ホーム » ニュース映像 » ニュース映像 第27号

ニュース映像ニュース映像

ニュース映像一覧へ戻るニュース映像一覧

タイトルタイトル: 日本ニュース 第27号
公開日公開日: 1940年(昭和15年)12月10日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 皇后陛下女子高等師範行啓  01:34
[2]2 チャプター2 元老西園寺公国葬  01:35
[3]3 チャプター3 米国大統領ルーズベルト氏三選  01:17
[4]4 チャプター4 友邦四ケ国よりの奉祝大演奏会  02:00
[5]5 チャプター5 朝鮮、台湾軍優勝宮崎一畝傍駅伝競争  01:34
[6]6 チャプター6 早明ラグビー熱戦明大三連覇成る  01:26
[7]7 チャプター7 晋察冀辺殱滅戦  01:13

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
公開日公開日: 1940年(昭和15年)12月10日

ニュース映像について

再生テキスト再生テキスト

皇后陛下にはかしこくも女子教育に寄せたもうありがたきおぼし召しから、12月3日、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて東京女子高等師範学校に行啓あそばされました。
この日、陛下には校内幼稚園に御歩みを運ばせたもう御途中、その父をこの国の礎と捧(ささ)げ参らした勇士の幼子たちに御目を注がせ賜い、御慈愛深き御会釈を賜りました。
さらに陛下には聖戦に夫を捧(ささ)げ、やがて教壇に更生せんとする勇士未亡人らの奉迎のうちに、校内特設の中等教員養成所棟にならせられ、これらけなげな人々の授業を御覧あそばされました。

去る11月24日、興津坐漁荘において薨去(こうぎょ)した故西園寺公望公爵の御霊(みたま)は28日、町民あげて哀悼のうちに興津駅に到着。特別列車にて一路、帝都へと向かいました。
12月5日、一世の巨人、西園寺公の偉大なる終焉(しゅうえん)を飾る国葬の儀は、日比谷葬場において厳粛に執り行われました。かしこくも三陛下よりの大真榊(おおまさかき)をはじめ、各宮殿下、満洲国皇帝陛下よりの真榊(まさかき)、花輪に、公の余栄はここに極まり。梨本宮殿下をはじめ奉り、内外朝野の顕官参列のうちに荘重の式は進められました。
この日特にかしこきあたりより牧野侍従の御差遣あり。公の霊前に拝礼せしめられました。また、喪主・八郎氏は恭しく祭殿に参進。今は亡き父の御霊(みたま)に最後の決別を告げました。
かくて新興日本の発展とともに生きた元老西園寺公の英魂は、全国民をあげての哀惜のうちに永久(とこしえ)に天に還りました。

ルーズベルトかウイルキーか、全世界の注目を集めたアメリカ大統領選挙戦の大詰め。ルーズベルト氏は、5000万人の有権者に混じってハイドパークの投票場に現れ、自らその1票を入れました。
一方、相手のウイルキー氏も必勝の意気も高く、ニューヨークのある投票場に現れました。
あらゆる通信網は総動員されて、刻々の状勢を伝え、全アメリカをあげて興奮のるつぼの中に投げ込みました。ルーズベルトかウイルキーか。厳粛なる国民の審判は今まさにくだされようとしている。
ルーズベルト勝つ。11月6日。ルーズベルト氏は三度大統領に選ばれ、かつて何人も作り得なかった輝かしい記録をアメリカの歴史に記入しました。
民衆は熱狂して、彼らの英雄の上に割れかえるような喝采(かっさい)を送りました。

友邦4ヶ国から送られた奉祝曲発表会は12月7日、8日、東京歌舞伎座に挙行。まずフランスのイベールを山田耕作氏、ハンガリーのベレッシュを橋本国彦氏、イタリアのピツェッティをガエターノ・コメリー氏、最後にドイツの巨匠シュトラウスをヘルムート・フェルマー氏が指揮。満場の大喝采(かっさい)を浴びました。

(演奏会の様子)

紀元2600年奉祝第11回明治神宮国民体育大会、宮崎・畝傍(うねび)間1000kmの大駅伝競走は、日本、満洲8地区の精鋭によって去る11月27日から競走の火蓋(ひぶた)を切りました。
各チームとも郷土の名誉を双肩に担って、必勝の誓いも固く、至る所に追いつ追われつの白熱戦を演じました。
第8日目、中国・四国軍は俄然(がぜん)奮起して、姫路到着点のテープを切りました。
かくて12月6日、最後のコースに入るや、各選手とも有終の美を飾るべく、力走を続けましたが、満洲軍のがんばり、みごとに功を奏して瀬口君、まず橿原(かしはら)のゴールに飛び込みました。しかし、10日間の総計成績、第5位。続いて東北チーム、総計成績、第6位。40秒遅れて朝鮮・台湾軍、総計成績、55時間2分32秒で堂々と優勝。期待された関東軍は後半意外に振るわず、この日も7番目にゴールインし、第2位に落ちました。

関東ラグビー戦の覇権をかけた早大対明治の一戦は、8日、神宮競技場で挙行。3年連続制覇を目指す明大と、シーズン後半好調の波に乗る早大の挑戦に多大の期待をもって開始されましたが、明大は強力無比のフォワード大いに振るい、前半21対0と断然引き離して後半に入りました。後半12分、早大陣の身に(?)25ヤードタイトから明治、球をとって大谷君にパス、大谷君、よく左に独走してトライしました。
さらに16分、早大陣、右のルーズから明治、球をとって大きくパス。高島君、よく前進。これをとって独走。ゴール右側にトライしました。
38分、中央から早大ルーズを割って突進しましたが、30ヤードで潰される。さらに早大、球をとってゴール下に驀進(ばくしん)。早稲田ようやく3度目のトライ。ゴール、みごとに成功。
しかし結局、明治は52対13をもって早大を破り、3年連続制覇の偉業は完成しました。

先に共産八路軍の牙城(がじょう)、北平(ほくへい)を陥れた、マツヤマ、スズキ両部隊の精鋭は、敗走する敵の大部隊を一挙に殲滅すべく、山西省境の山岳地帯に猛進撃を敢行しました。
かくして凍る霜を踏み、峻険(しゅんけん)を突破して、次第にその包囲陣を縮め、ここに壮烈なる一大殲滅(せんめつ)戦を展開。
機を逸せず、気負い立った我が精鋭は、一斉に敵陣に突入。2万の頑敵を完全に覆滅して輝く戦果を収めました。