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連続テレビ小説「おしん」

1983(昭和58)年4月、テレビドラマの金字塔ともいうべきドラマが始まる。連続テレビ小説『おしん』である。

山形の貧しい農家に生まれた少女・おしんが、明治・大正・昭和の激動の時代を背景に、さまざまな辛酸をなめながら女の生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を1年間にわたって描いた。原作・脚本の橋田壽賀子オリジナル作品。

『おしん』

『おしん』は、1年間の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%(11月12日)という驚異的な数字を記録。一大ブームを巻き起こした。

岡本由紀子チーフ・プロデューサー(当時)は、「従来のテレビ小説に見られたきれいごとではなく、厳しい人間のいきざまをリアルに描く“新生テレビ小説”です」と制作の意気込みを語っている。そして、1975年の『水色の時』以来半年で定着していた連続テレビ小説を、『鳩子の海』(1974年)以来の1年間で描くこと。80年以上にわたるヒロインおしんの人生を3人の女優が演じ分けることを発表。7歳から10歳までを演じたのは、100人の応募者の中から「シンの強いところがおしんにぴったり」と選ばれた小林綾子さん。16歳から45歳を演じたのは、『マー姉ちゃん』(1979年)でデビュー以後、テレビ、映画で一作ごとにきわだった個性とシャープな感性で若手No.1の成長株として注目を浴びていた田中裕子さん。そして、50歳から83歳は乙羽信子さん。乙羽さんは、自分の生きてきた道筋をふりかえりながら「おしんと私は辛抱強いところが似ている」と話していたそうだ。

おしんの少女時代を演じた小林綾子さん

  • 16歳からを演じた田中裕子さん
  • 50歳からを演じた乙羽信子さん

懸命に生きた明治女性の道のり

このドラマに、原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図したという。

『おしん』

橋田自身はだいぶ前から「私たちの暮らしは豊かになったけれど、本当に幸福なのかしら。豊かになるために、何か大事なものを切り落としてきたのではないかしら」という思いを抱いていたという。また、明治から昭和にいたる激動の時代を歩んできた人たちの生き方を、いましっかり書きとめておかなければ永遠に埋もれてしまうという危機感も抱いていた。そんな気持ちから週刊誌の投書欄を利用して明治女性の人生体験記とも言うべき手記を集め出した。2,3通でも貴重な体験にふれられればと思っていたのだが、いざ始めて見たらなんと段ボール1箱の手紙の山が届き、驚きとうれしさに思わず興奮したそうだ。それらの手紙をきっかけに丹念な取材を繰り返し、明治女性の生きてきた道のりを、おしんというヒロインに託して日本近代女性史ともいえるドラマを書き始めた。書き上げた原稿は延べ6000枚、単行本ざっと20冊分の分量に匹敵する。

橋田壽賀子さん(1983年撮影)

ストーリーを振り返る

全国の2人に1人は見た“国民的ドラマ”。その物語は、昭和58年、83歳になったおしんが、家を出て苦難の人生を振り返る旅から始まった。

連続テレビ小説 『おしん』

少女期 ~おしんは貧しさとたたかい、我慢に辛抱を重ねる

第1週(4月4日)~第6週(5月14日)放送

明治34年(1901年)、山形県最上川上流の小作農の父・作造(伊東四朗)、母・ふじ(泉ピン子)の三女として生まれたおしん(小林綾子)は、家が貧しく9人の大家族(祖母、両親、おしんを入れて6人の兄弟姉妹)の食事にも事欠く中、7歳の春、学校へ行けると喜んでいた矢先に、米1俵と引き換えに材木問屋へ子守り奉公に出される。

『おしん』小林綾子さん

そこで、おしんは早朝から夜遅くまで、満足な食事も与えられず働かされる。それでも、弱音を吐かずに耐えるおしんだったが、店の財布から50銭銀貨がなくなったことで、疑いをかけられたことに我慢できず、吹雪の中、飛び出してしまう。

『おしん』

実家に帰ったものの、貧しい家にはおられず、今度は酒田の米問屋・加賀屋に奉公する。おしんの根性と辛抱する心を高く買った女当主・くに(長岡輝子)に可愛がられ、習字やそろばん、帳簿付け、生け花、茶の湯、行儀作法を教えられる。

『おしん』

成年期 ~おしんは様々な人と出会い、そして成長する

第7週(5月16日)~第38週(12月28日)放送

大正5年、山形・酒田。おしん(田中裕子)は16歳の春を迎えていた。ある日、おしんは農民運動で警察に追われている高倉浩太(渡瀬恒彦)を助けたことから、想いを寄せるようになる。しかし、浩太は加賀屋の娘・加代(東てる美)と駆け落ち同然に東京へ。

『おしん』田中裕子さん

傷心のおしんは、8年勤めた加賀屋を去って実家に帰るが、姉の薦めもあり、東京に出ることを選ぶ。浅草の髪結いの師匠・長谷川たか(渡辺美佐子)のもとでの修行は、3年間給金をもらえない下積み生活。だが、当時、女性が独り立ちできる職業だった。

「たとえ10年辛抱したってええっ!自分の思うように生ぎられる女子になりっでえんだっすッ!」

そう叫ぶ、おしん。骨身を惜しまず働き、先輩を抜いて客のところに出向いて髪を結うまでになる。

『おしん』

そんなおしんに好意を寄せたのは、佐賀の士族の出の豪農、田倉竜三(並木史朗)。おしんも20歳になっていた。過労で倒れたおしんを見舞い、気遣う竜三の求婚をおしんは承諾する。小作農の娘とは身分が違うという竜三の母・清(高森和子)の反対を押して、2人は祝言をあげる。結婚4年目には長男・雄も誕生。竜三とともに苦労しながら田倉商会の経営を軌道に乗せる。しかし、幸せは長く続かなかった。不況のうえ、工場完成祝賀会のまさにその日、関東大震災が起こり、竜三の商売は破たん。一家は、竜三の佐賀の実家へ身を寄せることになる。

『おしん』

佐賀での生活は地獄だった。初めから結婚に反対していた姑は、勝手に一緒になった挙句の果てに無一文となって転がり込んだと、嫁のおしんにつらく当たる。それでも賢明につかえるおしんだったが、2年後、娘を死産して心身ともに傷つくと、夫を残し、長男を連れて東京へ帰り、さらに山形の実家に戻る。

しかし、実家にも、もはやおしんの居場所はなく、酒田で一膳飯屋を出す。おしん25歳、大正14年のことである。

「しあわせなんて、ひとがくれるものじゃない。自分で見つけるものなんだ」

『おしん』

その後、おしんは初恋の人・浩太の取り計らいで、三重県の伊勢に移り、魚の行商を始める。おしんの後を追ってきた竜三との関係も修復し、次男、次女も生まれて幸せな時期を過ごすが、それも戦争が踏み潰してしまう。

昭和20年、津で大規模な空襲に襲われた翌日に長男・雄の戦死の報が届く。そして、軍の納入業者として羽振りの良かった夫の竜三も、敗戦のショックから「私の人生で一番素晴らしかったことは、おしんに巡り合えたことだ」と言い残し、8月15日、自ら命を絶ってしまう。おしんは、またもやゼロからやり直すことになってしまう。

『おしん』

熟年期 ~おしんは戦後、激動の時を過ごした

第39週(1月9日)~第50週(3月31日)

おしん、激動の戦後が始まる。おしん(乙羽信子)は、裸一貫から魚の行商として再出発。戦後の混乱から高度経済成長の時代、おしんは必死に働き、生鮮食料品の店を出し、それを大きくする。

『おしん』乙羽信子さん

そして、昭和42年の春。67歳になったおしんは20人の従業員を抱えるスーパー「たのくら」の経営者となっていた。実質的な経営は、次男の仁(高橋悦史)に任せていたが、仁は堅実な商売を続けようとするおしんの反対を押し切り、積極的なチェーン展開を行う。やがて、三重県下に16の店を持つ中堅スーパーに拡大。昭和58年、17店目が開店するその朝、83歳になったおしんは独りひそかに旅に出る。

「今まで夢中で生きてきた途中に、大事なものをたくさん忘れてきてしまった」

故郷の山の中で静かにつぶやいたおしんは、生きた足跡を振り返えるように酒田、東京、佐賀、伊勢と歩き続ける。

国民的“憎まれ役”誕生

 ドラマで繰り広げられる世界が、まるで現実かのように見ている人たちを夢中にさせた結果、おしんをいびる立場を演じた役者は“国民的憎まれ役”とまで言われてしまった。幼少期のおしん(小林綾子)を徹底的にしごいた材木問屋の女中頭・つね役の丸山裕子さんは、「いじめるというより教育していたんでしょうね」と言いつつも、演じていても辛いなと思ったことがあったという。「おしめを投げつけるシーンは、自分でもなんてことやってるんだろうと思ってしまいました。冬でおしめが濡れていて冷たいんです。小林綾子ちゃんの、あの大きな目でじーっと見られると、もうダメって感じで」。それでも演出からは容赦なく「鬼になれ」と言われ続けたそうだ。

 佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。

  • つね役 丸山裕子さん
  • 姑・清役 高森和子さん

空前の“おしんブーム”

テレビドラマ史上最高視聴率62.9%を記録した『おしん』の人気は、「朝の放送時間は水道の使用量が激減した」と言われるほどで、おしんたちが空腹を満たすために食べた「大根めし」は、このドラマで全国的に有名になった。
「大根めし」は制作者がロケの下見で山形を回ったとき知ったもので、「カテ飯」と呼ばれる混ぜご飯の一つ。記録によると大根を米粒大に切って、米と一緒に炊く。配合は五分五分から、大根六分の場合もある。実際に炊くと水っぽく、しかも貧しい農家の場合、貴重な塩や醤油を味付けにつかうわけにもいかず、ただただ「不味い」ものだったという。

『おしん』

“おしんドローム”が流行語に

おしんの人気は数々の便乗商品を生んだ。おしんの故郷・山形では、「おしんまんじゅう」「おしん酒」などの土産物が販売され、最上川の舟下り「芭蕉ライン」は「おしんライン」に改名された。「おしんの子守唄」のレコードや、アニメ・漫画・舞台も次々に生まれた。

『おしん』

さらに、当時の竹下蔵相が「おしんに学ぶ日本経済」、中曽根首相が「おしん国会」と発言。当時の稲山経団連会長も「これからの時代はおしんのような、我慢の哲学が必要だ」と発言するなどブームは政財界にも波及。この年、糖尿病と闘いながら時間をかけて横綱に昇進した第59代横綱・隆の里は「おしん横綱」と呼ばれ、“おしん”という言葉が“辛抱”と同じ意味で使われた。

これら一連の動きは、「おしんシンドローム(おしん症候群)」と呼ばれ、その略語の「おしんドローム」は流行語になった。

放送期間中に再々放送!

『おしん』には放送開始以来、熱心な視聴者からの電話や投書が連日100件以上もNHKに寄せられるという前例のない大きな反響を呼んだ。その中でとりわけ多かったのが、学校に行く時間と重なるために朝、昼の放送を見ることのできない子どもたちにも、ぜひこの番組を見せたいという再々放送を希望する声だった。こうした反響に応えて放送開始後わずか3か月足らず再々放送が決定。夏休み期間中の7月25日から8月17日まで土日を除く18日間にわたって『おしん~少女編~』が放送された。

女が泣いた、男も泣いた

NHKは、放送開始半年後の1983(昭和58)年10月、全国の20歳以上の男女2,000人を対象に「おしんと日本人」の世論調査を行なった。その結果、98%の人が「『おしん』というドラマをNHKで放送していることを知っている」と答え、『おしん』を見ている人の44%が「涙した」と回答した。内訳は、男性が23%で、女性が56%。男性はおよそ4人に1人、女性は半数以上が涙したことになる。

『おしん』は多くの人の涙を誘い、その涙がさらにブームに火をつけていったのである。

世界も泣いた

『おしん』は放送中から海外でも評判となり、各国から引き合いが相次いだ。1984(昭和59)年秋のシンガポールに始まり、これまで世界60以上の国と地域で放送され、「日本といえばおしん」と連想されるほどの反響を巻き起こした。

シンガポールが『おしん』を、海外で初めて放送したきっかけは、駐日シンガポール大使の黄金輝(ウイ・キムウイ)氏が、おしんの大ファンだったことによる。日本での放送当時、日本在住の外国人の間にも“おしんブーム”が起こり、毎日、欠かさず見るという人が数多くいたが、ウイ氏もその1人だった。大使の任期を終えたウイ氏は、シンガポール放送協会の経営委員長に就任することになり、NHKに「私は『おしん』の大ファンである。是非シンガポールで放送したいので提供してほしい」と申し入れた。

シンガポールで放送が始まると、視聴率は80%に達する大ヒット。これが呼び水となって、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送された。海外での放送は、日本語版や英語版に自国語の字幕スーパーを入れたり、自国語で吹き替えたりした。各国での反響は、日本国内に勝るとも劣らないものだった。

中国では、日本で放送された翌年、1985年3月から中国語の吹き替えで放送され、北京での視聴率は75.9%を記録した。中国語で『おしん』は、『阿信』(アーシン)と表記された(中国語の「阿」が日本語の「お」に相当し、「信」の方は当て字)。主な反響は、「登場する日本人たちが現在の経済大国の底力であったことがわかり納得できた」「中国と日本に共通した伝統的な倫理観が根ざしている。だから我々は何の抵抗もなくこのドラマを受け入れることができた」というものだった。

ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るために、お祈りの時間を変更した。

タイでは、当時、日本の経済進出に対する批判記事が毎日のように新聞に掲載されていたが、『おしん』の放送が始まってしばらくすると少なくなった。

エジプトでは、生まれた子どもに『おしん』と名付けるひとたちがいた。

カナダでは、『おしん』のために現金や米が放送局に届いた。

モンゴルでは、放送時間に道路から人の姿が消えた。

イランでは最高視聴率90%超を記録した。

『おしん』は、日本にも貧困の時代があったことを知らせ、発展途上国の人々を勇気付ける効果も示したのだった。

  • 『おしん』の物語に世界中が涙した

日本での放送終了から7年たった1991年2月、東京経団連国際会議場で、おしんを放送した世界各国の関係者が集まり、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」(主催:NHKインターナショナル)が開催された。パネリストとして参加した原作・脚本の橋田寿賀子さんは「日本を支えた人たちを書きたかったという気持ちが皆さんに伝わったことは、非常にうれしゅうございます」と発言。それに対し、中国社会科学院の李徳純氏は「あなたたち日本人だけの『おしん』ではない。私たち、中国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人、全世界の『おしん』です。日本のみなさんは独占してはいけません。おしんという人物のイメージ、特にその民族精神、これを私は、全世界の共有する尊い財産だと思います」と語った。

日本のある1人の女性の生涯を丹念に描くことで、逆に、『おしん』は世界共通語となったことを、李徳純氏の言葉は雄弁に語っている。

『おしん』を放送したおもな国と地域

  • 1980年代:シンガポール、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国、ポーランド、香港、マカオ、ブラジル、ベルギー、カナダ、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、メキシコ、カタール、バーレーン
  • 1990年代:シリア、フィリピン、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、パキスタン、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、エジプト、インド、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、キューバ、ベトナム、台湾、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン
  • 2000年代:コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、エリトリア、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタンなど

『おしん』の舞台裏

大ヒットの裏には、ホンモノよりホンモノらしいリアリティをめざした、制作スタッフたちの強いこだわりがあった。

今も名場面として語り継がれているのが、おしんが奉公に出るためにいかだで最上川を下るシーン(第7回放送)。1月中旬、一面の雪の中で行われた山形ロケでは、最上川を見下ろす山の上から俯瞰で撮影することになった。しかし、いざ山の上からいかだをカメラに収めようとすると、その直前にいかだを川に押し出すスタッフの姿がまるで雪の中の黒い点のように映ってしまう。そこで登場したのが大きな白い布で、頭からすっぽりとかぶり雪になりすますというもの。白い布作戦は見事に功を奏し、いかだ以外は人っ子ひとりいない雪景色が完成した。

ちなみに、このいかだはロケ地となった山形県西村山郡大江町役場の全面的な協力で出来上がったものだ。撮影当時には、ほとんど見られなくなっていたいかだだが、若いころ地元でいかだ流しをしていたという斎藤欣次郎さん(72歳)の指導で、当時とまったく同じ藤づるを使って組み上げた。万が一にも崩れることがあってはならないので、見えないところはワイヤーで補強したが、その上からつるをまきつけてカムフラージュ。船頭役には指導にあたった斎藤さんがそのままあたり、昔取ったきねづかで巧みにいかだを操ってもらった。

おしんの母・ふじ役は泉ピン子さん

本物のセットで、役者も真剣に

『おしん』演出のチーフを務めた元ディレクターの江口浩之氏に、放送から25年たった2008年5月にインタビュー。『おしん』の舞台裏をじっくり聞いた。

江口浩之氏

(江口) 「『おしん』制作スタッフの合言葉は『朝ごはんの箸が思わず止まってしまうテレビ小説』でした。当時は、朝ドラ(連続テレビ小説)の時に朝ご飯食べて、終わるとサラリーマンが出勤して行くんです。そのサラリーマンに箸を止めてもらい、“ながら視聴”ではなく、じっくり専念して見てもらおうと考えたのです。そのためには、ドラマ性がないとダメ。そこで、明治、大正、昭和を生き抜いた女性の一代記を強力に訴えていく番組を作ろうということになったわけです」

『おしん』撮影の様子

きれいごとではなく厳しい時代に生きた人間をリアルに描く、新しい朝ドラを――そのために、江口は、美術、照明など制作スタッフとともに徹底的にリアリティにこだわった。そして、時代考証の小木新造(後の江戸東京博物館長)と共に、史実に照らし合わせながらドラマで描かれる時代の衣装や生活用具などを細部までチェックした。ご飯一つをとっても、米の色、釜の形、火を焚く材料、米の他に何が入っていたのかを一つ一つ調べた。貧しさの象徴として有名になった「大根めし」でも、大根は何で切ったのか、などなどディテールにこだわった。

――なぜ、そこまでこだわったのですか?

(江口) 「セットや小道具などの出来具合は役者の演技に影響するんです。本物だと思うとその気になるんですね。明らかにニセモノだとわかると演技に力が入らなくなってしまいますから。セットがリアルになると、役者も真剣になるんです」

毎回、長い橋田脚本と格闘

連続テレビ小説1回分の放送15分の原稿は、400字詰めの原稿用紙で約20枚。『おしん』1年分(放送回数309回)で、原稿用紙6180枚になる。一冊300ページ程度の単行本に換算するとなんと20冊強。原作・脚本の橋田壽賀子にかかるエネルギーと負担は波大抵のものではない。

江口は、毎週、橋田壽賀子の自宅のある熱海に、脚本を受け取りに行った。その台本は、毎回、長くてほとんどの回で一部をカットしなければならなかったという。

(江口)「橋田さんのホン(脚本)ってね、すごく長いんですよ。1本15分じゃ入らないんです。だから、ほとんどの回でカットしているんです。それで橋田さんにも、『ちょっと長いから、原稿用紙10枚分ぐらい削ってください』と話したことあるんですが、橋田さんは『私ね、書きたいことを書かないとダメなんです。後は勝手にしてください』ってね(笑)。だから時間内に収めるために、何ページも切って行くわけです。それが大変なんですよ(笑)」

――15分に収めるために、どれぐらいカットしたんですか?

(江口) 「その回によって違いますが…。まず、台本の段階で切るでしょ。収録してさらに長いから編集段階でまた切るんです」

ヒットを確信した米一俵の贈り物

『おしん』の視聴率は、1年間の平均52.6%、最高62.9%という驚異的なものだったが、第1回の視聴率は32.9%。当時の朝ドラとしては特別に高かったというわけではない。しかし、わずか1か月後には50%を突破する。江口がそのころ、「このドラマはヒットする」と確信したエピソードが2つあったという。

(江口) 「ひとつは、隣のスタジオで『御宿かわせみ』(続編=1982~1983年放送)というドラマを収録していたんですが、その主役の真野響子さんが『おしん』を収録していた106スタジオのモニターに映った収録映像を見て、泣いていたのを目撃したときです。これで絶対大丈夫だと思いました(笑)」

――もう一つは?

(江口)「おしんが米一俵で奉公先に売られましたでしょう。そうしたら、新潟から米一俵がNHKに送られてきたんです。『これでおしんを取り返してくれ』ってね。新潟の視聴者の方からです。きっとおしんと同じような苦労をして、今はちゃんと生活出来るようになっている方だと思うんです」

――ドラマ部に届いたんですか、米一俵が?

(江口) 「そうそう。それから他にも、お金が送られてくることもありましたね。さすがに、お金は返しましたが、送っていただいたお米はお気持ちを頂戴してドラマで使う“大根めし”にしました。『ドラマで食べている大根めしはあなたに送っていただいたお米で作っています』って連絡して(笑)。そんなことがあって、多分、ヒットするだろうって。ドラマとして見るんじゃなくてね、現実として視聴者のみなさんは見ていたんですね。自分の生き様と重ね合わせたんですよ」

制作者と役者の情熱が見たいドラマを生む

――中国の胡錦涛国家主席が、来日前の会見(2008年5月)で、深い印象を受けた番組として『おしん』を挙げていましたね?

(江口) 「作った人間としては嬉しいけれど、25年経っても、まだ『おしん』が取り上げられるのはなんだか寂しいですね」

――寂しい?

(江口) 「今のドラマに、なにか制作スタッフや役者の情熱が感じられないんです。最初に見たくないと思っていたテレビドラマであっても、制作者や役者が情熱をもって作っていれば、その熱気で自然と見ているんですよね。最近、そういう熱気のあるドラマが昔に比べて少なくなってきていませんかね。制作者が本当に作りたくて作っているのかなという感じで…」

――江口さんにとって、ドラマとは?

(江口) 「ドラマって何かと言ったら、俺の場合はおれの人生だよね」

――人生、ですか?

(江口) 「やりたくてやっているからさ」

江口浩之(えぐち・ひろゆき)

1937(昭和12)年、神戸市生まれ。1962(昭和37)年NHK入局。大阪局芸能部をへて、東京・ドラマ部へ。手がけた作品に、『ゼンマイじかけの柱時計』、大河ドラマ『花神』『草燃える』、連続テレビ小説『水色の時』『本日は晴天なり』『おしん』などがある。

ステラNHK名作座 コラム

世界が注目した女性の一代記

 山形の貧しい小作農の子おしん(小林綾子)は、父(伊東四朗)に奉公に出ろと言われる。学校に行きたいおしんだが、母(泉ピン子)が凍てつく川に自ら入り流産しようとするのを目撃。「おれ、奉公さ行ぐ」と決意する。貧困、いじめ、修業、大切な人との別れ。やがて、おしん(田中裕子)は結婚、しかし関東大震災ですべてを失う。さらに日本は戦争の渦の中へ……。

 最高視聴率は日本のドラマ史上最高の62・9㌫を記録。世界各国でも放送された。その魅力の第一は、きれいごとで済まさず、時代の現実を一年通して描いたことだろう。大根めしも満足に食べられなかったおしんが、麦飯のうまさに感動しただけで、ほっとしてしまう。そして織り込まれる反戦の心。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を朗々と詠みきった、おしんの恩人俊作あんちゃん(中村雅俊)は脱走兵として射殺されるのだ。完結編(第262回~最終回)ではスーパー経営で成功したおしん(乙羽信子)と家族が描かれる。嫁姑、世代格差、橋田壽賀子得意のホームドラマも展開。どこを切り取っても生きるための教えが詰め込まれた力強いドラマである。

文/ペリー荻野

【アカイさんの一言】

1993年、NHK衛星第2『BS青春TVタイムトラベル』で、民放とNHKの過去に放送されたテレビ番組から「もう一度ふれたいあの感動」のファン投票を行なったところ、100万人の投票から選ばれた第1位は『おしん』だった。2013年には、映画化もされ、テレビドラマで子ども時代を演じた小林綾子、母・ふじを演じた泉ピン子らが別の役柄で出演し、話題となった。
1人の女性の生き方は、今なお時代を越えて多くの人々の共感を呼んでいる。

  • 放送期間1983(昭和58)年4月4日~1984(昭和59)年3月31日
  • 主な出演者
    • おしん:小林綾子(7~10歳)
    • 田中裕子(16~45歳)
    • 乙羽信子(50~83歳)
    • 父・作造:伊東四朗
    • 母・ふじ:泉ピン子
    • 祖母・なか:大路三千緒
    • 少女期のおしんと出会う逃亡兵・俊作:中村雅俊
    (加賀屋)
    • 祖母・くに:長岡輝子
    • 父・清太郎:石田太郎
    • 母・みの:小林千登勢
    • 娘(おしんのライバル)加代:東てる美
    • おしんの永遠の恋人・高倉浩太:渡瀬恒彦
    • 髪結いの師匠・長谷川たか:渡辺美佐子
    (田倉家)
    • おしんの夫・田倉竜三:並木史朗
    • 夫の父・田倉大五郎:北村和夫
    • 夫の母・田倉清:高森和子
    • 夫の家の執事・源右衛門:今福将雄
    (おしん夫妻の家族)
    • 次男・田倉仁:高橋悦史
    • 次男の妻・道子:浅茅陽子
    • 次女・田倉(崎田)禎:吉野佳子
    • 次女の夫・崎田辰則:桐原史雄
    • 加代の子ども・八代希望(加代の死後、おしん夫妻が養育):野村万之丞
    • 希望の子ども・八代圭:大橋吾郎
    • おしんの養女・田倉初子:佐々木愛
  • ナレーター奈良岡朋子
  • 橋田壽賀子
  • 音楽坂田晃一
  • 考証小木新造
  • 制作岡本由紀子
  • 演出江口浩之、小林平八郎、竹本稔ほか
  • デスク山岸康則
  • 美術田坂光善、宮井市太郎、増田哲
  • 技術設楽国雄、白石健二
  • 照明渡邊恒一、増田栄治
  • カメラ後藤忠、沖中正悦
  • 音声金光正一、近藤直光、若林政人
  • VE福井功一
  • 効果水野春久、林幸夫、小林光

※NHKアーカイブスブログ(2008年6月27日)より転載、加筆

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