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タイトルタイトル: “早く殺してくれ” 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
名前名前: 吉留 文夫さん(回天特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(山口県大津島)  収録年月日収録年月日: 2009年1月23日

チャプター

[1]1 チャプター1 出撃を待つ日々  02:20
[2]2 チャプター2 攻撃目標の変更  01:25
[3]3 チャプター3 回天の操縦  03:24
[4]4 チャプター4 出撃のとき  02:37
[5]5 チャプター5 待ち続けた「回天」出撃  04:53
[6]6 チャプター6 「回天戦用意」  02:59
[7]7 チャプター7 終戦  04:01

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年1月23日

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何しろ次から次へ出撃してくでしょ。飯食う人間が5人6人減ってくわけだよ。そうするとね、もうわびしさみたいなものがあってね、これ何しろ飯食うのもわびしくなって、これは早く出なきゃならないというね、

そういう気持ちがその倍加してったんでないかなと思うんだけど。それはみんな早く出たいっていう気持ちはあるけども、そんなのはね、みんな同じなんだから、順番で行くんだからと思ったけどね、やっぱりその4名5名欠けてくと、おれはこの次残りたくないなっていう気持ちにね、なってったんだろうと思うね。

だからおれもそれが不思議がしょうがねえんだよな。というのは、もうみんなもうふだんと変わらないんだよ。そうして遊んでふざけて笑って、その悲しむだとかな、死なんていうのをお互いに語り合うこともなければ、何しろそれが当たり前だっていうことに受け入れてただよ。

その、何ていうのかな、死っていうことを意識しないって言ったらちょっとあれだかと思うけども、意識しなかったんだな。頭ん中では、ふだんから全然。そして生活してたから、そんなもの真剣に考えたら、1年なんてあのもたないだろうな、人間は。死ぬとか死なないとかっていう。だから、どうしていまから考えると、あんなに単純でいられたのかな。だから、マインドコントロールされたって言えばそれまでの話なんだけども、そういうものを意識しない、ただそのう、まあ平たく言えば、お国のためっていうところに、もうずうっとのめり込んでったな。

停泊船の、向こう側(米軍)はそのう、防御装置をし始めたっていうこともわかったし、これからはもう、そうは二度と行けないと、いう話はこうみんなに渡ってたね。だから、もう航行艦襲撃に行かざるを得ないと。それはまあ、あのう、何ていうのかな、もう必然的なみたいに受け入れてたんでねえかな、みんな隊員は。誰彼言うことなく。

艦長からよく言われたのは、そのう、「夜間で月が出てるときには夜間でも出撃があるよ」という話を聞いたわけよ。それで夜間ったら、月を背負わなければ敵の船見えないから。だからこれは大変だなと思ったけど、夜間に出撃、デマだったのかどうかな。そのときはおれはもう、これはもう完全に自信なくしちゃう。夜間出撃するっていうそのうわさが出たときは。

もう何しろね、勘つう、まあ、理論後の、裏づけされた勘で、勘なんだよ。というのはいろんなの見ててね、例えば1000メートルのときにね、いま浮かび上がって、まあ、5ノ…、3ノットか4ノットで走ってるわけだよね。これが最高速度になるまでには、平均時速っていうのは随時変わってくるわけ。それから、この、見た瞬間には90度であるなと。だけども直角だったけども、見てから潜る間の時間っていうのは、完全にこうずれてくるわけだよ。そのときに何度振るかっていうのは勘なんだよ。それから距離だってね、2000メートルからっていうのは、頭では理屈で、このときはこの平均時速何ノットっていうのはわかるんだけども、そのときに振る角度は何ぼで行くかっていうのがね、やっぱりあのう、勘ったら語弊があるんだけどね、そういう想定を全部しながら、そのう、何度きるかっつうのはね、そのう、本に理論的に書いてあるわけ。全部。距離が何ぼで角度何ぼのときはこういう形でやれっていうの。ところがこう見てからその、動作するまでの間があるでしょ。この誤差が勘なるわけ。

それはもう理屈では言えないね、誤差がね、その誤差をどう読むかっていうのは、その、めちゃくちゃ勘ではなくて。その誤差をどう読むかっていうのは勘っていう言葉で、を、言ってるんだと思うけども。もうあのころは、だからね、手がね、もう必然的に動いてるんだよ。こう見てて手がこううわーっと動くね、この、あのう、敵の位置によっては、「ああ、右に振らなきゃなんない」って、もう角度、もう全部もう動作やってるわけよ。で、最後に微調整やるっていう感じになった。

もう町歩いてたって、人の顔を見たら、「あれ何度だ、何度」だよ。もうそういうその遊びながらでも、もう訓練つうことがもう頭から離れないで、もう漁船見ても「あれ何度だ? おい」と言って。で、わからないのは190度から120度ぐらいの間がこっち向いてくるのか、向こう向いてくのわかんない。それの仕分けをするのにまあ、やっぱりもう、もう当たらなきゃ商売にならないからな、それは自分で自分なりに訓練してた。というのはもう、何しろ特眼鏡(小型潜望鏡)をこうぐっと上げて、何秒それでばっと見た瞬間に方向、速力、角度もみんな見なきゃなんないわけだよ。それをぱっと、目で見た瞬間に下ろすわけだから。で、それの読み方が速いか遅いかな、これがそのう、その航行艦襲撃のいちばんのポイントなわけよ。

まあこれがいちばんおれが感傷にふけったときだろうな。ていうのは、もうみんな船の中へ入って、ところがおれはもう何しろ日本の国っつうのはこれが見納めだと、よくこの刻んでおこうと、目ん中に。というつもりで最後までこの魚雷の上に乗って、まあ、そのう、いまでいえば、島の、島しか見えなかったんだろうと思うけども。で、そのときにトビウオっつうのかな、トビウオがもう、もう何しろたくさんもう、船と一緒に飛んでくるんだよ、あれな。トビウオっつうのか、何か魚が。で、それが、「ああ、魚までおれらを見送ってくれてる」と言ってね、感激したのは覚えてるけども。

きれいきれい。もう、島は真っ黒くなって見えてて。で、トビウオがもうピッピピッピの船の、寄り添って飛んでたのがね、これがもう僕はもう何しろ印象的な光景だったね。

Q:島を見てるときには、こうどういうふうに思うんですかね。

いやあ、もう何のことない。これが最後の見納めだから、ようく目に焼きつけてて、日本の国見てたいっていうな、そういう感じだったね。ただこれがいちばんおれがその何ていうか、感傷にひたったっつう時間だったね。

 いやあ、それからが大変だった。もう、まあ1週間はまあ何しろ、まあ潜水艦のはおかしなもんで、夜になれば充電するために浮いて、昼間はだまーって潜ってて、もう物音一つしないで、電探に引っかからないようにするとか何かっていうことで。いやあ、それが10日過ぎたら、毎日のように「回天戦用意」でもってあんた、今日死ぬか、今日死ぬかっていってあんた、何日ぐらい引っ張られたのかな。

まな板の上の、魚みたいもんだって言うんだけども、もうそうじゃないもんね。「早く殺せ」っていう感じだもんね。もう今日もこれまたこの、「回天戦用意」あると、もう今度は死ぬと思って緊張して行くだろう。ああ、すると1時間半ぐらい乗ってても、いやあ、「搭乗員、下りれ」とこう来るだろう。そういう死の、何というか、緊張感というのは毎日のようにあるわけだよ。そして死ねねえわけだよ。これの連続だったらね、そのまな板の上にある魚ではなくてさ、もう早くなんとかおろしてくれねえかっていうね、もう感じになったね。もうつらくて。

もう緊張しちゃってあんた、艦長室に全部集まって、あんな、天皇陛下からもらったお酒だから飲まされて、別れの盃やって乗ってさ、また帰ってくるときのバツの悪さね。こっちはもう真剣だよな、1時間半乗ってたら、あんた。その、こうジグザグやってるから、近づいてきたら今度は出るだろう、たら、またこう遠ざかっていく、また近づいてくる。そうすると今度は出るだろうと、乗ってる最中でさえさ、艦長の声は聞こえるわけさ。その感度が3だとか4だとか2っつうのはね。感度が4ならば出てくんだけども、4にならねえわけだよ。「感3」て来ると、次来るぞとこう思うわ、緊張するわけだよ。たら次、「感2」になってくわけだよ。そういう連続がね、まあ船団なんて長いもんだからさ、がんがん行くわけでしょ。まあ1時間以上乗ってるわな。それから船が行って、駆逐艦が全部いなくなった折を見て搭乗員下に下ろすわけだから。変な音したらまた、なあ、駆逐艦にばれたりなんかする。
 いや、だからね、まあその連続はね、もうほんとにつらかった。もう何しろ「殺してくれ、殺してくれ」っていう感じだった。まあだから、まあそれが根っこでもって、おれは飛行機乗りのあんた、特攻隊をみんなぶん殴って歩いたんだよ、おれは。何しろ、「おまえらみたいに幸せなやつはいねえ」って。「あした出撃するったらあした死ねばいんだべ。おれはおめえ出撃してからおめえ1カ月死ぬとこをさまよい続けてるのに、てめえらは幸せだ」っつうんで。

「今日はこう天候もいいから、平穏だからデッキに上がれ」とこうなったわけさ。そして搭乗員が全部デッキに上がったの、5人で。それからまた緊張しちゃうもんね。もう何しろ今日が平穏だなんたってね、まあ3000トンある潜水艦の半分はね、波に埋まっちゃうわけだよ。それで、これはもうよっぽど緊張しないと、何しろ深度5メートルたって、こうやって上がったり下がったりするっていうのは、どこ潜っていくのかさ、上に上がったらだ、もう、潜望鏡とって、真横しか見れない、直角でないと見れないんだから。もうほんの波の上で一瞬しか見れないわけだ。あとはもう波に突っ込んでくだけだから。だから浮いてれるのか、浮いてれねえのかも、波にたたかれちゃえばもうそのまま沈んでくんだし。だからおれ、これはよっぽど注意しなきゃならないと。これが太平洋のほう、平穏な日でこんなんなら、もう航行艦じゃ、もうそのまま、それまではなめてたんだよね。というのは、瀬戸内海のちょっと波が荒いとこだって、そんなの大したことないわと思ってたのが、太平洋の波見たらもうね、これはうかつなことでは当たれねえなと思って。それだけはね、艦長に感謝しなきゃなんねえね。あれ、今日平穏だたからって見せてもらって、そういう緊張感をこう持たせてくれた。何しろ9メートルしかないあんた、魚雷がさ、その波高が2メートルか3メートルでも、何しろ潜水艦の半分ザバーッと埋まっちゃうからね。大きくて。もうそん中であんた、9メートルの魚雷なんたら木の葉みたいもんだよね。だから波にたたかれたら完全に方向なんて狂っちゃうもんね、あれだから。

あれはまあ一生忘れられねえべな。もう千葉(千葉三郎一飛曹)か小野(小野正明一飛曹)どっちかおれの隣いたらな、あんた、潜望鏡が、出てくときには船からあの潜水艦が出てくときに、かーっと。これが最後だと思って、潜望鏡一生懸命振ってたんだろうな。まあ、もうおれはもう何しろ発進停止で頭が真っ白になってて、しまったから、もうそれもう寝たっきり、横になったっきりで。まあそして、そのときに2基出たか3基出たかもわからないの。おれの艇は出てないっていうのは確かなんだよ。

最後の別れだと思ってんだろう。ところがあのう、太平洋の水きれいだから、もう潜水艦の先から後ろも全部見えるから。50メートルぐらい潜ったって。だから出てくとこがもう全部こうきれいに見えるんだよ。

2回目の音っていうのは金属音なんだよ。カーンて。1回目はダダダーンっていう爆発音なんだよ。たら、潜水艦の連中が、「ああ、あれ自爆だ」と、こう。まあ、その自爆したやつの気持ちをやっぱりおれも魚雷の中で考えたよな。どんな気持ちでなあ、ま、何分か、なあ、油がなくなってから海に漂ってて、まあ死んでいく心情をこう思ってたときはもう何ともやりきれなかったな。だけども、後からこれ、みんな見てみるけども、本なんかで、アメリカの文献だとか何かで照らし合わせると、我々が報告を受けたような戦果は上げてないもな。大体自爆か、さんご礁に当たって、爆発したとか、そういう記事が多いやな。だから、こいつらはどんな気持ちで爆発してったか。ただ自爆だけはちょっと、わから…、太平洋のあの波の中でもまれて、(自爆装置を)押すか、押すかとこう思ってるのは、まあ、どっちが行ったか(自爆したのか)わからないよな。もう出てんだから。だけども、あんときの戦果は、2隻やら…、やっつけたっつうことになってる。戦果は。なんか発表した戦果は。

僕らはもう、そのう、潜水艦の中で艦長がその「重大な発表があった」と。これは僕の記憶なんだけども、それで「それは原子爆弾が落ちたという発表でないか」といううわさを聞いた。それが終戦のあれなんだけども。

信じなかったのが事実でねえかい。ああ。あのう、いろんな人がうわさするけども。だから大津島へ帰ってきて、そして呉、呉から参謀長が2回ぐらい来て、「何しろ早く部隊を解除してくれ」と。最後まで解除しなかったから。もうこれからもう1回もう1回やり直すっつうことで。だから我々隊員は、何ていうかな、もうその、あのころそういううわさを聞いても信じなくて、もう1回やるような感じでいたんでないかな。

で、僕らもう何しろ当時帰ってきたときは、もう何しろ特攻隊はもうみんな銃殺だというような話もあって、まあそのう、生きて帰るとは思ってなかったから。あと、いずれ殺されるだろうと思ってたから。だから、まあ何しろ終戦なんていうのは、そのころの血の気の多いやつ、連中は皆、自爆にいったり腹切ったり鉄砲で死んだりよ、いろんなことしたよな、あのころは。
 
生きているのがばかくさいっていう感じだもな。それで、ところが札幌へ帰ってきてからね、3日目か4日目ぐらいにね、僕は色眼鏡を買いに町へ行ったのよ。それを隣の娘さんにばれちゃって、で、家へ帰るときなんてむくれてな、もうお袋なんて「ご苦労さん」なんていうのは、「関係ねえよ、そんなのは」という感じでさ、何しろ生きてるのがばかくさいっていう感じよ。もう出撃から帰ってきたばっかりだったからねえ。それでその、町に出てはその不良だとか何かを見つけては、「てめえらみたいのがいるのが、日本負けたのはおまえらみてえなばかいるからだ」って言ってぶん殴って歩いたんだよ。まあ、だから、まあ、結局、はけ口みたいだったんだな、それはあれの。だから、ところがそのう、3日4日したら、やっぱり娑婆気(しゃばっけ)が出て、「まあ1回家帰ってくるわ」って言うやつが出てきて、だんだんそれがばらけていったね。

だから、どういうことか、自分がそのう、生きて帰ってきたっつうことは自分の責任みたく感じてたからね。精進が悪いから何かっていうんでなくて、あのう、おらは出撃のために潜水艦1隻で沈没されてもいいけども、魚雷を発射するために苦労してくれてるのに、出れなかったことについて、自分の責任みたく感じちゃうんだな。で、結局はもうそれが自分の責任みたく感じちゃってるとこがあるから、そんなことがあるもんだから、何しろ生きてるのが、生きてることに腹が立ってたわけだよな。「なんでおれ死ねなかったんだ」と。ああ、まあそんなその、まあ、けど単純な気持ちだと思うな。それで特攻崩れになって。

出来事の背景出来事の背景

【人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、日本海軍は特攻兵器を開発。一人乗りの潜航艇「回天」である。1.5トンの爆薬を積んだ必死必殺の人間魚雷だった。

回天は、潜水艦に搭載されて海を行く。連合軍の艦隊や輸送船団に近づくと、潜水艦から搭乗員が乗り移って出撃、いったん浮上して目標を確認して、ふたたび潜航、時計とコンパスをたよりに接近、体当たりする。さらに、自爆装置も付いていて、いったん出撃すると二度と帰ることのできない兵器であった。
全国から集まった400人の搭乗員の若者たちは、山口県の大津島の訓練基地で、厳しい訓練を積んだが、15人が、海底に突っ込んだり、沈没したりする事故で命を失った。

出撃が本格化したのは、昭和20年3月以降の沖縄戦だったが、米軍の警戒が厳しくなり、目標を、当初の停泊艦から航行する艦艇に変更、攻撃を成功させるのはさらに困難になって行った。
回天に乗り組んだのは、乗るべき航空機が不足してきたため、飛行兵を目指していた予科練出身の若者たちだった。回天に乗り組むことになった若者たちは、さまざまな思いを胸に秘めたまま、生きては帰れぬ兵器に乗り込んで出撃していった。

作戦開始から終戦までの9か月間で、確認された撃沈戦果は3隻。回天作戦で命を落とした若者は104人に上る。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1926年
北海道札幌市に生まれる。
1943年
土浦海軍航空隊に入隊。
1944年
第1特別基地隊に配属。回天搭乗員となる。
1945年
終戦。当時19歳、海軍上等飛行兵曹。終戦後、北海道庁勤務

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日本(山口県大津島)

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