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タイトルタイトル: 日本ニュース 戦後編 第27号
公開日公開日: 1946年(昭和21年)7月18日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 “やれば出来る” 学校給食問題  01:59
[2]2 チャプター2 “働く婦人の声を” 民主主義 婦人大会 東京  01:16
[3]3 チャプター3 拳闘 堀口対笹崎<スポーツの夏>  00:42
[4]4 チャプター4 水泳 早大対慶大<スポーツの夏>  00:37
[5]5 チャプター5 官公職員闘争解決 読売、ストライキへ<動く労働戦線>  03:00

チャプター

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公開日公開日: 1946年(昭和21年)7月18日

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学校給食の問題を中心に先生と父兄が話し合う会が、7月11日、東京世田谷の駒沢国民学校で開かれました。

《先生》
「これから私たちが総力を挙げてお子様方を教育しようと思っているときに、今のような実情がだんだんと増えていきますと、しまいに学校を休む子どもさえ出てくるのではないか。」

《父兄》
「私たちは父兄として全面的に協力します。行く手に障害あるならば、打ち破って進んでくださることをお願いいたします。」

この問題を解決する学校給食は政府に頼らなくてもできる。こう言って実例を示しているのが同じく世田谷の梅が丘国民学校です。農家からの厚意のトコイモ。父兄持ち寄りのわずかばかりのメリケン粉。学童が採ってきた雑草。それらを上級生が自分たちの手でお料理し、配給までも順番に秩序整然。

「2年3組。」

先生のお給仕で、さあ、一日中で一番楽しいお昼ごはんです。
子どもたちは学校が大好きです。しかし、子どもたちはお腹が減っているのです。学校給食さえできれば。子どもたちのこんなうれしそうな顔を、政府はどういう考えで見ているのでしょうか。

日本民主主義婦人大会が、7月7日、東京日比谷音楽堂で開かれ、各婦人団体、婦人代議士のほか、一般家庭婦人も活発に意見を述べました。

《共産党 柄沢とし子さん》
《関東食糧民主協議会 小関チヱ子さん》
「私たちは生きるために生涯かけて貯めたところの貯金をみんな使い果たした。政府がわれわれに強いて、そして私たちを丸裸にしたのか。これは今までの政府というものが、物を持っている人たちの味方であったからであります。」

《社会党 加藤静江さん》
《家庭婦人代表 永野あやめさん》
「国内だけでは絶対量は確保できないのであります。その絶対量をマッカーサーのほうにお願いしなければなりません。けれどもこうして国内に隠匿物資があるのです。これを片付けてしまってからマッカーサーにお願いするのであります。私たちは今の政府を信ずることはできません。」

終わって、初めての女ばかりのデモ行進を堂々と行い、首相官邸そのほかへ決議文を突きつけましたが、特にこの日は、若い勤労婦人の政治に対する激しい意気込みが目立ちました。

7月6日、東京後楽園スタジアム。堀口[恒男]対笹崎[たけし]の10回戦。昭和16年以来5年ぶりの顔合わせ。果たして笹崎の復讐なるか、堀口再び勝つか。
第4ラウンド、笹崎の猛烈なストレート決まって、堀口ダウン。

(喚声。レフリーのカウント)

堀口、よく立ち上がって反撃に出ました。往年のピストンの片鱗を見せています。最終ラウンドの猛烈な打ち合い。ついに引き分けに終わりました。

7月7日、東京東伏見の早稲田対慶応水上競技。100メートル自由形。
暑さにも負けず、スタンドは満員の盛況。50メーター、ターン。手前のコース、早稲田小柳[清志]、やや出ました。
1着、早稲田、小柳君。1分2秒6。

「官庁、鉄道、郵便局などの従業員の待遇はあまりにひどい。改善せよ」と政府に要求して立った全国官公職員労働組合は、7月上旬、争議に入りました。気象台職員は7日から街頭に進出。気象の科学の解説を兼ねて、窮状を訴えています。

「・・・収入570円、そして5人の家族を養っていかなくてはならない。世界的権威と言われます博士の俸給でも月に600円ぐらいというのがわれわれの仲間であります。」

11日には税務署の婦人代表が議会に婦人代議士を訪問。その苦しい生活状態を陳情しました。
逓信従業員は、お手のものの通信網を利用して全国から情報を収集。また、指令を飛ばして戦闘はまさにたけなわ。食べていけない生活を何とかしようと必死の闘争です。
9日4時、逓信従業員代表は一松[定吉]逓相と会見。

《一松逓相》
折衝4時間半。次いで翌10日も2回にわたって会見。この間、政府も臨時閣議を開いての慎重ぶりを見せ、ついに同日政府側の7月案で妥協なって一応解決に達しました。
だが、この回答は上にあつく下に薄いと、青年部はがぜん不満を表明。

一方、一応解決したと思われた読売新聞社の争議は、13日、再び表面にあらわれ、待遇改善と団体契約の確認をあくまで要求する印刷工場を中心とする従業員は、正午、産別会議の応援を得て、ついに終戦後、大工場には初めてのストライキに入り、このため印刷機は止まって読売新聞はついに発行不能。
これをきっかけに、ついに従業員は2派に分かれ、社長側を支持する従業員は大会を開きストライキ反対を決議。

「われわれは決して労働組合の権利を否定しようとするものではない。しかし労働組合の権利擁護の名の下に、人民大衆の生活を危殆に瀕せしめることは、これは労働組合指導者のとるべき態度では絶対にないと。」

これに対抗してストライキ断行組は同じく職場大会を開き、今、会社側に屈服するときは、労働組合はまったく無視されることになるとして、あくまで闘争すると宣言しました。

「・・・われわれ全部の戦いなのであるから、労働諸君は130万の産別の労働者が諸君の背後から動いているという事実をどうぞ忘れないでもらいたい。戦いは苦しい。苦しいけれども勝利は最後の分会の踏ん張りだ。どうぞ頑張ってもらいたい!」
「そうだ!」(拍手)