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タイトルタイトル: 日本ニュース 第21号
公開日公開日: 1940年(昭和15年)10月30日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 集ふ興亜若人五万神宮体育大会開く  02:41
[2]2 チャプター2 経済交渉期待裡に 松宮使節ハノイ入り  01:01
[3]3 チャプター3 軍用保護馬継走大騎乗大会<週間手帳>  01:49
[4]4 チャプター4 パラオコロール島住民南洋神社で勤労奉仕<週間手帳>  00:54
[5]5 チャプター5 南京の慰問大相撲<週間手帳>  00:56
[6]6 チャプター6 牛込の子供隣組<週間手帳>  00:52
[7]7 チャプター7 敵最後の輸血路 海鷲昆明猛爆  02:06

チャプター

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公開日公開日: 1940年(昭和15年)10月30日

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一億体育の華開く秋のスポーツ祭典、紀元2600年奉祝第11回明治神宮国民体育大会は、秋空豊かに澄む10月27日、聖恩の旗のもとに輝く開会式を挙行。三笠宮殿下の台臨(たいりん)を仰いで、真摯敢闘(しんしかんとう)を誓う興亜の若人5万2000。初めて参加した満洲国を加え、歩武堂々と行進。厳粛華麗な開会式典を展開しました。

(開会式の様子)

かしこくも秩父総裁宮殿下より賜った叡旨(えいし)を金光会長が奉読申し上げ、選手代表は立って力強く宣誓。
近衛総理大臣、有馬宮司の祝辞朗読が終わったその時、センターポールの背後より朝鮮・台湾両総督、北海道庁官、各府県知事の奉祝文をかざして奉祝継走団が、颯爽(さっそう)として入場しました。かくて真摯敢闘(しんしかんとう)の命燃ゆる若人が、あふれる感激に挑む24部の絢爛(けんらん)たる陸の争覇。11月3日まで8日間の闘う青春絵巻を一斉に開き、早くも開始された体操に、競技に、若き血潮は高鳴りました。

仏印に遣いする松宮大使、加藤顧問ら、我が経済使節団の一行は10月19日、アリゾナ丸でハイフォンに入港、重き使命に決意も固く、上陸第一歩を印し、埠頭に整列する仏印軍を閲兵しました。
かくて首都ハノイに着いた松宮大使は、22日、総督官邸にドクー総督を訪問しましたが、先に我が軍の平和的進駐を迎えて好意的態度を見せた仏印は、今我が経済使節団一行を迎え、友好的に交渉を開始すべく、その前途に多大の期待を寄せています。

紀元2600年を奉祝し、全国民が馬事報国の赤誠を最高度に発揚する馬政局指導の全日本軍用(音声中断)馬継走大騎乗は10月7日、南北一斉に出発。そのうち南下班は北海道旭川、護国神社を出発。函館から海峡を渡り、一路南下しました。
かくて24日、橿原神宮に到着。恭(うやうや)しく神旗奉献の重任を全う(まっとう)しました。
一方、北上班は聖地宮崎神宮を出発。山を越え、川を渡り、神旗を継走して堂々4500kmを踏破。かくて24日、輝く帝都入りをして市内を行進。明治神宮に向かいました。ここに北上班も無事、神旗を奉献。約二旬(じゅん)に渡る神旗継走大騎乗を完了しました。

第一線開拓者たちの魂の本拠となるべき、尊き官幣大社南洋神社が天照大神を御祭神に、今パラオのコロール島に造営されました。内苑・外苑あわせて7万余坪の神域は、海岸近くの山懐に抱かれ、熱帯の緑に囲まれた幽邃の地で近藤南洋長官をはじめ、全島民は11月1日の鎮座祭を前に、草取り、運搬など神域に汗の奉仕を続けています。

皇軍勇士慰問のため、大陸に渡った双葉山、男女ノ川(みなのがわ)をはじめ、東京大相撲の一行は10月22日から3日間、南京日本人小学校の臨時国技館で勇士を慰問いたしました。
その2日目、特別席には西尾司令官以下、各幕僚や国民政府宣伝部長、林柏生(りんはくせい)氏らの姿も見え、双葉山、男女ノ川の豪壮な土俵入りを熱心に見物しました。
さらにこの日、結びの一番。双葉山と男女ノ川の熱戦は観覧席いっぱいにあふれた我が勇士たちの血を沸かせました。

新体制のもと、隣組の働きは誠に目覚しいものがありますが、今度、帝都の一角、牛込の矢来にかわいい子どもの隣組が生まれました。お父さんやお母さんに負けないで、僕たち私たちもみんなで仲よく、少しでもお国のために尽くしましょうと、ある日曜日お風呂屋さんを会場に発会式をあげ、銃後子どものけなげにも頼もしい情景を描き出しました。

仏印に平和的進駐を了し、西南支那をその鵬翼(ほうよく)のもとに収めた我が海の荒鷲は、仏印トンキン地方を襲った台風のようやくやんだ10月17日、第3次昆明爆撃を敢行しました。
この日、昆明上空は雲低く垂れ込め、絶好の爆撃日和とは言えませんが、これら悪条件を突破して郊外にある飛行機工場2棟を爆砕。猛火災を起こさせるとともに、また他の一隊は昆明市内の軍事施設を木っ端微塵(こっぱみじん)に粉砕しました。かくてビルマ援蒋ルートは、我が海の荒鷲の鵬翼(ほうよく)のもとに制圧され、なんら用をなさず、殊勲の爆撃部隊は全機凱歌(がいか)をあげて帰還の途につきました。