ホーム » ニュース映像 » ニュース映像 第140号

ニュース映像ニュース映像

ニュース映像一覧へ戻るニュース映像一覧

タイトルタイトル: 日本ニュース 第140号
公開日公開日: 1943年(昭和18年)2月9日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 朝香宮殿下台臨 神宮スキー大会  02:43
[2]2 チャプター2 想い出新た星港攻略一周年  01:55
[3]3 チャプター3 仏印の学生日本留学へ出発<共栄圏便り>  00:43
[4]4 チャプター4 テント生活で鍛える中国少年少女<共栄圏便り>  00:45
[5]5 チャプター5 雪解けに備える満洲国艦隊<共栄圏便り>  00:49
[6]6 チャプター6 香港の消防隊<共栄圏便り>  00:45
[7]7 チャプター7 科学戦にも凱歌~黒い太陽~  03:40

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
公開日公開日: 1943年(昭和18年)2月9日

ニュース映像について

再生テキスト再生テキスト

第十三回、明治神宮国民練成大会の掉尾(とうび)を飾る、冬季スキー競技会は2月4日から4日間、奥日光において聖恩の旗の下、全国の精鋭千余名を網羅して盛大に挙行されました。

大会劈頭(へきとう)を飾った現役軍人の斥候(せっこう)競技。

兵士たちは重い装備もなんのその。白皚皚(はくがいがい)たる雪の山野を縦横に活躍。

遥かなる、アリューシャンの戦友を偲んで、豪壮な戦闘絵巻を繰り広げました。

軍国乙女の頼もしい姿を見せる女子の回転競技。

大会第二日には本大会白眉の耐久競争が行われました。

幾多の峻険(しゅんけん)難路を含む36キロの走路は3時間余を要する難関でありますが、戦時下若人の敢闘精神は火と燃えて、堂々の成績をあげました。

スキー術が運動とのみ考えられたのは昔のことで、今は直接国防の線につながっていることを思うとき、これら耐久競技に示されている各選手の熱意は真に力強いものがあります。

大会最終日の7日にはかしこくも朝香宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、参加者一同の感激もひとしお。

折からの吹雪をものともせず、勇敢な飛躍競技に火花を散らしました。

シンガポールへ、シンガポールへ。

怒濤(どとう)の進撃を続けた皇軍の行く手を阻みし、ジョホール水道。

今は、激戦の記念碑も思い新たに、歴史の大転換を刻みながら静かに流れています。

昭和17年2月8日、炎の海を強行渡河してシンガポールに第一歩を印しながら敵降伏の日を待たで散華した勇士の墓標は、この水道のかたほとりに建てられています。

開戦とともにインドに拉致され、再び、故郷昭南に帰り得た、昭南国民学校の生徒たちは一周忌近く、勇士の墓に詣でました。

冥せよ、勇士の英霊。

君たちの勲しは大きく、君たちの築いた基礎の上に、新しい昭南が、新しい東亜が、着々と建設されていく。

思いを起こす2月15日、山下将軍の敵将、パーシバル引見場たるフォード自動車工場は、星の印も鮮やかに我が軍工場として更生。

イギリスの没落と東亜の興隆をこの一室に象徴せる、歴史的この会見室は、当時の行き詰まる雰囲気をそのままに保存されています。

東亜の盟主日本へ。

仏印から、男女合わせて10名の留学生が派遣されることになりました。

まだ見ぬ日本を心に描いて、出発を前に日本語の勉強に勤しんでいる彼等(ら)は将来仏印の中堅として活躍するため1月28日サイゴンを出発。

一路、憧れの日本へと向かいました。

米英打倒の意気に燃える中華民国では、次の時代を担う小国民の育成に大いに意を用いています。

その練成のひとつとして、少年少女たちのテント生活が広東の郊外で行われました。

一日、汪精衛夫人、陳璧君女史が国民政府宣伝部長、林柏生氏と共にこのテント村を訪れその生活ぶりを詳細に視察。
大いに激励するところがありました。

満ソ国境を流れる黒竜江は冬将軍の訪れと、ともに結氷。

北辺の護りを固める満州国江上艦隊は岸辺に閉じ込められています。

しかし、やがて来るべき春の解氷期の活動に備えて、水兵さんたちは厚い氷の張った船の周囲に、堀を穿(うが)ち、珍しい氷上ドックを急造。

船底の修理や、大砲の手入れに、おおわらわです。

香港の消防隊はイギリスの手で組織されただけに、すっかり英国風でありました。

しかし、我が軍政がしかれてからは、皇軍憲兵隊の指導の下に、我が国同様の統制ある訓練が行われています。

磯貝総督もこの消防訓練に臨席して激励しました。

香港防衛の一役を担って彼等(ら)の意気、軒昂(けんこう)たるものがあります。

黒い太陽。

この大宇宙の異変は今、地球を吹きすさぶ激しい革新の嵐をよそに、皮肉にも我が北海道とアメリカのアラスカにその神秘な姿を現し、ここに端無くも彼我の間に、観測科学戦をも巻き起こすことになりました。

我が科学陣はこの観測戦でも打ち勝とうと、戦時下、機械の不足も克服し、ここ北海道東南海岸に位置して世紀の一瞬を完全に捉えるべく、備えたのであります。

数ヶ月の長きにわたり、機械の点検や毎日の天気に一喜一憂しながら、苦しい生活を続けたのであります。今や準備、全く成る。

2月5日、ついにその日は来た。

観測地付近には豆天文家も出動して、今後92年間我が国を訪れぬ黒い太陽を待ち受ける。

《字幕テロップ》
「昭和十八年二月五日 午前六時四十五分」

計算に寸分の狂いもなく、太陽は欠け始めた。

あたりは次第に薄暗く、神秘な色に包まれていく。

胸躍る数刻、7時50分ついに皆既食。2ヵ月あまりに及ぶ労苦は今見事に報いられた。

1分52秒の黒い太陽は完全に我が科学陣によって捉えられた。

貴重なる数多くの記録は我が科学陣の確保するところとなった。