

 僕はわかった!と思いました。ほかの武将とは違う世界観、人間観、時代観をもった一人の武将が誕生した。家康が260年の平和という世界記録を作ることができた根本がこれなんだと。そこまで深く演じる機会はドラマの中にはないのですが(笑)、どうしたら人々が幸せになるかを考えて極めて本当にそれを導いて実現した人だということを僕の中で確信することができました。

百姓たちを気にかけて「体をいとえよ」と声をかける

大河ドラマ 春の波涛(1985)

黒岩周六役

大河ドラマ 春の波涛

インタビュー

 『春の波涛』は、日本の女優第1号の貞奴(さだやっこ)と川上音二郎の物語ですが、脚本の中島丈博さんがこの時代を振り返ると「突出して面白い興味ある人物がいるんだ」と言っていたのが黒岩涙香(るいこう)だったんです。涙香の本名が、僕が演じた黒岩周六で「まむしの周六」と呼ばれていたそうです(笑)。「万朝報(よろずちょうほう)」という新聞の記者で、とにかく気に食わない人物がいると生涯追いかけ回し、良くないところを暴いて記事にする。彼は特に川上音二郎(中村雅俊)が大嫌いだったらしいんです。「オッペケペ節」で大活躍して貞奴(松坂慶子)と一緒に旅をして歩く音二郎をクソミソにやっつけていく。実際にあった話で、頭にきた音二郎が黒岩涙香をピストルで撃ったという事件が起きたほどです。

「まむしの周六」と呼ばれる新聞記者

 丈博さんから、『マリコ』や『徳川家康』で立派な人を演じてきたけど、『草燃える』の伊東祐之の面白さを思い出して黒岩涙香を演じてほしいと(笑)。一周回ってまた面白い人間に出会えました。とんでもない人だと言っても丈博さんがお書きになるのだから面白いに違いない。役者ですから、いい人もダメな人も360度演じるわけですよね。また元に戻るのもいいかなと思いました。

伯爵夫人と令嬢が乗る馬車のひき逃げ事件を画策して記事にする

 実際に音二郎に撃たれるシーンもありましたし、明治大正は僕にとってあまり慣れていない時代でしたが面白かったですね。戦国の物語の臨場感とは異なり、時代がもう明らかに変わったという新しい新鮮な空気を感じることができました。

音二郎(中村雅俊)に銃をつきつけられる

 余談ですが『春の波涛』が終わってまもなく、帝国劇場で舞台「レ・ミゼラブル」のオーディションがあるからぜひ受けませんかと声をかけていただきました。そこで気づいたのですが「レ・ミゼラブル」を日本で最初に翻訳したのが『春の波涛』で僕が演じた黒岩涙香なんです。「みじめな人たち」なんて直訳したら誰も心引かれないからと「あゝ無情」というタイトルにして万朝報で連載。全国的に大人気となりました。涙香を演じた僕が今度は「レ・ミゼラブル」の舞台で主役を演じることになるとはみじんも思っていなかった。初演から14年、稽古とオーディションを入れると16年やり続けた舞台。これは運命というか神様のいたずらだと思いました。

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