ホーム » ニュース映像 » ニュース映像 戦後編 第14号

ニュース映像ニュース映像

ニュース映像一覧へ戻るニュース映像一覧

タイトルタイトル: 日本ニュース 戦後編 第14号
公開日公開日: 1946年(昭和21年)4月18日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 民主化を決する日 -総選挙  02:56
[2]2 チャプター2 新教科書完成<みなさんの声>  00:36
[3]3 チャプター3 高射砲の残骸で遊ぶ子ら<みなさんの声>  00:17
[4]4 チャプター4 ジープも武装して ―米陸軍記念日<時の話題>  00:47
[5]5 チャプター5 子供達に笑いを<時の話題>  00:35
[6]6 チャプター6 復活した早慶野球戦<時の話題>  00:38
[7]7 チャプター7 幣原内閣打倒 人民大会開く 東京  02:41

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
公開日公開日: 1946年(昭和21年)4月18日

ニュース映像について

再生テキスト再生テキスト

日本の民主化が果たしてできるかできないか。新しい日本の運命を決する日、4月10日、総選挙の日が来ました。
椿と三原山で知られた伊豆の大島では、島の娘あんこたちも、新しい日本への胸の思いをこの1票に込めました。
北海道ではアイヌ人も、日本の侵略主義が敗れて初めて選挙権、被選挙権を得て貴重な1票を投じました。日本の歴史始まって以来、かつて一度も一人前の日本人として取り扱ってもらえなかったのです。
農村では二重三重の封建制度にあえいでいた婦人たちも、お寺の投票所へ続々詰めかけ、歴史的なこの1票に明るい光を見出した様子です。
京都では、かごの鳥も晴れて1票。各地とも女性の投票は予想外に多く、婦人の政治への関心が高まったことを物語ります。高峰秀子さん。鳩山氏も栄養のよさそうな体で投票所へ。エノケンも厳粛な顔つき。
さて、民主化なるかならぬかは、(音声中断1秒)かかって、この箱にあります。
しかし内務省の怠慢によって、数万の人々が名簿から抜けていたため、各地で猛烈に内務省攻撃の声が上がっています。

「投票所がちゃんとこうやってくれなきゃ、票なんかこれでは(聞き取り困難)とれないよな。」

ラジオも速報を始めました。
「ただいままでにわかりました全国の開票の結果をお知らせいたします。三重県から立候補した無所属の尾崎行雄氏は・・・。」
新聞社の速報版の前も、発表を待つ人でいっぱいです。果たしてわれわれ国民の生活を安定し、日本を豊かな民主主義国に導いてくれる人々や政党を選ぶことかできたかどうか。
結果は自由党140名、進歩党91名で、社会党92名、共産党5名で、民主戦線に対する一般の理解がまだ浅いことを示し、日本の民主化いまだしの感ありと言われており、また婦人[音声中断により画面上も文字を記載、立候補者数82名、婦人]当選者39名、封建制から解放されつつある婦人たちの喜びが明るく感じられます。

《福岡・中根俊平さん》
子どもを持つ親御さんから、「もっとよい教科書を子どもに与えよ」という投書がありました。これが教科書です。ビラではありません。ほんのちょっぴり訂正しただけで、絵もなく、色もついていません。「大切な教科書がこんなにみじめなのに、本屋の店先には美しい本がたくさん並んでいるではないか」と、この親御さんは抗議しています。

《東京・土浦かづ子さん》
次は、子どもたちが朝から晩までとっついて戯れている東京月島の高射砲の残骸。依然放りっぱなし。この軍国主義の残骸を何とかせよ、という(音声中断)がありました。

近代兵器の粋を集めた米進駐軍の閲兵分列式が、アメリカ陸軍記念日の4月6日10時10分から東京日比谷米軍総司令部前で行われました。閲兵官は第一騎兵団長ウィリアム・ブラッドフォード大将。分列式の後、市中行進に移り、おなじみのジープも今日ばかりはいかめしい武装をして堂々の行進を行い、市民の目を丸くさせました。

長い間の戦争で笑いを奪われた子どもたちに何とかして笑いを取り戻してやりたいと、東京巣鴨のタケイさんご夫婦が、松浦伯爵邸の焼け跡に青空日曜学校を開きました。こうしたささやかな試みが、将来の民主主義日本の担い手である子どもたちのために、もっと大きく行われることが、世の親たちの願いではないでしょうか。

(人形劇「かちかち山」)
「シューシューシューシューシュー」
「ア、ア、ア、アー、イテテテ、アー、イテテテ、ウワー、イタイイタイイタイ!・・・」

「フレー、フレー早稲田! フレー、フレー、早稲田!」

海外同胞救済基金募集の早慶野球戦が、4月6日、7日の両日、後楽園スタジアムで行われました。慶応1勝の後を受けて、2回戦は快晴に恵まれ、内野外野は超満員の盛況。両軍とも先輩現役の精鋭をすぐって対戦。

(試合の様子)

熱戦の末、10対4で再び慶応に凱歌が上がりました。

早慶戦と同じ7日の午後1時、東京付近の労働者、農民、一般勤労者7万は、むしろの旗を押し立て、日比谷の幣原内閣打倒国民大会へ続々詰めかけました。主催は民主主義諸団体、後援・民主人民連盟、荒畑寒村氏・司会。各代表は働く国民を苦しめる幣原内閣を即時打倒すべきだと主張。

「さて、電車や汽車、ここの従業員が仕事を辞めたらどうでしょう。いかに鉄道大臣が出かけたところで機関車一つ動かすことはできない。この偉大なる力を内閣および日本の反動勢力に対していよいよ向けるべき時期が近づいてきたのではないだろうか。」

「食糧確保のために、どうしてもこうした放埒的な強権発動に対しては、絶対に皆さんとともに反対しなければならないと思うのであります。」
(口々に)「そうだ!」

大会ののち、首相官邸へ大デモを敢行。

(歌いながらデモ)

官邸の開門を迫りましたが、かんぬきをかけて応ぜず、激怒した群衆は門を押し破ってなだれ込みました。このとき警官はピストルを放ち、群衆を威嚇せんとしたため、激怒した群衆は官邸の玄関に迫りました。
翌8日午後4時、各代表は首相に会見しました。代表徳田[球一]氏は決議文を読み上げ、首相に迫りましたが、首相は「答えられん」の一点張りで押し通し、さらに代表は「ピストルを持った警備員がいなくては人民の代表と会見できないのか」と鋭く詰め寄れば、首相は一方的に会見を打ち切りました。これが民主主義日本の政治家のとるべき態度かと、代表側は猛烈に非難しております。

NHKサイトを離れます