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タイトルタイトル: 日本ニュース 第7号
公開日公開日: 1940年(昭和15年)7月23日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 沙市攻略入城  02:27
[2]2 チャプター2 問題の援蒋ルート仏印国境を衝く  02:14
[3]3 チャプター3 新体制の確立へ第二次近衛内閣成立  03:24

チャプター

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公開日公開日: 1940年(昭和15年)7月23日

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宜昌防衛の第一陣、沙市を目指す地上部隊の延々たる大行進を脚下に、我が陸の荒鷲は頑敵を求めて快翔(かいしょう)。俄然(がぜん)、敵の有力部隊を発見するや、これに猛烈なる機銃掃射を浴びせました。
好機至る一斉に砲門を開いた各部隊は、前面無数のトーチカ陣地めがけて天地も砕けよと猛撃を敢行。堅塁による50万の頑敵も我が猛攻に耐えかねて浮き足立てば、藤崎、蒲浦、坪島、高木の諸部隊は突撃に次ぐ突撃を強行、炎熱、実に(華氏)120度、夏草も焼ける暑熱もものかは、雪崩のごとく、城西平原をひた押しに押し進みました。
堅塁沙市、光炎に揺らぐ、時を移さず皇軍の精鋭は、三方より城門に殺到しました。時に6月8日、午後4時25分。城内の残敵は右往左往に逃げ惑い、ことごとく我が軍の手に捕らえられました。
この神速果敢の我が攻撃に狼狽(ろうばい)した敵は、いたる所に火を放ち、市中は炎の海と化しましたが、皇軍の将兵は黒煙を潜って残敵を掃討、輝く戦果を収めました。
かくて威風あたりを払う皇軍堂々の入城式は行われ、ここに宜昌防衛の第一陣、沙市は完全にわが手中に帰しました。

重慶政府の輸血最大の動脈である仏領インドシナの援蒋ルート、そのひとつはハノイよりイカスラに至るもの、他のひとつはハイフォン、ハノイより鎮南関(ちんなんかん)をふるもの。この二大ルートによって重慶政府は今日まで抗戦の余命をつないでいたのであります。
この輸血路を遮断し、抗日政府の迷夢を覚まさんと、(華氏)100度を超える猛暑炎熱のもと、断固援蒋ルートの完封を期し、我が精鋭は突如、仏印国境に殺到しました。我が断固たるこの決意にフランスもその非を悟り、イギリスもまた援蒋行為の禁絶を承認するに至りました。
ここ仏印国境、峨峨(がが)たる山嶺に包まれた彼我の国境監視哨は眼下に延々たる白一条(はくいちじょう)の援蒋ルートを眺め、ハノイまで171km、仏印のドンダン、ランソンの町がかすかに見られます。
灼熱(しゃくねつ)の太陽に握る銃身は火と燃えるとも、淋漓(りんり)たる熱汗を払いもせず、各所の我が監視兵たちは脚下の大道をにらんで、微動だにしません。
7月12日、先に仏領インドシナに派遣された西原少将一行の現地監視員の一部は、フランス国旗をもった安南兵を従え、鎮南関(ちんなんかん)において我が前線部隊と大木を切り倒した境界を中心に感激的な会見を行いました。
我が厳重なるルート完封の鉄槌(てっつい)は、各地にその鋭鋒を発揮し、セメントおよび援蒋物資の主要なものを多数押収しました。

7月16日、米内内閣は突如、総辞職を決行。ここに強力新政治体制確立の中心的存在である近衛文麿公は同日午後、軽井沢の山荘を出で、急ぎ帰京、荻窪の私邸に入りました。
翌17日、午後7時20分、宮中よりの御召しの電話に接した近衛公は、直ちに宮中に参内、後継内閣組織の大命を拝しました。
ここに近衛公は、まず陸・海・外の3閣僚を決定し、19日午後3時、荻窪の私邸に4相会議を開きました。まず、外務大臣に内定した松岡洋右氏、続いて陸軍大臣・東條英機中将、最後に海軍大臣に留任した吉田善吾中将。
かくて4大臣一同に会し、約3時間半に渡って、わが国防外交の最高峰、省議、4氏の間に完全なる意見の一致をみました。4相会議において組閣の基礎を固めた近衛公は、直ちにその他閣僚の選考に着手しました。

(記者会見)
《政府広報者》
「星野氏、10時10分来訪。無任所大臣として企画院総裁を兼ねることの交渉をいたしました。」
<記者>(電話で)
「もしもし、星野、無任所相、決定だよ。星野、無任所相、兼任企画院総裁。すぐに出してくれ。」
(電話切る)
《政府広報者》
「河田烈氏は0時50分、辞去いたしました。これは大蔵大臣として入閣を交渉したものであります。承諾を得ました。」

かくて慎重な組閣工作は、22日に至り、ようやく完了。同日夕刻、新閣僚一同は霞山会館に会し、近衛公は宮中の御都合を伺って参内、閣員名簿を奉呈いたしました。
引き続き一同は宮中における親任式を終えて、初の首相(音声中断)官邸入りをしました。
まず、海軍大臣・吉田善吾中将、外務兼拓務大臣・松岡洋右氏、司法大臣・風見章氏、商工大臣・小林一三氏、逓信兼鉄道大臣・村田省蔵氏、無任所大臣兼企画院総裁・星野直樹氏、内務兼厚生大臣・安井英二氏、文部大臣・橋田邦彦氏、陸軍大臣・東条英機中将。かくて難局打開の決意も固く、官邸入りをした一同は記念撮影を行い、ここに第2次近衛内閣は強力新政治体制確立の重責を双肩に、輝かしきその第一歩を踏み出したのであります。