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タイトルタイトル: 日本ニュース 第29号
公開日公開日: 1940年(昭和15年)12月24日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 輝く紀元二千六百年を送る  10:16

チャプター

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公開日公開日: 1940年(昭和15年)12月24日

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2600年、一億国民の愛国の情熱は、この佳き年にあたって、いやが上にも高揚し、怒濤(どとう)逆巻く世界的混乱の中に、神国日本の聖業完遂を深く心に銘記したのであります。

「天皇陛下、万歳。」
(一同、万歳三唱)

嗚呼、感激の2600年。この佳き年に巡り会う千載一遇の国民(くにたみ)の幸。何をもってか、これに代えん。
1月14日、阿部内閣は4ヶ月の短命を米内海軍大将に譲り、新内閣は15日、その組閣を完了しました。新東亜建設の聖業完遂のために、2月22日、帝国議会は103億の膨大予算を可決。非常時国家経済はついに100億突破の新記録を作りました。
一方、支那を救うべく、敢然立った汪精衞(おうせいえい)氏は、王克敏(おうこくびん)氏、梁鴻志(りょうこうし)氏を枕頭に招き、1月24日、新しき支那の統一政権確立についての意見を交換。
かくて3月、南京に中央政治会議を開き、和平の実現、憲政の実施について重要決議を成すとともに、南京を更生支那の新首都と決定。30日、盛大なる還都式典を行い、ここに新国民政府は支那における唯一の政党政府として正式に成立しました。
超えて4月26日、国民政府還都典礼を挙行。帝国政府代表、阿部大使は祝辞を朗読。ここに日支提携の契りは固く結ばれ、善隣友好の永遠の誓いを交わしました。
この新政府運動に平行して、大陸各地の治安は次第に回復し、まず上海においては2月15日、率先してガーデンブリッジ、四川の橋の検問、通行制限の解除を断行。
続いて4月20日、広東港の開港を宣言。この広東港の開港こそ、南支貿易の中枢、珠江(しゅこう)解放の前提にして南支の復興建設を実証するものというべく、その後、この港は新政府治下の重要貿易港として日に日に繁栄を加えつつあります。
これに遅れること2ヶ月、6月20日、天津英仏租界の隔絶また解除さる。英仏側の頑迷に憤然その迷妄を覚ますべく、租界隔絶の鉄槌を降してより、実に370余日。皇軍の威武、全支に厳然たり。
内外情勢の変転に従い、7月16日、米内内閣は総辞職を決行。替わって近衛文麿公は新体制を確立すべき強力内閣を組織。
この頃から我が大陸作戦は新しい展開を示し、まず香港援蒋ルートの徹底的覆滅を図って、7月27日、香港東方60マイルの汕尾(さんび)付近に敵前上陸を敢行。またまた戦史に不朽の記録を残しました。
欧州の戦果におののき、日本の積極的攻勢に怯えるイギリスは8月13日、ついに支那駐屯軍引き揚げを断行。伝わるところによれば、これをシンガポールに送って防備拡充に充てるものという。相次いで動く極東の新体制にアメリカも支那各地から米人の引き揚げを命令。
援蒋ルート遮断に好意を示した仏印当局は、我が国との間に軍事協定を締結。支那事変完遂に協力すべきことを誓いました。ここにおいて我が皇軍の精鋭は、9月23日、堂々国境を越えて仏印に進駐。嗚呼、遠く大陸の南端、インドシナの一画に日章旗燦(さん)たり。かくてアジアの天地に黎明(れいめい)は近づき、攻勢の息吹は大地を包む。小林商工大臣は遠くバタビアに使いし、9月12日から約1ヶ月に渡って蘭印当局と経済交渉を開始。
帝国はさらに一歩を進めて、世界新秩序運動に積極的協力をなし、世界平和の将来を目指して、盟邦ドイツの首都ベルリンに日独伊三国同盟の調印を行い、全世界を驚倒せしむ。ときに9月27日午後1時、まさに外交電撃戦というべく、英米旧勢力、愕然(がくぜん)として声なし。
西南支那に残る唯一の援蒋ルートたるビルマ公路も一時、我が厳重なる抗議によって閉鎖されましたが、10月17日、イギリスはこれが再開を決行、援蒋態度をいよいよ明らかにしました。ここにおいて我は断固、実力をもって応えるべく、我が荒鷲部隊は勇躍援蒋ルート爆撃の壮途に着く。
これら英米旧勢力の事実上の退却に焦慮するイギリスは、極東の前進基地、香港、シンガポールの防備強化に狂奔し、アメリカ海軍との共同防衛案を樹立。落日の悲運これによって、果たしてその回復を見ることができるか。
一方、我が大陸作戦は着々と進行し、今なお抗戦の迷夢にふける蒋政権に徹底的打撃を加えるべく、8月初めから精鋭海の荒鷲は、重慶を数十度に渡って爆撃し、軍事都市としての機能をまったく粉砕しました。
眼(まなこ)を欧州に転ずれば、抗戦3ヶ月にしてフィンランドついにソビエトに屈す。ドイツはイギリス海軍の封鎖陣を破ってノルウェーに軍を進め、デンマークを掌中に収め、北海の海上圏を確保しました。さらにドイツはベルギー、オランダに電撃作戦を敢行。英仏の狼狽(ろうばい)その極に達し。
続いてマリノの堅陣、脆くも破れて、フランスはレイノー首相以下、奇跡の出現を祈るのみ。しかも100万の英仏連合軍は、フランダースの決戦に一敗地にまみれて、雪崩のごとく英仏海峡に潰走。ダンケルクから英本国へ、死の脱出かろうじてなる。
ここにイタリアもまた、ついに蹶起(けっき)して英仏に挑戦。欧州新秩序建設に驀進(ばくしん)することになりました。
独軍はさらに矛(ほこ)を転じて、パリーへパリーへ。6月14日、堂々とパリーに入城。先の大戦に悲嘆の涙に暮れた思い出、今いずこ。
かくてパリー入城に遅れること正に1週間、6月21日、独仏休戦条約は成立し、かつてドイツが屈辱的講和を強要されたコンピエーニュの森に歴史的調印を行いました。人変わり、星は移って、勝敗所を変えるも、所は同じコンピエーニュの、しかも同じ列車のうちにゲルマンの復讐はみごとに達成。しかも欧州の動向を決するヒトラー、ムッソリーニ両巨頭の再度に渡るブレンネル国境会談は進行。両巨頭、相会するごとにヨーロッパの歴史はその進展の速度を速め、新事態へと突入していく。
かくて欧州大戦は、ドイツの英本土上陸作戦を前に、熾烈(しれつ)なる空襲戦に転じ、イギリスの孤影、悄然(しょうぜん)として凋落(ちょうらく)の色、ようやく覆い難し。
アメリカはこれを救うべく、駆逐艦50隻をイギリスに送りました。このアメリカ国民は11月6日、ルーズベルトを三度、大統領に選び、ルーズベルトは対英積極援助を明白にしました。
ヨーロッパの新しき進展に呼応するかのごとく、11月30日、南京において日支新条約ならびに日満支三国共同宣言が調印されました。思えば日支、戦いを交えてより4星霜。聖戦に幾多の英霊を捧(ささ)げ、一億心を一にしての苦闘むなしからず、東亜新秩序の礎、ついに成る。厳然たるこの事実の前に、重慶の苦悩覆い難く、英米旧勢力の焦燥また思うべし。
かく、外において、めざましき発展を示しつつ、内には大政翼賛の新体制運動はいよいよ進展、画期的成果を収めつつあります。

(臨時中央協力会議場での宣誓文朗読)
「我々は、かしこみて大御心を奉体(ほうたい)し、和衷協力、もって大政翼賛の臣道を全うせんことを誓いまつる。」

かくて来るべき2601年こそ、未曽有の非常時局を克服し、飛躍的発展の新階段に登るべき希望の年として期待されるに至りました。