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タイトルタイトル: 日本ニュース 第12号
公開日公開日: 1940年(昭和15年)8月26日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 最近の仏領印度支那  03:14
[2]2 チャプター2 山梨県農園婦人の勤労<週間話題>  00:50
[3]3 チャプター3 防火設備<週間話題>  00:38
[4]4 チャプター4 イギリス駐屯軍引揚げ<週間話題>  00:57
[5]5 チャプター5 特集 ドイツ軍英本土総攻撃開始  03:53

チャプター

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公開日公開日: 1940年(昭和15年)8月26日

ニュース映像について

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仏領印度支那、援蒋ルートを封鎖した仏印とは、果たしていかなる所か。我が特派員はあらゆる困難を冒して、この一報をもたらしました。さながら支那の都市かと思われるハノイは、政治の中心であり、町の要所要所に見る防空壕はいかにも物々しさを思わせ、商業上、実権を握る華僑をはじめ、安南人(あんなんじん)など、雑多な人種が雑居し、最近まで援蒋ルートの根拠地として、我が対支行動に牽制(けんせい)的態度をとった所です。

汪精衛(おうせいえい)氏の同志として和平運動に奔走した曾仲鳴(そちゅうめい)氏が暗殺された所も、このハノイで、この家屋の3階の最も左の部屋であります。敵性行為の禁絶を協議する政庁もこのハノイにあって、西原少将をはじめ、我が仏印監視隊は、円満解決の道を講ずべく、仏印総督と会見いたしました。

ハノイの駅は、ハイフォンを基点としラオカイを通り、支那国境を越えて昆明に至る援蒋ルートの策源地で、かつて莫大な援蒋物資を重慶に送った、その同じ列車に投じ、我々は国境ラオカイに向かいました。この沿線一帯は一望千里、(摂氏)45度の熱風吹きすさぶ密林で、今もなお猛獣が出没する有名なジャングル地帯であります。

支那国境に近いラオカイから昆明に至るてん越(えつ)線の鉄道線路は、我が援蒋行為禁絶の要求を入れて、早くも仏印側によって切断されていましたが、柵の向こうは支那領で、機関銃の銃口が絶えず我々を威嚇し、危険な撮影を続けました。なお、ここにも我が監視団本部があり、厳重な監視の目を光らせています。

ハイフォンは仏印最大の港で、今もなお、市の内外には海路陸揚げされた援蒋物資が山をなし、輸送するあてもなく、あちらこちらに雨露にさらされています。港には各国の船が錨(いかり)を降ろし、旭日の軍艦旗をかざした我が軍艦も入港し、仏印側武官の訪問を受け、重要な会談が行われ、かくて我が監視隊は聖戦完遂のために、仏印側の誠意を厳重に見守り、援蒋物資禁絶を期しております。

銃後の農村にめざましく働く乙女たちには、早くも忙しい収穫の秋が訪れました。ここは山梨県勝沼郡。甲州ブドウのたわわな房が、晩夏の日を受けて美しく輝いています。
早くも訪れた味覚の秋、実りの秋は、農村の人々にとっては穫り入れに忙しい勤労の秋でもあります。

防火改修家屋の力を試す防火実験が、このほど東京隅田公園運動場で行われ、阿部警視総監、大久保市長、東大内田祥三(うちだしょうぞう)博士をはじめ、関係各方面から多数参列。警防団員、婦人会員ら1万あまりの観衆の前に、モルタル塗りの壁をもつ改修家屋の威力をみごとに発揮いたしました。5000円で新築された実験家屋に焼夷灯によって点火。普通家屋2戸は約15分で焼け落ちましたが、隣接した改修家屋はモルタル塗りの壁を焦がしただけで、びくともせぬ心強さを見せ、一般の防空防火熱を一段と高めたのであります。

北支に続いて上海からも引き揚げることに決したイギリス駐屯軍は、カー大使列席のもとに去る8月19日、聖アンジェロ競馬場で名残の閲兵式を行いました。
越えて21日、先発隊300名は在留イギリス人の哀愁のうちにアメリカ海軍軍楽隊の先頭歓奏を受け、まず南京路を通過、沿道に並ぶ見送りの瞳に無言の別れを告げつつ、一路、バンドを経て、ガーデンブリッジを通過、ジュンタイ碼頭(まとう)に向かい、無量の感慨を胸に秘めて引き揚げることになりました。

ドイツ最後の和平勧告案も、ついにイギリスの容(い)れるところとならず、ヒトラー総統は断固イギリス本土総攻撃を決意し、急遽(きゅうきょ)国会をベルリンのクロールオペラに招集しました。
国会に臨んだヒトラー総統は、ヨーロッパに新秩序を建設せんがために、イタリアと協力、イギリスを総攻撃せんと獅子吼(ししく)すれば、臨場のチアノ・イタリア外相は議席より立ち上がって拍手を送り、全ドイツ国民、また奮い立って決戦の覚悟を新たにしました。
ドイツはいかなる武器と戦略によって攻撃するか、ドーヴァー海峡の最短距離は実に40km。東京・千葉間の距離に相当します。フランス海岸に据え付けられた長距離砲は、その射程距離200km。海峡を越えて対岸を攻撃することができる。かくて海峡一帯にかけて遊弋(ゆうよく)するイギリス艦隊は、この弾雨下にさらされることになりました。
さらに空軍は、いかなる進路を取って英本土を襲うか、トロントハイムからアイスランドまで1520km、アイスランドからクラマティへ1160km。スタヴァンゲルからスカパフローへ450km、スタヴァンゲルからロンドンへ720km。ジルト島からロンドンへ480km。このあたりはパラシュート部隊が活躍する地方と予想されています。
ブレストからコークまで480km。コークからロンドンデリー、ダブリン、ペンフローク、さらにダブリンからイングランド北部、このあたりもパラシュート部隊活躍の地方と予想されています。
前大戦に連合国側に封鎖された苦い経験に鑑(かんが)み、ノルウェーを攻略したドイツの北方よりのイギリス攻撃は、その距離720km。優に爆撃機の行動圏内に入ります。対英攻撃の花形中の花形、ユンカース、メッサー・シュミット、スッカーなど、攻撃機急降下爆撃機は堂々の大編隊を組んでイギリス本土を急襲します。
ついで海軍は英本土封鎖作戦をとり、北海、英仏海峡、セント・ジョージ海峡、ノース海峡を封鎖しました。
キール軍港に潜んでいたドイツ海軍の精鋭は、総攻撃とともに一斉に出動。燦然(さんぜん)の海の隼(はやぶさ)、シュネルボートすなわち快速艇は、時速40ノットの超スピードをもってフランス・カレーから対岸ドーヴァーまでわずか1時間。この快速をもって海上を縦横に疾駆し、魚雷による奇襲攻撃に華々しい活躍をしています。
前大戦にも、また今時大戦にも、海の狼Uボートの活躍はめざましく、北海から英仏海峡にかけて出没。イギリス艦隊の心胆を寒からしめ、前大戦と逆に英本土封鎖の体制を整えました。
10世紀以来、900年の長きに渡り、外敵の侵入を許さず、かのナポレオンの大軍もスペインの無敵艦隊をも撃破した大海軍国が、破竹の勢いで進撃するドイツ軍の攻撃に果たして耐えうるかどうか、世界戦史未曽有の大攻防戦は、初秋の英本土を中心として展開されていきます。