番組エピソード
大河ドラマ『徳川家康』
戦国時代を知恵と勇気と忍耐で生き抜き、戦乱の世を統一した徳川家康。徳川300年の平和の礎を築き上げるまでの波乱の生涯をダイナミックに描く。
母・於大(大竹しのぶさん)
父・松平広忠(近藤正臣さん)
僧・隋風(竜 雷太さん)
徳川家康(滝田 栄さん)
家康誕生前からのスタート
山岡荘八氏の原作『徳川家康』は、昭和25年から42年まで20年近くにわたって新聞に連載された歴史小説で、原稿用紙にして1万7400枚という長編だった。このドラマ化にあたって、家康75年の生涯のどこからどこまでを描くのかということが、スタッフや脚本家の間で討議された。原作の一部を使うという案も出たが、最終的には原作同様に家康の母・於大の輿入れから始めるべきだと全員一致で決まった。
脚本の小山内美江子さんが、「今回の大河ドラマは、徳川家康の生涯75年間とその時代を描くものである。正確に言えば、ドラマの幕開けは家康の母・於大の結婚から始まり、主人公は第1回目の終わりで産声を上げることになる」と書いているように、家康が生まれる前から76年間の物語となった。それは、「於大を描かなければ家康も描けない」ということであり、「天下を取った後、大坂城攻めの決意と、その1年後、統一国家日本の運営に心血を注いで死ぬまでを語らなければ家康という人物が完結しない」というスタッフ全員の思いからだった。
これほど長い物語ともなると、第1回から最終回(第50回)まで全回を通じて“生きている”人物はただ1人、後に家康のブレーンとして活躍する南光坊天海のみだ。第1回は、正体不明の放浪僧・随風として登場、最後は家康の葬式まで立ち会っている。演じたのは数々の大河ドラマでおなじみの竜雷太さんだが、実はこのときがNHKドラマ初出演だった。
隋風は少年時代の家康に大将としての心構えを説く
VIP級の出演者(?)に緊張
スタジオで最初に撮影したシーンは、大竹しのぶさん演じる家康の母・於大が、わが子の無事誕生を念じて水ごりをする場面だった。そのシーンのあと、家康誕生の折に於大が安産祈願をした鳳来寺から普賢菩薩真達羅大将(しんだらたいしょう)の像がこつ然と消えるというエピソードが撮影された。寅の神鉾(しんぼう)を持って立つ普賢菩薩真達羅大将は諸悪を降す戦の神ということで、家康こそ普賢菩薩の生まれ変わりだと岡崎城下が喜びの声にわいたというもの。このとき登場した真達羅大将はあるお寺から借りた本物の仏像で、大変貴重なものだったそうだ。スタッフが何度もお寺に足を運び、お願いしてようやく実現したとか。それだけに取り扱いには慎重を期し、スタジオに置かれた仏像に、うっかり手がふれたりしないようにと撮影直前まで周囲に縄を張り、さらに「貴重品なり、絶対に手をふれるな」との札まで置き、VIP並みの扱いで撮影を終了。幸い、何事もなく無事返還することができた。
水ごりをする母・於大
普賢菩薩真達羅大将の像
ロケのエキストラにスタッフ集結
家康といえば、75年の生涯を三方原の戦いや関ヶ原の戦いなど合戦に次ぐ合戦で送った人物だ。そこで、御殿場で行ったクランクインロケでも、来る日も来る日も合戦シーンを撮り続けた。ところが、ロケ3日目に合戦に出演するエキストラがロケ地に来られないというハプニングが起きてしまった。エキストラは毎日東京からバスでロケ地入りしていたのだが、東名高速道路で事故があり、彼らを乗せたバスもその影響で立ち往生してしまったのだ。しかし、撮影を遅らせるわけにはいかない。そこで、急きょ、スタッフが雑兵などに扮してエキストラをつとめることになった。
効果、大道具、演出、美術など、出られるスタッフはすべて衣装をつけて、ようやく20名の兵が揃った。その中には渋谷康生チーフ・プロデューサー(当時)の姿も…。その数で撮影できる場面だけでもとスタートしたのだが、日ごろは縁の下の力持ちのスタッフたち。突然、表に出ることになったせいか、目立ちたがってやり過ぎの演技をして注意されるという、ほほえましい場面もあったとか。とはいえ、毎日現場で撮影に携わっているプロだけに動作は手慣れたもの、撮影は順調に進んだ。およそ6時間遅れでエキストラが到着したときはスタッフ全員が、ほっと一息ついたものの、どこか残念そうな表情も見せていたそうだ。

主役の名演技をささえるエキストラたち
音楽はゆかりの地の思い出とともに
テーマ音楽を担当したのは作曲家の冨田勲さん。大河ドラマの音楽を手がけるのは、『花の生涯』『天と地と』『新・平家物語』『勝海舟』に続く5作品目となったが、『徳川家康』の依頼を受けたときはとても嬉しかったそうだ。それというのも冨田さんの郷里は徳川家康の生誕地・岡崎市。子どものころから、小学校の先生や祖母から何かにつけて家康の話を聞かされながら育ったという。ことに冨田さんの祖母は大変な信仰者で「おこるなおこるな決しておこるな」という家康の言葉をよく口にして、いたずら盛りの冨田さん兄弟にお説教はしても、ただの一度も怒った顔を見せたことがなかったそうだ。
また冨田家から歩いて2,3分のところには、家康が8歳のころに2週間ほど預けられた法蔵寺があり、子どものころの冨田さんは竹千代が書いた習字や境内の写生、日用品の数々をたびたび見る機会があったという。それらは現在も大切に保存されていて特別行事の際などに一般公開されている。冨田家先祖の墓も法蔵寺境内にあるということで、『徳川家康』の音楽を担当することに特別な感慨があったようだ。
作曲家 冨田勲さん
歴史上トップクラスの有名人にプレッシャー
歴史上の有名人の中でも群を抜く知名度を誇るのが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑だ。それだけにイメージも人それぞれ、演じる俳優にとっては役作りを含めて課題が多いという。豊臣秀吉を演じた武田鉄矢さんも「最初は、『太閤記』『黄金の日日』の緒形拳さんや、『おんな太閤記』の西田敏之さんの秀吉ばかりを意識して、とてもやりにくかったですね」と語っている。本能寺の変の後くらいから「少し落ち着き始めた」というのだから、中盤までは悩みながら演じていたようだ。そうした迷いを吹っ切ることができたのは、ある雑誌に掲載されていた田中角栄元総理のインタビュー記事だったという。「“今太閤”といわれた角栄さんの人柄にふれたとたん秀吉像が近づいてきて、その辺から自分なりに演じられるようになってきました」。
武田鉄矢さん演じる秀吉
『徳川家康』(1983年)
西田敏行さん演じる秀吉
『おんな太閤記』(1981年)
緒形拳さん演じる秀吉
『黄金の日日』(1978年)
織田信長役の役所広司さんが原作を読んですぐに頭に浮かんだのが、映画『七人の侍』で三船敏郎さんが演じた型破りの乱暴者・菊千代だった。そこで「信長の悪童時代は菊千代風に演じるようにしました」。しかし、いつまでも悪童だったわけではない。その後の信長をどう演じるのか、ずいぶん悩んだという。「秀吉、家康よりも年上で、その分、考えていることも2人より先だろうし、そういう芝居をしなくてはいけない」。実年齢では、秀吉役の武田鉄矢さん、家康役の滝田栄さんより年下だったこともあり難しかったそうだが、最後には信長のことが大好きになったと話していた。
信長の悪童時代から本能寺での切腹までを演じ切った
役所広司さん
ステラNHK名作座 コラム
家康の従来イメージを一新!
このドラマは「腹の中が読めぬたぬき親父」などといわれる家康の従来イメージを一新させた。
特に印象的だったのは、戦のない世を実現させる強い決意。そして、人への強い思いだ。戦いは家庭にも及ぶ。宿敵武田と通じた築山殿は家臣に殺され、嫡男・松平信康(宅麻伸)は「身の潔白を示す」と切腹。死の直前、信康が扉の外で「父上!」と呼んでも、家康は「帰れ!」と言うしかない。その苦しさは想像を絶する。一方大坂夏の陣、落城寸前でも家康は淀君(夏目雅子)らに降伏を勧めようとする。家臣に反対されると「それが戦の礼だと思え」と一喝する。家族にも家臣にも敵方にも、人への思いがこれほど強い家康を見たことがなかった。
関ヶ原の戦シーンは、俳優よりも馬が倒れ込むほどの大迫力。特殊メークが発達していない当時、晩年の家康の老けメークはスタッフの努力と工夫の賜物だったという。家康の滝田栄、信長の役所広司、秀吉の武田鉄矢。面長トリオの戦国三英傑はじめ、輝くように美しい夏目雅子の淀君、理知的な鹿賀丈史の石田三成、情熱的な若林豪の真田幸村などすばらしいキャストがそろう。
文/ペリー荻野

- 大河ドラマ『徳川家康』 【1983年放送】
戦国の世を終わらせた英雄、徳川家康の苦難に満ちた人生を描いた大作。
原作:山岡荘八 脚本:小山内美江子 音楽:富田勲 語り:館野直光アナウンサー
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