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タイトルタイトル: 「軍医が見た回天作戦」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
名前名前: 梶原 貞信さん(回天特別攻撃隊 軍医 戦地戦地: 日本(山口県大津島)  収録年月日収録年月日: 2009年1月18日

チャプター

[1]1 チャプター1 軍医として潜水艦へ  02:47
[2]2 チャプター2 東京大空襲  01:25
[3]3 チャプター3 若者を死地に追いやる兵器  03:15
[4]4 チャプター4 ひたすら緊張の日々  02:19
[5]5 チャプター5 「回天戦」  05:03
[6]6 チャプター6 「回天」とはなんだったのか  01:28

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年1月18日

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軍医学校を出て配置されたのはね、野比海軍病院って、今の国立久里浜病院ね、あすこにね、勤務地になったわけよね。それで、あそこで勤務して、もうあれ、結核の患者とか、それから前線から送り返されたね、足が腐ったようなあれのね、患者のね、足を切り落としたりね、そんな仕事をさんざんやっているうちにサイパンが落ちてね。いよいよこれ本土決戦になるっていうんで。それで手足まといになるね、寝たきりの、患者をね、移動させろっていうんでさ。

それで、さあ今度は本土決戦だって。さて考えたんだよね。本土決戦でこの患者を、後ろに背負いながらね、ここで俺戦うのはね、せっかく海軍に入ったあれがある。それよりも俺、先にうってでるぞって。それで特別に志願してね、最前線にやってもらったわけ。そしたら潜水艦に乗るように言われてね。それでそんな潜水艦乗りになっちゃったわけだよね。普通ね、潜水艦に軍医が乗るのにもね、潜水学校行って、で、潜水艦のいろいろ乗り方を教わってから行くんだけどさ。僕はそんなのなしに、直接潜水艦に乗ったんだけどね。まあ船には僕は慣れてたから。

この浜でね、陸戦やりながらね、俺はもうやるんだったら、俺はもう打って出る、打って出て、俺はどうせ死ぬなら太平洋で死ぬよって。太平洋は俺の大きな墓場だいってなことでね。それで出てったわけよ。

それで、潜水艦に乗れって言われたのはね、伊の368だったの。伊の368がね、それで行ってみたら徳山(山口県)の沖の大津島でね、それで、ちょうど、人間魚雷の訓練中だったわけ。それで、人間魚雷っていうのはこういうもんだっていうのを知ってね、「これはやりがいがあるぞ」って、「みんなやっつけろ」って言ってね。それでそこに10日か、おそらく2週間いなかったかな。そのうちにまた転勤命令がきてね、「横須賀の伊の367に乗れ」と。それはもうすぐ出撃するからね、軍医がいないんだから乗ってけって言われて。

横須賀でね、整備中にね、東京が空襲でやられたわけ、3月10日のね。そのときにここで家族が全滅しちゃうわけ。艦長がもう出撃間際だし、兵力使ってもいいから片づけてこいって言われたけどさ、なに、一人で来てみたら片づけるものありゃあしないもん。もうこういう状態で片づけるもないから、兵力いらないっていって断って。それでまあ、復しゅう心に燃えながらね、その、回天戦に行ったわけだ。

頭は真っ白っていうか、真っ白っていうか、とにかくもうそれは、家から何から全滅、今まで僕が持ってたものを全部失っちゃったわけだよね。それはもう、もう、空虚感っていうか、打ちのめされたけどさ。でもなんのために海軍に入ってんだっていうことで、俺はもう復讐してやろうっていうことで、それであの、わざわざね、その潜水艦の人間魚雷のあれに参加したってわけだよ。

軍医っていうのはね、直接の命令系統外の存在なのよね。それだからね、(艦長からは)気楽に「おい、ぐ」(と呼ばれていた)。海軍じゃ軍医長のことを「ぐ」、艦長のことを「か」でいくの。「おい、ぐ、今晩飲みに行こう」とかいつもやられて、飲んで。それでね、さんざん「俺、司令部からね、回天はね、(射程)1万メートルの、魚雷と思って使えって言われてるんだけど、ああいう若い者を乗せてね、そういう気になれないんだよ」ってね、さんざんね、嘆かれたのよね。「いやあ、艦長、それはね、戦争っていうのはむごいもんだ」って、「それを乗り越えなくちゃいけないんだよ」ってね、艦長ずいぶんね、激励してやったのよね。そんなことがたびたびあった。

艦長はさ、その船に間近にまで、あれを、回天のね、航行を、方針を指示して、それで間近で浮上して、回天自分で攻撃することになってんの。直接艦長がぶつけるわけじゃない。間近に、回天をね、誘導するということが艦長の仕事だったわけよね。それで、間近まで行って、浮上して、敵の船を攻撃するのは搭乗員の仕事だ。

Q:艦長はやっぱり若いのは死なせたくないから、なかなか出さない状況だったじゃないですか。

しかし命令だからね、敵と遭遇すりゃ、出すつもりはじゅうぶんあったよ。

Q:ああ、そうですか。で、なかなか

遭遇できなかったんでね、それでイライラしてたわけ。

Q:なかなか出してくれないという、回天の搭乗員側の気持ちっていうのもおわかりになる。

だってそれはね、敵と遭遇しなけりゃ、出せないの当たり前だろ。

Q:いや、回天の搭乗員の「出してくれ、出してくれ」という側の気持ちっていうのは。

うーん、それはね、口では言うけど、やっぱり本能的なあれはあるよ。否定する気持ちがね。それは生きてるもんだもの。

Q:「出してほしい」という気持ちはやっぱりわからないですか。

それはみんな持ってるよ。「俺は敵をやっつけるんだ」、「出してくれ」っていうよりも「敵をやっつけるんだ」っていうね、その気持ちをみんな持っているからこそ、ああいう潜水艦に僕ら乗ったんです。でもねえ、自分でその、無駄死にはしたくなかったよね。やっぱりやっつけて死ぬならこれはいいけどさ、ねえ、無駄死にはしたくないよ。相手をやっつけてやるんだったら。

いつ襲撃されるかわからない、それに備えてるのが戦争なのよね。いつでも命を投げ出す覚悟でいないと。戦争っていうのはそういうものよ。安全なときなんてありっこないよ。そういう時間をずっと持ちながら、それに耐えてみんなやってきたんだよ、あんた。こんな平和な時代じゃなかったんだもん。だからもう兵隊たちも「おい、ぼやぼやするな。もう最後はお前らと一緒にいくんだから、俺は逃げ隠れせんぞ」と、「俺が一緒にいるから大丈夫だ、安心しとけ」ってなことでね。

もうとにかくね、日中はもう潜りっぱなし。日が暮れるとね、浮上して、充電、電池にね、充電して。潜水艦の命はもう、電気なのよ。充電の電気がなくなると、もうだめよ、なんでもね。もう充電して、それで空気の入れ替えやって。それで、それが終わるともう潜っちゃうわけだ。もう潜ってるのがいちばん安全なんだ、潜水艦はね。

そのタンクに入ってる水をね、追い出して、それで浮上するの。その「メーンタンクブロー」っていうね、号令がかかるとみんなほっとするんだよね、浮上するときにね。浮上する、「メーンタンクブロー」で、ぶうっ。

Q:それで、伊367で敵にあうとどういう状態になるんですか、潜水艦の中で。

敵にあうっていうことは、とにかくね、あうことを目的に行ったんだけど、なかなかあえないで、苦労し。

聴音っていうか、音をね、聴く、聴音が一生懸命やってるんだけど、敵が、聴音がきこえても、はるかかなた向こうへ横切っちゃうやつがあってね、そこへ到達できないっていうのがたびたびあったね。

僕はあんときには兵員室のほうにいたかな。それでみんな、回天のあれもぐってくのにね、見送って、ね。確か、前部の兵員室にいて、彼らが交通塔から回天にのぼるのを見送ってね。「おい、しっかりやれよ」ってなことで、「軍医長行ってきます」なんとかってね、みんな言ってくれたんだけどね。本当に気持ちのいい、なんの未練もなく、本当にいい男たちだったね、本当に。艦長が嘆くの無理はないよ。

Q:どういう順序で号令がくだっていくんですかね、知らないんですけど。どういう順序で、号令がくだっていくんですかね。敵が発見されて。

うん。敵が発見されて、その音のね、方向でさ、どの程度で、どのくらいいると。それで、だんだん近づいてって、それで艦長が潜望鏡あげて、敵を確認して、それで、回天に電話でね、連絡するわけよ。何度の方向、何秒、潜没時間。それで、「攻撃に入れ」ってなことでね。

それで、攻撃するときには「こっち向いてくるぞ」っていうんで、それで、攻撃に入ったんだけど、あのときも、さっきのあれにあったように、潜水艦を反転してね、やったんで、そこでちょっと艦長、計算狂いして、それで2隻だけね。あれ確かね、回天はね、出撃してね、2週間以内にね、発進しないとエンジンがもたないのよ、水没してるからね。で、しかも、普通の魚雷だったら、せいぜい潜っても、5~6メーターのところ潜ってるわけよね。ところが潜水艦は70からそのぐらい潜っちゃうから、水圧でね、どうしてもあの、エンジンがね、もたないの、そんなに。で、うちの潜水艦なんか敵に遭遇するまで時間かかったでしょ。だから2基しか発進できなかったわけね。それで、藤田君(回天の故障により帰投)なんかもう発進できないで、それでね、本当に泣きながら降りてきてねえ。まあ、あんときは本当にしょうがなかったなあ。

まあ幸か不幸か、2基だけってことだったね。それもね、うまく成功してくれればいいけど、おそらく2基とも不成功だよ。

Q:爆発音は聞かれたんですか。

え?

Q:爆発音は。

爆発音もそんな、もう40分もね、あとで爆発音が聞こえるなんていうのは、もう、中の酸素いっぱいいっぱいだもの。ぶつかってあれしたとは、成功したとは思えないよね。それをもう艦長はじめからもう気がついて、それでやけになって、朝からやけ酒くうし。もう僕がいくら慰めても言うこときいてくれねえんだよね。そいで士官室でも暴れたり、特務士官の頭ぶん殴ったりなんかしてさ。

それで、僕につくづく「俺は若い男を無駄死にさせた」っていうことをね、上陸してからもさんざんそれ聞かされた。「戦争っていうのは非情なもんだよ。それを乗り越えなくちゃいけねえんだ」ってことをね、僕もいくら話してあげても、やっぱりあれだったね。彼もそれに打ちのめされてたんだろうね。本当に戦争っていうのは非情だよ。わたしだって家族を全滅されてるし。みんなそれを、みんな乗り越えて戦ってきたんだもんね。

それはもう最後のあがきで、あがいてるだけのことだな。戦争に勝つなんて思ってねえもの、ああなったら。ただ、我々が戦ってね、敵をやっつけること、敵を勝つこと、それがね、とにかく目的だったんだよね。我々だけがね、国のあれは政治家がなんかやるんで、我々はとにかく戦って勝つこと。で、まあ、戦って、我々はそのときにはもう帰れっこねえと思いながらね、それでもなんとか帰れたもんな。

「回天」っていうのは、戦局をね、変えるね、「回天」で、それの名前をつけたんだけど、変えれっこねえじゃないのよ、あれだけやられれば、それでそういう名前つけたんだよ、戦局を変えようっていうんで。「回天の兵器」、ねえ。でもそのとおりになりっこねえよね。もう最後のあがきだよ、ああいう兵器は。

出来事の背景出来事の背景

【人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、日本海軍は特攻兵器を開発。一人乗りの潜航艇「回天」である。1.5トンの爆薬を積んだ必死必殺の人間魚雷だった。

回天は、潜水艦に搭載されて海を行く。連合軍の艦隊や輸送船団に近づくと、潜水艦から搭乗員が乗り移って出撃、いったん浮上して目標を確認して、ふたたび潜航、時計とコンパスをたよりに接近、体当たりする。さらに、自爆装置も付いていて、いったん出撃すると二度と帰ることのできない兵器であった。
全国から集まった400人の搭乗員の若者たちは、山口県の大津島の訓練基地で、厳しい訓練を積んだが、15人が、海底に突っ込んだり、沈没したりする事故で命を失った。

出撃が本格化したのは、昭和20年3月以降の沖縄戦だったが、米軍の警戒が厳しくなり、目標を、当初の停泊艦から航行する艦艇に変更、攻撃を成功させるのはさらに困難になって行った。回天に乗り組んだのは、乗るべき航空機が不足してきたため、飛行兵を目指していた予科練出身の若者たちだった。回天に乗り組むことになった若者たちは、さまざまな思いを胸に秘めたまま、生きては帰れぬ兵器に乗り込んで出撃していった。

作戦開始から終戦までの9か月間で、確認された撃沈戦果は3隻。回天作戦で命を落とした若者は104人に上る。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1919年
東京都墨田区に生まれる。
1943年
慶応義塾大学医学部卒業。
1944年
野比海軍病院勤務。その後、志願して伊367潜水艦の軍医長となる。
1945年
終戦。当時26歳、軍医大尉。終戦後は、病院勤務。

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