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タイトルタイトル: 「苦しみから自決する兵士達」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 中国大陸打通 苦しみの行軍1500キロ ~静岡県・歩兵第34連隊~
名前名前: 安本 金八さん(静岡・歩兵第34連隊 戦地戦地: 中華民国(信陽、茶陵、零陵、桂林、柳州)  収録年月日収録年月日: 2007年7月20日

チャプター

[1]1 チャプター1 悪条件の行軍-1500キロ  03:15
[2]2 チャプター2 過酷な行軍で脱落者が続出  02:20
[3]3 チャプター3 現地調達  02:12
[4]4 チャプター4 銃を持たない歩兵  01:41
[5]5 チャプター5 胸に下げた遺骨  04:04

チャプター

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Q:その作戦の、湘桂作戦の目的とか、目的地とか、詳細は知っていたんですか?

 知らない。何も知らなかったね。そういう細かいことは我々には言わないからね。「どこに行く」っていうのも言わないから。やみくもに、連れて行っちゃうんだな。まあ、途中でわかるだけだな。

とにかく、アメリカの飛行機がぶんぶん、来る時に、昼間、こわいもんだで、隠れているんだな、寝ている。夜に動くんだよ。だから夜は、何でも動くので、道の悪いところなんかは、鉄砲、担いで、ずっと。

まあ、行くまでには本当に、行軍っていっても、ただ歩くだけの仕事だけで。何しろ食うものがなくて、山の中なものだから。自分がだいたい、3日間くらい、しょってるんだよ、米を。あとはまあ、変な話を言うと、盗んで食うんだけど。どこどこに、民家があって、そこに住んでいるものだから、その米を徴発をしてきて、ご飯炊いて、戦闘になるんだけど。やっぱ、食わず、飲まずで、いるっていうのも、そういう山の中だと、あるんだよな。

おれは食わず、飲まずで、行った時には3日。3日だっけ、何にも食わないんだよ。水も飲みたくても、山の中のところだから。そいで、水筒の水がなくて、たまった水が、たまっている水に、ボーフラがわいているようなのをね、平気で飲んでいるんだな。犬みたいなもんだって。雨には濡れて、着ているものは、グショグショだし。煮た、飯ごうで米を煮ても、煮た米がもう腐って、べとべとするようなのをね、そんなのを食べてきたんだけど。

それとか、頭の毛の中なんてのも、シラミだらけな。そいで、ひげなんか、ぼうぼうとしていて、どっちが前か、後ろか、わかんないようでいただけどね。

何しろ落ちる人もあったんだよ。「歩けないです」って言って。もう毎日、腹が減っているし、飲まず、食わず、で山の中歩くでしょう。

あの、「殺してください」なんて言って、「自分は歩けません」なんていう人もいた。そういうのを怒ったり、なだめたりして、連れて行ったけどな。やっぱ、敵と戦争するっていうのは、1人でも味方がほしいもんだべ、多く。「それじゃあいいよ、お前、あとから来い」なんて、そう言っちゃいられないもんだから、みんな連れて行かなきゃ、いけないから。また置いていきゃ、奴ら(中国兵)来て、どんなことするかわかんないしな。

このう、目を取ったりさ、耳を取ったり、鼻を取ったりしちゃ、殺して、はだってくのを、見えるところに置くんだよな。あとから来る、部隊に。


Q:中国兵がですか?

 中国軍の。そういうこと、したもんだから、日本の兵隊も気が立ってる。そんなもんだで、殺すっていっても、ひどい殺し方をしたんだよな。もう、戦争っていうと、なりふり構わんだよな。「自分が生きていればいい」っていうことで、人はどんなに苦労しようが、死のうがどうでもいいっていう。壕(ごう)の中で、部落、火を付けたりしてね。シナ人も普通の兵隊でね、民家の人間だけど、かけるものは、水がねえもんだで、おしっこや、うんこをかけて、火事を消したりするんだよな。消すって言ったって、もう、おしっこだの、うんこで消えねえわな。

調達。調達しなくちゃ、ないもんだでさ、ええ。ある程度、進んでいくと、ひとつの部落に会うんだよ。(中国人は)逃げちゃって、いねえんだよな、うちには。だけどうちには、食うものがたんとあったわけだ。鶏だとかさ、米だとか。米だって、もみ殻が多かったんだよな。もみになっていたのを、瓶があったんだよ。瓶でついて米にしてね、それで煮て、ご飯にして食ったけどさ。やっぱ玄米、玄米にしてあるところは、良かったけど、玄米にしていないところは、もみのところは、大変だったよ、食うものがないから。何しろ3日も、4日も、寝ずに歩くっていうかさ、体も自分ももう、へとへとになっちゃうわな。なんとかじゃないわな。


Q:食べ物を奪うというか、とるっていう時にですね、その時、中国の人のものですから罪悪感とかそういうものは?

 そんなものねえさね、自分のものは、人の。人のものは、自分のもんだで。釜があったら、食うものがあったら、とってきて、持ってきて、食うさ。食うものは、余分なやつは袋でも、何でも入れてさ、背負ってくるんだよ。もう、それがやっぱり、大変だよ。

兵隊。戦争はいやだな。惨めなものだもん。

補充兵は困ったっけな。ああいう補充兵じゃあ。

おれら、第一線だもんだってさ、補充兵は来るけどさ、全然、しまいには、何も持ってこないんだよ。背のうがあってさ、背のうに自分の着替えを、1枚か2枚入れて、持ってくるだけ。毛布も何も、全然、持ってこないの。それでいちばん主な、鉄砲を持ってこないんだよ、戦争に来るのに。だから、もちろん剣もないよ。「お前等、何しに来たか。遊びに来たのか」って言ったんだよ。戦争に来るのに剣もなくて、鉄砲も持ってこないから。だもんで、戦争をやって、我々がやって、ぶんどった鉄砲なんか、あるんだな、機関銃とかさ。そういうのを持たせるんだよ、兵隊に。それで自分が敵のをとった時に、かえて、良い物にかえるんだよ。

もうもちろん、そんな具合だから、訓練も何も、できようがない。ただ、行き当たりばったりだよな。

亡くなった人を焼いて、そして袋を縛っていって、首にぶら下げて、戦闘にまた参加する。そういうのが一番、いやだっけな、背のうへ、みんな入れるんだよ、そういうのを、忘れたり、なくしたりすると困るもんだから、もう遺骨は必ず首。首からつるすかさ、背のうの中に、入れておくっていうの。

「一番、悪いことして、気の毒だったな」って思うのは、やっぱ、捕りょを殺した時だっけなあ。戦争する、進んでいって小休止する時な、あれも、2日ばかりいたのかな、場所に、体、休めて。どこだったかな? あれは。捕りょをたんと、捕まえたんだでよ。そして女の方も、大勢捕まえてさ、同じ女の中で、腹の大きい人がいたでな。そういう人を殺すのは、かわいそうだっけ。そん時にはもうみんな「何でもいいから、殺せ」って言われたからな。

(日本兵が)「歩きません」なんか言って、残ったりすると、(中国人に)捕まされるわな。(日本兵が)そしたら連れて行かれちゃってさ、耳を取られたり、鼻を取ったり、目をほじくられたり、するもんだから、やっぱだよな。日本の兵隊も、気が立っているんだよな。そんなものっつって、あわせて、それで殺すんだよな。

やっぱ戦争って、それだけ辛いんだよ、やっぱ、自分がエイリアンじゃから。食えるもの、食べれるものは、何でも食ったよ。ボーフラのわいている水でもって、ご飯を炊いて食ったりさ、もう、ありとあらゆる、こじき生活をしていたんだな、まあ犬と。どっちかと言ったら、犬みたいなもんだよな。雨が降ったといっても、うちの中に、入るわけにはいかないよな。カッパを、着るわけにもいかない。何も着ないで。だから、濡れるわ、腹は減るわ、食うものがない、っつって。何て言ったらいいかな、戦争は、かわいそうだな、惨めだな。もう、ああいうこと、戦争なんかは、やめた方がいいよな。

戦争じゃあれだよ、我慢もヘチマも、ねえわな。自分が生きていて、いいからだよ。どんな、悪いことしたっても、これは悪いで、やめるなんつう、考えはねえわな。自分が生きていくためには、何でもするんだから。まあ、例え話で言っても、今じゃ、現在の若い衆じゃ、本当にしねえわな。我々みたいな、年寄りだからな、あの時には。我々はもう、言うに言われない、ひどいことを、してきたからなあ。

出来事の背景出来事の背景

【中国大陸打通 苦しみの行軍1500キロ ~静岡県・歩兵第34連隊~】

出来事の背景 写真大陸打通とは、南方資源の輸送路を、米軍の攻撃によって破壊された海上輸送とは別に、中国を貫く内陸交通において確保すること、そして台湾を攻撃してきた米軍の航空基地を占領することを目的にした作戦だった。参加した兵士は支那派遣軍のおよそ50万人。揚子江流域の部隊を仏領インドシナまで1500キロ進軍させるという日本陸軍史上最大の作戦であった。この敗退する太平洋戦線の巻き返しを図る作戦に、歩兵第34連隊も加わった。

当時、中国軍は兵力で日本を上回っており、支援する米軍の爆撃機B29も空から日本軍を追い詰めた。
日本軍は爆撃を避けるため、物陰に身を潜めながらの行軍となった。
兵士たちは水不足にも苦しんだ。渇きに耐えられなくなった兵士たちは、田んぼや道ばたの泥水を口にし、休む間もなく歩き続けた。兵士たちの間に下痢やコレラ、赤痢がまん延し、行軍と疲労、病気の苦しさのあまり、自ら命を絶つ者もいた。

昭和19年(1944年)11月10日、苦しい行軍の末、日本軍はついに目的地である柳州・桂林を占領。大本営は、
日本による中国大陸打通の成功を発表した。

しかし、もはや日本軍に、中国を縦断する鉄道や道路を整備する余力はなかった。また、米軍は、すでに太平洋上のグアム、サイパンでの飛行場建設を終え、戦略上不要となった柳州の基地を自ら破壊していた。

日本軍は、昭和20年5月、本土防衛のため、南京まで戻るよう命じられた。兵士たちが日本の敗戦を知ったのは、その行軍の途中だった。残ったのは、戦死者の遺族の悲嘆と、中国民衆の怨みだけであった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
静岡県玉川村に生まれる
1940年
歩兵第34連隊入隊
1944年
湘桂作戦に参加
1945年
終戦
1946年
復員後は、林業を再開

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中華民国(信陽、茶陵、零陵、桂林、柳州)

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