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タイトルタイトル: 日本ニュース 戦後編 第34号
公開日公開日: 1946年(昭和21年)9月3日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 あつまる十万 労農大会 -東京  00:58
[2]2 チャプター2 新憲法案 衆議院通過  01:52
[3]3 チャプター3 高松宮 炭焼を御覧 -福島県<時の話題>  00:37
[4]4 チャプター4 この行列は? -東京<時の話題>  00:21
[5]5 チャプター5 インフレ景気の草競馬 -神奈川・戸塚<時の話題>  00:36
[6]6 チャプター6 労働戦線 紛糾する国鉄問題  01:53
[7]7 チャプター7 沖縄へ! 復員兵かえる -土浦  01:41

チャプター

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公開日公開日: 1946年(昭和21年)9月3日

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8月24日、宮城前広場で労農大会が開かれました。

「労働者と農民ががっちりと腕を組んで、まっしぐらに突進することを、ここに誓うものであります。」

労働者、農民、すべての働く者の団結によって反動勢力を粉砕しようと、産別、総同盟、そのほか食糧メーデー以来と言われる10万の勤労大衆は、首切り、労調法、農民への重税反対などの決議事項を掲げ、議会に向かってデモ。代表は政府に決議文を手交しました。

憲法改正案は審議50余日、8月24日、ついに歴史的な議決の日を迎えました。

《芦田委員長》
劈頭、芦田委員長が審議の経過を報告。

《尾崎行雄氏》
次いで、尾崎行雄氏、新憲法への心構えを説いて、各党の討論に入りました。

《山崎新議長》
「委員長の報告に対する討論に入ります。順次発言を許します。野坂参三君。」

《共産党 野坂参三氏》
「政府は金持ちのほうのためには熱心であるが、しかし貧乏人の生活権や労働権を保障するような規定を設けることには反対しておる。われわれは、勤労者の保護の規定を十分に含まないような憲法に賛成することはできない。」

《自由党 北れい吉氏》
「この憲法はポツダム宣言の認むるところのみならず、日本国民の大衆が支持するのみならず、世界の世論がそれを支持するという意味において・・・」(拍手)

《山崎議長》
「採決いたします。本案は、委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。」
「起立!」

《山崎議長》
「8名を除き、その他の諸君が全員起立。よって、本案は委員長報告のとおり、3分の2以上の多数をもって可決いたしました。」(拍手)

猪苗代湖畔に避暑中の高松宮殿下には、8月26,27の両日、付近、磐梯山麓の炭焼きの状況をご覧になりました。徒歩行程約2里半。殿下にはいろいろとおねぎらいになり、炭焼きたちはタバコをいただきました。この種のご視察は初めてだそうです。

これはデモではありません。8月26日から、東京都のデパートで売り出した靴を買う人の群れです。闇では500円、1000円の新円を工面しなければなりませんが、ここでは99円99銭、大変な騒ぎでした。

終戦以来、関東としては最初の草競馬が8月17日から神奈川県戸塚で行われました。

大穴を目がけて血眼となった民衆が馬券売り場に殺到しています。ここばかりは500円生活をよそに、10円札100円札が氾濫しています。

8月27日、朝5時34分、東海道線三島・函南間、観音松トンネル内で、下り1167貨物列車の後部10両が脱線転覆しました。原因はレールの不良のためと言われています。最近このような国鉄事故が頻発しますが、その原因は、戦争中、軍閥政府がめちゃくちゃに使いこな(聞き取り困難)した結果であって、従業員もまた休む暇もなく、こき使われたと言われています。
一方、最近の国鉄の修理工場へは、壊れた車輪や焼けただれたモーターが次から次へと運び込まれてきます。進駐軍から証書を授けられた大井工機部では、連日連夜修理に忙殺され、7月中にモーター204個を修理したと言われています。首切りに反対しつつ、従業員の必死の努力が続けられています。

(広島)
一方、広島では国鉄の整理がきっかけとなって、方々で首切りが始まるかもしれないというので、8月21日、駅前に従業員大会を開き、首切り絶対反対を決議しました。

(東京)
さらに8月27日、東京でも首切りに反対して、婦人部大会が開かれました。
「ご存じのように、私たちが今、路上へほっぽり出されましたときには、何が待っておりますか。これは日本復興ではなくて、日本民族を滅亡するよりほかに道のないことを、この際よくよく認識していただきたいと存じます。」

《平山運輸次官》
《平塚運輸相》
「国民に対しても相すまんと思って、一日も早く解決したいと思っております。」

敗戦1年を過ぎた霞ヶ浦飛行場。ここに収容されているこの若者たちは沖縄の青年です。昭和17年戦争にかり立てられ、中国からシャムなどに追いやられましたが、俘虜として帰ってから、誰も面倒を見てくれませんでした。しかし、いよいよ連合軍最高司令部の計らいで、懐かしいふるさとに帰る日が来ました。

この寄る辺ない人たちを心から送ったのは、同じような戦争の犠牲者、海外引き揚げ民や戦災者たちでした。恐らくもう一生会えないだろうと思われる別れ。こうしてこの人たちもまた、荒れ果てた故郷再建のために出発していきました。