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榮久庵憲司 榮久庵憲司

榮久庵憲司インダストリアル・デザイナーえくあんけんじ

日本を代表するインダストリアル・デザイナー、榮久庵憲司。戦後日本の日常生活のあらゆる場に、優れたデザインを残した。代表的な作品としては、半世紀以上もその姿を変えずに世界中で使われている「卓上しょうゆ瓶」が挙げられる(昭和36年発表。現在はニューヨーク近代美術館にも収蔵されている)。そのほか、オートバイ(YA-1)、アップライトピアノ、郵便ポスト、成田エクスプレス、新幹線「こまち」、博覧会場の施設など、関わったジャンルは多岐にわたる。一貫していたのは、「モノの声を聴き、心を感じる」という榮久庵独自の考え・『道具論』。それは栄久庵のもう一つの顔「僧侶」としての精神から生じていた。
昭和5年、浄土宗の僧侶の息子として東京に生まれる。生後すぐに一家はハワイへ移住、父は開教師として働き、榮久庵はアメリカのモノ文化に触れて育つ。昭和12年帰国、15歳で海軍兵学校へ入隊。終戦と同時に父が住職をしていた広島へ向かうが、一面の焦土に衝撃を受ける。特に、焼けた市電や自転車が発する「助けてくれ」という叫びが耳に届き生涯心から離れなかった。その後、父の後を継いで僧侶に。亡くなった方々の供養を重ねる中で、「仏(ぶつ)と物(ぶつ)。多くの人に平等にモノが行き渡ることで、人々の魂も救われる」と、工業デザインを志す。僧侶の傍ら、東京藝術大学で当時は未知の分野だったインダストリアル・デザインへ進出。「使いやすくて美しい量産品」を目指して、仲間(GROUP of KOIKE)とともに、多くのデザインを生み出した。一方で、「small but BEAUTIFUL」や「幕の内弁当美学」といった独自のデザイン論で、日本ならではの道具と人との関係や日本文化としてのインダストリアル・デザインの価値を国内外に向けて説き、職能の理解促進に尽力した。「デザインに出来ることは何か」と、災害など新たなデザインの領域にも早くから着手、後進を育成する一方で、人とモノの関係性を見直し社会のありようを考える「「道具寺構想」など、最後まで独特の哲学で日本のインダストリアル・デザイン界を牽引した。

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