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タイトルタイトル: 「回天搭乗員 最後の言葉」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
名前名前: 中村 松彌さん(回天特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(山口県大津島)  収録年月日収録年月日: 2009年1月16日

チャプター

[1]1 チャプター1 「回天」を搭載した潜水艦  03:59
[2]2 チャプター2 作戦方針の変更  05:59
[3]3 チャプター3 回天隊の出撃  03:19
[4]4 チャプター4 巡洋艦「インディアナポリス」撃沈  04:41
[5]5 チャプター5 艦長の判断  05:18
[6]6 チャプター6 潜水艦上で聞いた終戦  02:48
[7]7 チャプター7 回天搭乗員の最後の言葉  03:46

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年1月16日

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それはね、大竹海兵団というとこへ入団して、そして新兵教育を受けてる間に、いろいろ、コースの選択というのか、志望というのかね、それらがあって、それで海軍へ入るまでに、真珠湾の攻撃の九軍神というのに、その憧れるというのか、魅力を感じたというのか、そういうふうなんで、それがあったんで、潜水艦に乗りたいなあ、同じ乗るのやったらと思って、その、そっちのほうを選んだんですね。

じゃあ、12月のいつやったかねえ、12月の28か29日ぐらいですよ、うちは出たんは。わたし乗ってすぐ位いだからね。何も言われずに乗って、しばらく勉強しようかなと思ってる、艦内のことをしようかなあと思ったけど、すぐ出撃で、そのときはグアム島へ行ったんですかね。で、あの時分の回天の出し方っていうのは、いちばん最初のほうやったんで、目標値があって、停泊相手が、アメリカが停泊しているそのところをはじめから分かっててね、それに向けて行くんやと。そやから、わたしたち行ったんは、グアム島のアプラ港ですか。そこに、アメリカの船団がおるというので、それから何海里か手前で回天を放して、それで行けというのでやったんですけどね、最初は。

Q:最初のグアムの停泊船襲撃に行って、出撃をさせるんですけど、そのときの戦果とかね、あるいはその出撃のときの状況とかっていうのは、難しかったんですかね。

難しいですね。1万メートルぐらいから放すんですよ。たぶんね、あのときは、なんぼぐらいやろかな。その湾、港そのものが目標で突っ込んでいくのやし、なんぼぐらいで放したかねえ。あの本見たらわかると思うけどね。わたしはそのときは、回天の伝令の配置についてませんねん。次のときは、次からはわたしずっとやってますけどね。

2回目ぐらいまでは、目標は停泊機(艦船)やけども、そこへまで行くまでが、たとえば10海里なら10海里手前で無線を受けて、何しようていうたかって、それ以上進めない場合がありますな。そやから、撃たずに帰ってきたり、放さずに帰ってきたり。うちの艦長はめくらめっぽう放さへんしね。そやから、帰ってきていろいろやっぱり叱られるらしいですよ、艦長は。艦長は艦長のクラスでね、司令部へ報告に行かんなんないんで、帰ってきたらね。ほんで帰ってきて報告に司令部行きますやん。そうするとなんか文句言われて帰ってきて、不機嫌な顔して帰ってきはるしね。そういうときもありましたね。

Q:その停泊船襲撃も、時間がたつにつれて、2度目、3度目になるにつれて、やっぱり難しくなっていくんですって?

それはね、初めからどういうのかね、海軍の上で決められてるらしいですよ。「お前の船はここの位置で到着せ、そしたら(回天を)出せ」と。そういうふうに決まってたみたいですよ。それはもう司令部のほうから決まってたんちゃいますか。わたしらにわかるのは、「どこそこへ行こう」って言うて、こんだけほどの、黒板みたいなものがあって、白墨で書いてあるだけ。そんで書いてあって、そこへ行く日にちとか時間とか航路とか、こう、白墨でね、示してあるだけで、全然わたしらには詳しいことわかりません。

Q:当時はどういうふうに思ってたんですか、戦果に関しては。

どういうふうに思うも思わんも、我々には、そういう身近な情報とか考え方とか、それから直接目で見て判断するとかいうのは全然ありませんわ。それをできる方は、特定な方だけ。たとえばね、艦長がおって、そうやね、横におるのは航海長か。その航海長の上に専任将校っていうのがおるけどね、その人はもう発令するものばっかりですよ。せやから艦長とのそういうときの会話はありません。そやから、航海長ぐらいやな。

Q:そのとき艦長は「何基轟沈」とか叫ばれたりしたんですか。

言いませんな。分からへんもん。ただ、「当たってたってくれよ」って言うて、手合わして拝んでるぐらい。それはありましたね。ほんで、じっと見てて。人間って欲がありますやん。たとえば、黒いスコールの雲見ただけで、「あいつがあっち向いて行ったんやから、あれはあいつが当たった黒煙や」とかいうふうに、良い方に解釈すれば、その雲でも煙に見えますやん。そういうふうなんで、「黒煙があがったから」っていうのは、あのときはグアムの場合は、全然なかったですね。(回天が)たどりついてからの情報って、全然入りませんもんね。

Q:艦長とか、なんかおっしゃってました、その停泊船襲撃のこととか。

あとで、あとでですけどね、終戦後。

Q:あとでいうのは、なんておっしゃってました?

「なあ、あれもっと少し近くで出せば戦果も認められたんやろうけど、黒い煙が上がったというだけで、ひょっとしたらあれは雲やったかもわからへんしな」って。ま、潜望鏡で見てた状況を話してはったけどね。わたしらがのぞけるもんでもなしね。ただ、聴音は、どういうのかね、回天のスクリュー音と、それをずっと追いかけて、ある距離行ったら消えるらしいですわ、距離が遠いとね。そやから、どういうの、方角はずーっと追ってられるけど、最終的に爆発音とか、そういうなのを聞きとるところまではいかない。

Q:目測で発見すると、そうするとどうなるんですか。

潜望鏡で発見しますやんか、艦長がね。そうすると、来るまでにね、聴音でね、スクリュー音とか、それから電波探知機で艦影とかいうのがちょこちょこっと報告があって、それで船を浅くして、そして潜望鏡あげて、ぐるっとこう見ると、たとえばね、なにやったかね、モリさん、サエグサさんかな、なんか油送船、油送船はバンさんかな、誰か知らんけど、そのときは油送船を見つけたと。ほんで、油送船やから、足、向こうのスピードもゆっくりしてますやん。それで、5000か6000ぐらいまで縮めて、距離をね。それで(回天隊に)出てもらったんですけど、爆発音も消えたし、それから黒煙も見届けたし。

Q:出撃の前の号令ですね。まず敵を見つけたら、艦長がなんていうんですか。

「敵発見!」

Q:敵発見。そうすると皆さんはどうなるんですか。

皆さん・・・。艦影、油送船らしいと。そしてだんだん、どんどんどんどんどんどん距離をつめていって、そしてもっとはっきりわかるまで艦長、自分でどんどんどんどんと距離をつめて行きますわ。

Q:回天戦用意はいつの段階で下るんですか。

そのときはもうすでに「回天戦用意!」「回天一等乗員乗艇!」っていう号令があって、それで通りよりも艦内から、この屋根裏の中を上がっていって、そして「何号艇、何号艇搭乗しました!」って言って、言ってくるけんね、言ってきますやんか。

艦長は、「最後に言うことないか」って言うて、必ず聞いてはりましたな。そして、そうすると返事が「長らくお世話になりました」とか、

「アイスクリームがうまかった」とか。わたしの聞いたんは、せやから5人は、「天皇陛下万歳」は1人やったなあ。「長らくお世話になりました。後続の者、よろしゅうお願いします」、「お世話になりました」っていうのが多かったね。

インディアナポリスを見つけたときは、最初に見つけたときは、3000か4000ぐらいですよ、目測。そやから、こんなだけ近かったら、それから真夜中やしね、そんで月が出てなかったんで、月明かりもないのと、これは、そこで・・・やけど、あとでの話やけど、「あんなに近いとこ、お前なあ、魚雷で行けるやんけ」っていうのは、うちの艦長やね。あのときはもう、万が一のときに備えて回天は搭乗さしたけども、そやけど、その、回天搭乗さしたけれども、全然もう、ほったらかすで、魚雷戦ばっかりやってたんで。そうすると、回天の方から催促がくるんです。「敵はなんですか」とか。だから敵は、「敵はなんですか」と言うと、艦長が「うーん、戦艦らしい」、戦艦らしいということで、そうなると、よっぽど獲物が大きいので行きたい気持ちが高ぶるらしいですわ。

それでまあ魚雷戦に持ち込んで、距離1500、2000ぐらいかな、1500か2000ぐらいまで縮めて、で、魚雷撃って、6本撃って、全管発射やから、「全管発射」いうと6本出ますから、どれもこういう形で目標に向かってね。で、最後はまちごうてたのかもしれんけど、魚雷進路ね、6本あったと思いますわ。艦長もやっぱりね、欲があって、あの、甲巡洋艦みたなら、その甲巡洋艦が戦艦に見えたらしいね、マストが大きいので。それで、その戦艦というので設定をしてやったんで。

Q:でもその搭乗員が「行かせてほしい」と言うと思うんですね。

はい、言いましたね。

Q:それに対して艦長はどういうふうに。

「行かんでもええ、もう魚雷で沈む」。あれね、11分かかったんですよ、あの船沈むのに。そうすると、その間にね、「わたしにとどめをささせてください」と言うて何回か、わたしが覚えているだけでも3回か4回ぐらい言うてきたね。それで、その都度、うちの艦長は、「そんなん行かんでもええ、もう今に沈むわな、大丈夫、大丈夫、行かんでもええ」。また言い寄ってくるしね。それ言うと、「行かんでええ、もう沈む。見ててみい」と言うてたら、四つ目の爆発音を聞いたんで、うちの艦長は慌てて、「これは考えなかった、大砲きちゃった。おれのとこのやつが見つかったんちゃうか」って言うて、独り言だったけどね、そう言ってはったし。そのときに、深さ100で、舵はどっち取ったかなあ、取り舵いってたか、どっちか忘れたけど。そのときに深さ100ぐらいまで戻って、それである時間をおいて、それでまた浮き上がってみて、ずっと周囲をみたら、もうなんにもなかったしね。それで「完全に沈んだな」っていう。

「こんなもん(回天)使わんでええやないか」っていう話はあったみたい。それと司令部のほうの搭乗員に対する訓示とか、そういうのは「お前ら死ね」と「死んでこい」と、死ぬために出ていくんであって、そういう風に教え込んだみたいですね。極端な言い方かもしれんけど。それはうちの艦長も、「うーん、なあ、俺はそういうことかなわんな」って言ってはったけどね。

とにかく、搭乗員は出たら「敵に会いたい」そして、会うたら「わしが出たい」出たら「当たりたい」それを止めることが、それは艦長の判断やと思うねんけど、目の前に獲物がおんのに、出さずに辛抱する艦長っておったやろうかねえ。

(回天と魚雷)どっちを出すかはもう艦長の判断やからね。そやから、距離3500ぐらいで見つけて、1500や2000に追いつめて、射程距離ができたんやから、これは魚雷やな、魚雷戦、もう両方かかってるからね、魚雷戦要員も回天戦要員もかかってる。搭乗員も2人乗せてるし。

それはもう距離も短いし、潜望鏡ではっきり、夜間潜望鏡できちっと見られますやん。
それで、ほかの人、わたしをどけて、1、2、3人。水野さん、清水さん、桜井さん、それと航海長4人ぐらいは、昼の中間・・・昼の潜望鏡を上げて、わざわざ「おい、皆も見いよ、これ、見といてくれ」って言うて、艦長見せましたよ。せやから、わたし、もうちょっと後ろにある中間の潜望鏡をあげて、交替で見てるの、見てましたね。それによって、見せることによって、船の艦影、形とかそういうのんを、後で写真見てね、照合して、それで「あ、これはやな」っていうのはな、なんかアイダホ型戦艦ですかな、それに決まったんやけど、実際はチヨダやね、インディアナポリスで甲巡洋艦やったんやけど。

せやけど、帰ってきてから、艦長のとこへ、しゃべりにいったりすると、「ああ、なあ、回天、かわいそうやな、今から思ったらな」って言うてるけど、せやけどそのときはどうすることもできなんだやろうね。それは無駄に船を動かして手柄を先取りするとか、そういうことの勇み足はうちの艦長にはなかったね、慎重やったね。

ただし、これだけは言いたいね。あの人たちはいやいや死んでいったんやない。自分はその当時は、あの人たちはほんまに当たること、当たって敵をやっつけて自分も死ぬのが、自分の人生の最後の花やというような感じで、だったし、当たることに喜びを感じたん違いますか。喜んで出ていったもんね。
それはあの、1人だけ、白石(白木)さんという方やと思いますけどね、その方が艦が、艇が故障で、一緒にわたしらと一緒に帰ってきて、やらいへあった(出撃しなかった)けど、全然無言でしたわ。もう「お世話になりました」とも言わんし、そのまま黙ってあがったですね。

あのね、それでね、終戦の電報が入るらしいですね、らしいです。それはね、ツカムラという電信長がおってね。それでうちの艦長に紙切れを持ってきて、ちょこちょこっと2人で話してるのを、わたし、ちょっと、こう耳に入ったんで、そのときのことをちょっとおしゃべりするけど。「これはちょっと伏せといてくれ。皆に言うたらあかんど。これは俺とお前だけや。まだ誰にも言うな」って言うて帰らなはったね。あれ、何やったんかなって思うと、後で考えると、あれが、終戦の詔勅の電報やったかもわからん。そやから、わたしらが上甲板に集められて、終戦を聞かされたのが8月の16日です。

ああ、戦争終わったんか。あっりゃあ、そうかて、まあええわ。終わったら終わったでいいけど、俺ら戦闘に勝って帰ってきたもんなって。回天も放して戦果あげたし、魚雷撃ってインディアナポリスも沈めたし、そやから俺らは戦闘には勝ったなあ。戦争には負けたけどなあって、ねえ。そういうのがありましたなあ。それでもうすぐ軍艦旗おろして、軍艦旗そこで焼いて。まあ、焼いたときは涙ぼろぼろですわ、皆ね。あれはちょっと感激やね、忘れられないねえ。すごいですわ。まあ、艦長なんか、燃えて、火がおさまって、何もなくなるまで、じーっとこう敬礼して、士官の人立ってたし、まあ、わたしらももちろんそうなんですけど感激の一場面やったねえ、あれは。すごいですわ。ま、すごいとしか言いようないですね。

わたしね、いつも、ふっと思うのは、この人たちに、わたし、こう電話で伝令をしててね、艦長の言うと通りのことを、ぱっと、無表情ですやんか。てんで表情ありませんやん。それをただ声だけで話をする、その大きな声で、力強く言うか、ふにゃふにゃふにゃって優しく言うか、そこらにあったかもしれんねけど、そのふにゃふにゃって優しい言葉で答えたんでは、どういうのかね、相手が受け入れる気持ちっていうもんも変わってきますやん。そやから、いつも言われているように、はっきりとしゃべれと、きりっと。問い返されれるようなしゃべり方はダメだというのはわたしら教育を受けてやってたんで。そやから、一言一句は間違ってもええ、間違いはええけど、言葉の語気ですね、そやから、その語気は大事にせなあかんと、相手の心にささる語気でなかったらいかんと言われたんで、それには気をつけてやりましたね。そやから、そういうことを考えたら、「あ、この人、『長らくお世話になりました』って言うて、最後、最後の言葉ですやん。最後、最後で、何べんも言うたらやすけない(品がない)最後になるけど、本当に、人生、最後ですやん。もうその言葉だけで、ほかにしゃべる人ないんですよ、あれ、切れたら。その言葉をね、家族の人が、「ああ、聞かれたらなあ」と思いました。そうなったら、わし、胸いっぱいになりますねん。誰でも自分の最後の言葉ぐらい、家族の人に言いたいですやん。じゃないですか。せやけど言えない。本当に気の毒やと思います。気の毒やったなって思う。そのときは、あの人たちは喜んで出ていった、自分の死に場所ができたんやもん。そのインディアナポリスのときでも、魚雷が3本当たって、もう沈むっていって、沈むの待ってるもんね。それで「わたしにとどめをささせてくれ」って言うんですよ。もう、すごい言葉やなあと思ってね。それをうちの艦長、「そんなん、無駄や。行かんでもええ」って言って、それでまたそういうさかいに、「行かんでもええ」って言うて。「もう沈む、行かんでもええ」って言うてあげると、返事なしです。怒ってんやな、あれ、きっと。ほんで、沈んで自分ら艇からおりてきたときにね、ちらっと言うたね、「自分らだけでええかっこして、わしにええ場所くれんと」というような言い回しの言い方を、艦長に話してはったねえ。

出来事の背景出来事の背景

【人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、日本海軍は特攻兵器を開発。一人乗りの潜航艇「回天」である。1.5トンの爆薬を積んだ必死必殺の人間魚雷だった。

回天は、潜水艦に搭載されて海を行く。連合軍の艦隊や輸送船団に近づくと、潜水艦から搭乗員が乗り移って出撃、いったん浮上して目標を確認して、ふたたび潜航、時計とコンパスをたよりに接近、体当たりする。さらに、自爆装置も付いていて、いったん出撃すると二度と帰ることのできない兵器であった。
全国から集まった400人の搭乗員の若者たちは、山口県の大津島の訓練基地で、厳しい訓練を積んだが、15人が、海底に突っ込んだり、沈没したりする事故で命を失った。

出撃が本格化したのは、昭和20年3月以降の沖縄戦だったが、米軍の警戒が厳しくなり、目標を、当初の停泊艦から航行する艦艇に変更、攻撃を成功させるのはさらに困難になって行った。
回天に乗り組んだのは、乗るべき航空機が不足してきたため、飛行兵を目指していた予科練出身の若者たちだった。回天に乗り組むことになった若者たちは、さまざまな思いを胸に秘めたまま、生きては帰れぬ兵器に乗り込んで出撃していった。

作戦開始から終戦までの9か月間で、確認された撃沈戦果は3隻。回天作戦で命を落とした若者は104人に上る。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1925年
京都府京都市にて生まれる。
1941年
六原尋常高等小学校卒業。
1944年
呉大竹海兵団に入団。潜水艦乗組員となる。
1945年
終戦。当時20歳。海軍上等水兵。終戦後は、家業の青果食料品店を営む。

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