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本木雅弘 本木雅弘

本木雅弘俳優もときまさひろ

1965年生まれ、埼玉県出身。アイドル歌手として活躍後、端正な顔立ちとアーティスティックな活動に注目が集まり、本格的に俳優の道へ。92年の映画『シコふんじゃった。』以降、大河ドラマ『徳川慶喜』などでも存在感を発揮。主演映画『おくりびと』は、米・アカデミー賞外国語映画賞を受賞するなど国内外で高く評価された。NHKでは、スペシャルドラマ『坂の上の雲』の海軍中将・秋山真之役や、大河ドラマ『麒麟がくる』の戦国武将・斎藤道三役なども熱演した。

大河ドラマ 『徳川慶喜』(1998)

大河ドラマ 『徳川慶喜』

インタビュー

 当時から幕末を舞台にした作品は数多くありましたが、幕府の側、それも徳川慶喜を主役に据えたのは斬新な試みでした。慶喜は徳川家の看取り役になるという重く切ない運命をたどった人物でありながら、それまで世の中に深く知られていなかったようです。僕自身も出演のお話をいただいてから司馬遼太郎さんが書かれた原作『最後の将軍』を読んで興味を持ったことを覚えています。

 慶喜は、常人では思いもつかない複雑なセンスと発想の持ち主でした。それは、政治手腕だけではなく、彼が遺したクオリティの高い刺繍や絵が証明しています。また、時代の混乱のなかで、ある時期から道化を演じるようになったこともあり、謎が多い。そんなミステリアスな部分を持つ人物を大河ドラマの主人公として演じられることに、ワクワクしました。

 しかも、何度も映像化された歴史上の人物とは違って、視聴者の方に確固としたイメージやカラーが浸透しておらず、プレッシャーを感じずに済みました(笑)。僕もスタッフも番組全体が、新鮮な領域に初めて首を突っ込んでいくような意気込みで進んで行けたと思います。

変装をして火消しの辰五郎の家を訪ねることも…

 『徳川慶喜』に関わっていたのは、二十代後半から三十代の始めにかけて。思い返すと、役者として一番吸収すべきものがあった1年だったと思います。重鎮の方々に囲まれ、皆さんそれぞれの役を自分の身に移していく方法、お芝居のメリハリのつけ方、さじ加減といった多くのことを間近で学ばせていただきました。皆さんとの共演はとても刺激的で面白く、懐かしく思います。

 なかでも印象的なのは、慶喜と井伊直弼が対峙するシーン。井伊役の杉良太郎さんは非常に完成された方で、現場ではスタッフのために一度だけリハーサルをし、すぐに本番を撮るというスタイルでした。
 当時の未熟な僕にとっては、急に舞台に上げられたような緊張感があり、セリフひとつひとつをはき出すのにも喉が渇くほど。相手の心を読みながら対等に見極め合うシーンにも関わらず、完全に負けてしまっていました。いま見返すと、僕の緊張感と、慶喜が井伊に抱いている警戒や緊張とが相まって効果的に働いていましたけど…(笑)。

大老・井伊直弼役の杉良太郎さん

 もうひとつ印象深いのが、安政の大獄で井伊直弼が暗殺された後、慶喜が寝所で正室・美賀に語るシーン。慶喜自身をよく表していた場面でした。

 「今までは味方に父があり、敵の井伊がいたから、自分は率直にふるまうことができた。けれども、その2つを失った今、言行一致では生きられない。この先ますます世の中が混乱するだろうが、自分がどういう発言をし、いかなる姿に映ろうと、余の心を信じよ」と慶喜は言います。

 慶喜はその後、争いをふっかけてくる相手に対し、卑怯と言われようが、ろくでなしと言われようが、その頭脳と純粋な心で、争いを回避し続け、無血の時代を実現します。美賀に決意を示した時から、すべての腹を決めて、そこに向かって生きていったのでしょうね。売られたケンカを買わないような人間は男子として成立しなかったような時代にあって、そこまで道化を演じるのは、相当の覚悟と自信がなければできなかっただろうなと思います。

石田ひかりさん演じる美賀に決意を語る

 『徳川慶喜』との日々、僕はプライベートでも大きな変化を迎えていました。撮影前に長男が生まれ、名前のお披露目を制作発表会見の場でさせていただいたんですよ。そんな息子も今年大学生ですから、それだけ時間が過ぎたことに驚かされますね。

 当時の僕はかなり育児に参加しており、その一方で膨大なセリフと格闘していました。そんななか、田向さんが僕を試すかのように何ページにもわたる長ゼリフを用意されていたことが!! これには参りましたね(苦笑)。そんな風に一気にすべての試練が押し寄せた1年でしたが、それぞれに追い詰められたことによって、逆にこなせたような気がします。この時期を乗り越えていったことが、その後の自信に繋がりました。

 最後まで戸惑いの消えない部分があり、気負いも抜けなかったので、純粋な達成感はどこまであったか分からないけれど、とにかく物理的に精神的に背負うものが多く、役者として臨む初めての大きな仕事でした。
 すべてを終えたとき、それこそクランクインとほぼ同時に生まれた息子が1年経って、何倍にも大きくなった姿を見たときの思いと同じ、それくらいの宝というか財産が自分のなかに育った、膨らんだなと思えました。
 この大河の経験がなければ、昨今の昭和天皇の役もこなせなかっただろうし、もちろん『坂の上の雲』の秋山真之を演じるという重責も受け止めきれなかっただろうと思います。

『徳川慶喜』ラストシーン 時代は明治に…

スペシャルドラマ 坂の上の雲(2009)

スペシャルドラマ 坂の上の雲

インタビュー

 僕が演じたのは日本海海戦を勝利に導いた主人公・秋山真之(さねゆき)。真之をはじめ明治を生きた人々は今の自分たちからすると何百倍も心身が頑丈ですよね。現代人は自分一人のことも背負えずにマゴマゴしているのに、当時の人たちは家族を背負い、国を背負い、時代を背負っていた。その自覚があったということに驚きます。

 しかし、そんな頑丈な真之も一方では生身の人間として当然である、心の脆さを抱えており、僕自身、そうした部分により共感を覚えました。
 「あれだけ闘争的に生まれついていながら、血を見ることに誰よりも深く傷つく。真之にはそういう脆さがあった」というようなフレーズを司馬遼太郎さんが書かれていたと思いますが、戦争に向かわざるをえなかった真之には、自分が成し遂げたことと同時に抱えてしまった命題があり、命を奪い合うことで傷ついた心を最後まで癒やせませんでした。

 『坂の上の雲』は、3年という長い年月をかけて撮影されたスケールの大きな作品でした。こんな経験は僕にとっても制作側にとっても初の試み。働き盛りの40代に3年間ほかの役を受けず、真之役に専念したことは賭けでもあったのですが、作品とつかず離れずの時間を過ごしたことで、徐々に役が自分に染みこんでいく醍醐味を味わえたことが発見でした。

 比較的多くの写真が残っていた真之さんですが、最初のころは晩年の姿を見て、最終的にこの顔に到達できるのだろうかと遠いものを眺めるような思いでした。が、じっくり役と向き合えた年月のおかげか最後にはなんだかんだ似てきた?(笑)。現実的に自分も3年歳をとり、その変化を刻印できたというのは大変魅力的な経験だったと思います。この作品を経たことで、その後の仕事の選び方やペースがいい意味でスローになり、立ち止まれるようにもなりました。

『坂の上の雲』オープニングから
(左・秋山好古役 阿部寛さん、右・正岡子規役 香川照之さん)

特集ドラマ 流行感冒(2021)

私役

特集ドラマ 流行感冒

インタビュー

 このドラマは100年前のスペイン風邪が流行した時代を描いています。
 感染の危険にさらされ、目に見えぬ恐怖に心を乱し、人間同士の信頼が揺らいでいく、今現在、世界中の方々が共鳴するであろうテーマです。

時は大正、主人公は作家の「私」

 人の世で同じことが繰り返される中、当時の様子から どのような教訓が得られるのか、大変興味が湧き、警戒態勢での撮影に不安がありながらも、進んで参加することを決めました。
 感染対策上、本番直前まで互いにマスクが外せない撮影スタイルは何とも奇妙でしたが、カメラが回って初めて相手の表情が見えるので、芝居を新鮮に感じ取ることが出来たのは貴重な体験でした。(余談ですが、スタッフの方々は終始マスクを外しませんので皆さんの顔が覚えられませんでした(涙))

日本各地に流行感冒が広がる

 「流行感冒」という重苦しいタイトルではありますが、非常にささやかで、しかし、とても大切な人間愛に触れるストーリーです。
 自問と他者への共感を澄んだ眼差しですくい取っていく志賀(直哉)さんの原作と同様に、思うままに動いていく人々の心の綾を感じさせてくれる脚本の、味わいある仕上がりにも惹きつけられ、妻役の安藤サクラさんをはじめ、共演者の皆さんの個性が役に見事にハマり、自然と物語に没入することが出来ました。

感冒から家族を守ろうと右往左往する

 ぜひ、多くの皆さんにご覧いただき、一家族の危うく滑稽な出来事を通して、どんな状況に陥っても、”人は人をいとおしいと思える力を持っている” そんな小さな希望の光のようなものを感じていただければ幸いです。

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敬称略

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