連続テレビ小説 『澪つくし』
もうあれから約30年が過ぎたんですね。当時僕は24歳で、俳優として初めて挑んだオーディションが、この『澪つくし』だったんです。でも、オーディションの時点でも、自分がどんな作品に出るのか、それが映画なのかテレビドラマなのか、実はそれすらもよくわかっていないという状況で(笑)。なのに不思議と1次通過、2次通過……と、とんとん拍子に進んでいったんです。次はカメラテストという段階まで来てもまだ、「へえ、そうなんだ」という感じでした。そのカメラテストのときのこと、当時髪の毛が少し長かったのですが、ヘアピンで前髪を全部あげられてしまったんです。その後、最終カメラテストに進むことができました。カメラが4~5台は用意されていたと思います。応接間ふうのセットで台本にして2、3ページの演技が終わった後、今度はプロデューサーや監督陣のいる前で、突然「上半身裸になってください」と言われたんです(笑)。前髪の次は、裸!? 「なんでこんなことをさせるんだろう!」と、思ったのを覚えています。それが、前髪を上げさせられたのは漁師役の坊主頭が似合うかどうか、おでこを出した感じを見たかったためで、裸にさせられたのも漁師役にふさわしい体つきかどうかを見たかったということだったと――合格してからすべてがわかりました(笑)。でも、考えてみると、オーディションでこの役を射止めてやろうという心境ではなく、無欲でただ無我夢中だったのが功を奏したのかもしれません。反対に少しでも欲を持っていたら、緊張で本来の自分が出せていなかったかもしれないと思うのです。
沢口靖子さん演じるヒロイン・かをると川野さん演じる惣吉の悲恋の物語
9月のオーディションで出演が決まった若手出演者の僕たちには、年明けのクランクインまでの数か月間、週に3~4回、NHKで演技の基礎を学ぶ期間があったんです。その中には、もちろん主演の沢口靖子さんの姿もありました。親睦を深める意味もあったと思うのですが、頭に棒を載せてバランスのよい姿勢を意識したり、みんなで組体操のようなトレーニングをしたり。僕はカメラの前に立つのは本当に初心者で“ど素人”だったので、こうした指導は本当にありがたかったです。NHKのスタッフの皆さんが一生懸命僕らを育ててくれ、また家族のように接し、守ってくれました。それによって俳優としてよいスタートが切れたと、今も感謝の思いが尽きません。細かな演技ももちろんですが、この役で難しかったのは舟の櫓漕ぎです。何度も練習しましたが、潮の流れもあり、なかなか思った方向に舟が進んでいかなくて。カメラの構えている方向に進みたくても、違う方向に流されていきそうになって、とても苦労した思い出があります。それでセリフも言わなくてはいけないとなると、難しさはひとしおでした。また、少しでも漁師らしい雰囲気を出すために、より体を鍛え、日焼けをするように意識して、役作りをしたように覚えています。
ジェームス三木先生の脚本はすばらしかったですね。その面白さに、僕自身もどんどん引き込まれていきました。沢口さん演じるヒロイン・古川かをるは、銚子の醤油醸造の老舗、「入兆」のお嬢様。僕が演じる惣吉は、かをると恋に落ちる網元・吉武家の跡取り息子。住む世界の違う“陸者(おかもの)”と“海者(うみもの)”の運命にあらがう恋物語で、“銚子のロミオとジュリエット”というキャッチコピーもあったように記憶しています。毎日の15分に必ず見どころがある、そんなドラマチックな展開でした。さらにこのドラマは、脇を固めてくださる皆さんも、まるで役がそのまま乗り移っているようにしか見えないというはまり具合が魅力的だったと思います。惣吉の母・吉武とね役の草笛光子さんは、色白の肌を浅黒くファンデーションで塗り、凛々しい網元の女主の雰囲気そのものに。そして、スタジオではまるで本当の母親のように新人の僕を支え、いつも応援してくださいました。例えば、俳優陣やスタッフ一同で集まるパーティーの景品でも、かをるの父・九兵衛役の津川雅彦さん率いる入兆チームの様子をうかがって、「あっちがそれを出すなら、こっちはこれだ!」みたいに対抗したり(笑)。本気になって、いろいろな面で僕ら海者チームを引っ張ってくださったんです。僕には当時ドラマの中の世界だけでなく、スタジオ前の皆さんとのやり取りの中にも、「澪つくし」の熱気がそのまま続いているように感じました。
惣吉の母・とね役 草笛光子さん
かをるの父・九兵衛役 津川雅彦さん
惣吉の遭難後、かをるが再婚するのが「入兆」の手代、梅木でした。惣吉の“恋敵”ともいえるかもしれませんが、梅木役を演じた柴田恭兵さんは俳優の先輩であると同時に、とても優しい方で、僕にとっては兄貴的な存在でした。僕も柴田さんも野球が大好きという共通点があって、「太郎、バッティングセンター行こう」と誘われては、いつも渋谷にあったバッティングセンターに2人で気分転換に出かけていました。柴田さんが車を運転して連れて行ってくれるのですが、その車のトランクには、いつもバットが積んでありましたね。また、「入兆」で働くお調子者、ラッパの弥太郎を、お笑いタレントとして大ブレイクしていた明石家さんまさんが演じていました。すでに人気ものだったのに、いつもふらりと1人で現れてはスタジオにラフな感じで座って、「太郎ちゃん、元気ぃ?」なんて気さくに声を掛けてくださって。さんまさんが沢口さんに「靖子ちゃん、ほんまきれいやなぁ」なんて声を掛けては、僕がさんまさんから沢口さんをガードする、という流れがお約束(笑)。周囲を笑いで盛り上げてくださる、そんな存在でした。
梅木健作役 柴田恭兵さん
「澪つくし」は放送と同時に驚くほどの人気をいただいて、それもまた自分の中ではすぐには実感がわきませんでした。でも、俳優として、こんな運命的な作品に出会えたことは、ある意味幸せなことだったのだと思います。そして、この現場で学んだことが、今も僕の俳優としての根っこに生きているのです。当時、リハーサル中に、かをるの母・古川るい役の加賀まりこさんの前で、「役になりきるというのは、大変なことですね」と、もらしてしまったことがありました。そしたら、加賀さんが「役になりきるんじゃないの。自分に役をどれだけ近づけるのかが勝負よ」と、ポーンと言ってくださったんです。その言葉を、いまだに思い出しては噛みしめる瞬間があります。沢口さんとは、実は最近あるドラマで共演したのですが、「30年ぶりだねぇ」なんて、挨拶しながらちょっと感慨深かったですね。でも、沢口さんは初めて会ったころとまったく変わらなくて。当時も、「なんて顔が小さくて、きれいな人だろう」と思いましたが、それより“変わってないな”と感じたのは、彼女の演技に対する姿勢でした。わき目を振らず、真摯に与えられた役に取り組む姿は、あの「澪つくし」のころの“靖子ちゃん”そのまま。なんだか、とてもうれしかったですね……。俳優という仕事は難しい仕事です。歳月を重ねれば重ねるほど、その難しさを感じています。僕の体、僕の声、僕の心――この“自分”の中に役を入れてかみ砕いていくこと――その難しさを楽しみながら、これからもさまざまな役に出会っていければと思っています。
かをるの母・るい役 加賀まりこさん(左)