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美輪明宏 美輪明宏

美輪明宏シンガーソングライターみわあきひろ

1935年生まれ、長崎県出身。16歳にしてプロ歌手となり銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点に活躍。注目を集める。57年「メケメケ」が大ヒット。日本におけるシンガーソングライターの元祖として「ヨイトマケの唄」ほか多数の唄を世に送り出す。67年、寺山修司の「演劇実験室・天井桟敷」の旗揚げ公演「青森県のせむし男」に主演。続いて「毛皮のマリー」、その翌年三島由紀夫に熱望され「黒蜥蜴」に主演し絶賛される。97年「双頭の鷲」の再演にて、読売演劇大賞優秀賞受賞。NHKでは大河ドラマ『義経』のほか、2012年から4年連続で紅白歌合戦に出演し、大きな反響を呼んだ。演劇と歌を中心に幅広い活動を続けている。

夢であいましょう(1961〜69)

夢であいましょう

インタビュー

 末盛憲彦さんという優秀なディレクター兼プロデューサーがいらしてね、その方から出演のお話をいただきました。黒柳徹子さん、坂本九さん、渥美清さん、坂本スミ子さんら、大スターがそろって、コントや歌唱、踊りなどを披露するバラエティ番組で、みなさん主役も脇役も関係なく、どんな役にも借り出されるんです。何をやらされるか分からないんですが、面白い発想の番組でとても人気があったんですよ。

 映像でご紹介しているのは「あいつのためのスキャットによる音頭」という曲の歌唱シーン。番組では毎月1曲、永六輔さん作詞、中村八代さん作曲の「今月のうた」が作られていて、1963年12月は私が歌ったこの曲だったんです。本番でいきなり譜面を渡されて初見で渋々音声録音をしたのを覚えています(笑)。

 曲調は日本のお祭りで歌うような感じでありながら、5/4拍子。3/4とか4/4拍子ならふつうに歌えるんですけど、5/4拍子って不自然でね。こんなのアメリカでも「テイク・ファイヴ」1曲しかないんです。そのリズムを持って来ちゃったんですね。私もずいぶんブーブー文句を言っていましたが(笑)、日本のモダンな音楽とみごとにミックスされていたので、大乗り気で歌わせていただくことになりました。

 映像を見ていただくと歌っている私の周囲でたくさんの人が肩を揺らして踊っているでしょう。この中に黒柳さんや坂本九ちゃん、ほかにも出演者がいるんですよ。それにしても今見返すと、なんて痩せててトゲトゲしいんだろうと、自分の姿を見て思います。随分と苦労して生きてたんだな〜という感じがします。

NHK人間講座 人生愛と美の法則(2005)

NHK人間講座 人生愛と美の法則

インタビュー

 番組では8回にわたって私の人生経験や思想についてお話させていただきました。とにかく私は世の中に逆らって反逆の狼煙(のろし)をあげながらずっと来ましたでしょう。それが東京都名誉都民に顕彰されたのですから、世の中もリベラルになったなぁと思いますね。

 終戦後はパーマをかけているだけで「進駐軍の真似しやがって」と目をつけられましたし、髪を染める染料もなくてビールで髪を何度も洗って赤く染めるしかありませんでした。そんな時代に髪を紫に染め、紫づくめのお洋服を着て、銀座でフランス語の歌を歌いながら「銀巴里」の宣伝をしていたんですよ。そりゃあみんなバケモノ扱いして有名にはなれましたが、とにかく覚悟を決めて何でもやっていましたね。

 曲を作るときにも、反戦歌なんて誰も聞かないと反対されたのに、そういう歌の訳詞をしたり、「ふるさとの空の下に」という曲を作って歌ったりました。当時は逆境のなかでしたことでしたが、のちに紅白で「ふるさとの空の下に」を歌い、たくさんの反響もいただいて感無量でした。

 世の中で、小さいお子さんから老人まで悩みや苦しみ、心配事のない人はひとりもいないんですよね。ですから、ひとりで結論を出してひとりで答え、それが全部自分のためになるという具合になります。そういう私の経験を参考になさって救われる方が何人いるかは分かりませんが、ひとりでもいらっしゃればそれでよし。私の話をすることで、少しでもお役に立てればと思います。

大河ドラマ 義経(2005)

鬼一法眼役

大河ドラマ 義経

インタビュー

 義経が若い頃に出会う武術の師。吉野山の山奥で天狗様やカラスなどの精霊をうまく使いながら術を施す仙人の役です。宗教観や宇宙観のようなものを持ってる人でないと、この役は務まらないなと思いながらもお引き受けしたんですよ。お芝居でお経を唱えるシーンもあったのですが、幸い私は毎朝お家の仏壇でお経あげていますので、役に立ちました。本当に何が役に立つかわかりませんね。

 鬼一法眼は何百歳かわからないような不思議な存在のキャラクターなんですよ。この時代には人魚の肉を食べて長生きしたといわれる八百比丘尼(やおびくに)の伝説があったりして、昔の人には夢があったんですね。鬼一法眼は実在していたらしいですが、大河ドラマで描いたのは、さまざまな伝説がミックスされて無限の中を彷徨っているような人物像。義経を助けて手本となり、導く役でしたので、やりがいがありました。

 主演の滝沢秀明さんとも何シーンか共演させていただきました。あまり時代劇のご経験がなかったようでしたので、私が出しゃばって「ここはこうした方がステキね」などとお話させていただいたんです。そうしたらすぐに実践されて、背筋と首を伸ばして武将らしく演じてられました。やはりスターになる人は違うなと思いましたね。

対談 瀬戸内寂聴×美輪明宏
〜戦後70年(2015)

対談 瀬戸内寂聴×美輪明宏〜戦後70年

インタビュー

 番組は私のふるさと長崎で戦後70年の節目に行われた対談を収録したものです。広島に次いで長崎も原爆にあいましたでしょう。私は爆心地から少し離れた自宅にいて、ちょうど絵を描いていたんです。絵が完成して、ちょっと離れたところから出来をみようと下がった瞬間にピカッと来たんですよ。朝から日本晴れで雲ひとつない空だったので、こんないいお天気に雷?と思うか思わないかの時に、世の中の爆弾を何万個も集めたような音がして、家全体が揺れました。それで目の前のガラス張りの戸が全部、割れるのではなく飛んで後ろのふすまに刺さったんです。後ろでお手伝いさんが布団を手入れしていたので、2人でそれを被って難を逃れましたが、それでも爆音が聞こえました。

 空襲だと分かって隣の町の防空壕へ逃げましたが、外は地獄でした。その光景はいまも目に焼き付いています。それから1週間ほどして、8月15日には終戦を迎え、昨日まで悪徳とされていた自由主義、社会主義が1日にして美徳になっちゃったんですよ。そして美徳としていた軍国主義、封建主義が悪徳とされた。世の中のひっくり返りように、もう一切、政治や国の常識は信じまい、自分で見て触ったものだけを信じようと思うようになりました。

 対談に際しては、同じ時代を生きてこられた瀬戸内寂聴さんと戦争体験についてもお話させていただきました。あの方とは、彼女がデビューなさってすぐのころに雑誌のインタビューの仕事で家にいらして以来のお付き合いです。しょっちゅう行ったり来たりするわけではなくて、瀬戸内さんがうちにいらしたのも、私が京都のお住まいにうかがったのも一度きり。だけど価値観が似ていて、こういう番組の仕事などでお会いすると長話になります。

 お互いに探り合いをせず、本音をべらべらしゃべっても受け入れられるんです。あの方もおっぴろげたまんまで(笑)、何も隠し事をなさらないし、欲しいものも別になく、見栄も張らない。悟ってらっしゃるので、気持ちのよいお付き合いで、仲良くしていただきありがたいです。

にほんごであそぼ(2016)

みわサン役

にほんごであそぼ

インタビュー

 私、子どもが大好きなんですよ。あの無邪気なものって本当に何ものにも代えがたい宝物だと思っていますしね。『にほんごであそぼ』には、かわいい子どもがいっぱい出ますでしょう。子どもって勝手なことを言って、勝手なことをしますからね、それがまたかわいらしくて、この番組がとっても気に入っています。

 出演に関しては、有識者で番組の監修を務めていらっしゃる齋藤孝教授からお電話をいただきました。「短歌や俳句を一首詠んでもらえれば、それだけでいい」とおっしゃったので「それならお手伝いができますね」とお引き受けしたんです。ところが出番が多くて、いろいろなことをするようになり「約束が違うじゃないの!」って(笑)。でもよろしかったですよ。だってかわいい子どもたちに会えますから。

 自宅の前には保育園があり近くに小学校もあるのですが、よく道を歩いていると、出会い頭に子どもたちから「わあ、みわサンって本当にいるんだ」と驚かれるんです(笑)。いつだったかしら、確かナレーションを担当した連続テレビ小説『花子とアン』の打ち上げの席で、脚本家の中園ミホさんとお話していたら、いつのまにか子どもたちに囲まれていて、不思議そうにこっちを見ていたこともありました。「子どもに人気があるんですね」なんて言われましたけど、やっぱりこっちが好きだと向こうも好いてくれるんですね。

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