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タイトルタイトル: 日本ニュース 第172号
公開日公開日: 1943年(昭和18年)9月22日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 高松宮殿下台臨 海軍機関学校卒業式  03:21
[2]2 チャプター2 山本元帥の墓前に捧ぐ  01:40
[3]3 チャプター3 一億の赤誠軍用機 献納式  01:41
[4]4 チャプター4 第二次 日米交換船出発  01:15
[5]5 チャプター5 在支伊軍 武装解除  01:39

チャプター

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公開日公開日: 1943年(昭和18年)9月22日

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海軍機関学校卒業式はかしこくも高松宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、9月15日、同校大講堂で厳粛に執り行われました。
「御下賜品拝受者、アオキミツオ。同じく、ムラヤマタカシ。同じく、モリカワスミオ。」
鍋島校長より卒業証書、修業証書の授与ありたる後、御下賜品拝受式に移る。光栄に輝く恩賜の短剣を拝受せる優等生の眉宇(びう)に、決戦下に巣立つ海の勇士の決意あふれて、ここに晴れの卒業式は滞りなく終了したのであります。
「諸氏は本日の感激と、かつまた国家並びに諸氏の父兄の、諸氏に期待するところ極めて大きいことをもって、常に健康に注意し、粉骨砕身ご奉公の誠をいたすように。諸氏の門出にあたり、校員に代わって武勲の長久を祈る。終わり。」
「ありがとうございました。ただいまから行きます。」
熾烈(しれつ)なる戦いの庭に出で立つ先輩諸兄よ。我らも直ちに諸兄の後に続かん。送る後輩も送られる候補生も、しばしの別れを惜しんだのであります。

我ら一億国民が、海の父とも仰ぎし故山本元帥逝きて、すでに半歳。1日(いちじつ)、東京音楽学校生徒一行は、長岡の地に元帥の生家を訪ねました。元帥令姉山本カズ刀自。一行はその奥つ城(おくつき)の前に立ちて、慎みて合掌。銃後の固き決意を胸に、元帥の御霊に手向けました。
「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍(かばね) 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」


空の決戦、いよいよ凄愴(せいそう)の度を加うるの時、9月20日、ひとしお意義深き第4回航空記念日を迎えて、一億の赤誠燃ゆる献納愛国機命名式が、東京羽田飛行場において盛大に行われました。東條陸相、親しく献納者代表に謝辞を贈る。
「実は今日、羽田飛行場の他に、全国25カ所におきまして、実に500機に上る多数陸軍飛行機の命名式が盛大に挙行されておるのであります。これひとえに御参列の各位を始め、全国民諸君の燃ゆるがごとき愛国の赤誠によるものであります。皇国のため誠に慶祝に堪えんところであります。ここに全陸軍といたしまして、献納者各位に対し、衷心より感謝の意を表する次第であります。」
「万歳、万歳、万歳。」
敵、量をもって挑まば、我また量をもってそれにこたえる。今こそ一機でも多くの飛行機を前線に送ろう。

インドの西岸ポルトガル領ゴアのマルマゴン港において、第二次日米居留民交換が行われることになり、9月14日午前1時、横浜から帝亜丸が出帆しました。その前日、駐日チリー公使パルバハル氏以下の乗船が行われましたが、今回は外交官、一般居留民の数は少なく、特にキリスト宣教師の姿が目立っていました。米英の侵略の手段は、まず牧師を送って侵略の温床を作ることが、歴史的にも暴露されている事実でありますが、彼ら米英の謀略も今次の交換船によって、日本から締め出されたわけです。)の交換船によって、日本から締め出されたわけであります。

イタリー・バドリオ政府は9月8日、米英に対し無条件降伏をしました。これは日独伊三国同盟、および単独不講和の盟約を裏切る卑劣な行為でありますが、帝国政府は既にこのことあるを期し、万全の措置を講じていたのであります。すなわち9月9日、上海、北京では、帝国陸海軍は直ちに在地イタリー軍隊の武装を解除し、艦船の抑留を実施しました。大東亜各地区においても同様果断なる措置がとられ、帝国の毅然(きぜん)たる態度を示しました。今次、バドリオ政府の行為は実質的敵対行為でありますが、我が戦争完遂にはなんら影響するところなく、欧州各盟邦、大東亜諸国とますます提携協力を緊密にし、あくまで米英を撃砕せんことを期するものであります。