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タイトルタイトル: 「回天の爆発音」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
名前名前: 池田 勝武さん(回天特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(山口県大津島)  収録年月日収録年月日: 2009年1月19日

チャプター

[1]1 チャプター1 16歳で海兵団へ  05:06
[2]2 チャプター2 回天搭載での出撃  08:31
[3]3 チャプター3 多聞隊の出撃  07:53
[4]4 チャプター4 回天の爆発音  03:15
[5]5 チャプター5 終戦  08:48
[6]6 チャプター6 戦後の艦長の述懐  01:45

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年1月19日

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志願は昭和16年の12月8日に戦争が始まって1週間ぐらいたって志願して。ほれで17年の3月の末に学校をやめまして。5月の海兵団入団が決まったんですが、ちょっと肺門リンパ腺悪くしてましてね。で、9月から、9月1日の入団っていうことになって海兵団へ入った。ですから満16で。

Q:そのかなり早い段階での志願だと思うんですけど。それは何でそんな早い段階で志願されたんですか? 

そうですね。まあはっきり言えば勉強が嫌い。それで学校が、私立のキリスト教の学校だったんです。そのその「礼拝」とか「アーメン」があんまり自分に合わないんで。それで、たまたまそういうのが戦争が始まったもんで。それで「よしゃ」と思って親に相談したんですが、親、おふくろは「死にに行くようなもんだから止めろ」で。おやじは「もう1年がまんして行って、兵学校か飛行兵になれ」って言われたんですよね。「いや、俺は水兵から偉くなんだ」と言って一般の水兵に志願したんです。ですから初めから潜水艦に乗るとか乗らないとかっていうのは考えてません。

Q:「回天」というものの存在を知ったのはいつだったんですか? 

いや、回天というものの存在を知ったっていうのは、20年の4月ぐらいですね。それまでは回天ってどんなものか知らないし、回天で人間が乗ってくなんてことは全然わかんなかったです。

Q:その4月にはどういうふうに知ったんですか? 

輸送のその潜水艦ですから、いろんなコンベアとかものを積んでるわけです。それを改造するのに「横須賀から呉に回航せい」って言うんで回航したら、「回天を積む」って言うんで全部1週間で改造しちゃいました。それで「回天って何だ?」って言って、そこで回天っていうものが「あー」って言うんでわかったわけです。それまでは知らなかったです。

もうその時分には飛行機の神風特攻隊とかいうことが、耳へ入ってましたよ。ですから「回天っていうと一人乗りでこうだ」っていうことは教わりました。ただし、まさか自分の船に、その輸送用の機械なんか全部おろして回天を載せるっていうことは全然、なんていうんですか夢にも思わなかったですね。ですから、改造始めてから「あー、今度はぼくの、わたしの船も攻撃型の潜水艦に変わるんだ」と。「変われば回天をのせるんだ」と言って、言ったのがもうあれですね、初めて回天知ったときですね。

Q:日本のもう最後の潜水艦隊なんだっていうのは知っておりましたですか? 

知ってないです。全然。そういうことは耳にも入りません。ただ艦長が、時岡艦長は「わし」とかその山口県の方で「なんややっちょるか」とかいう言葉を使うんで「わしらが行くとこは、こういうとこだ」と「ウルシーと沖縄の間のむこうのあれだ、輸送船を攻撃するんだよ」ということは教えてくれたですね。ただ「どこどこで何がやられた」とか、沖縄戦で大和がやられたとか、どこで何号がやられたとかっていうことは絶対に。もう艦長なんかわかってたと思うんですが、我々には絶対に言わなかったです。

わたしは船舵で、船舵室ですからあの潜る方の潜ったり浮いたりするときはちょっと舵を取らなきゃいけないんですが、30メートルなら30メートル潜ってそのまま「平らで走れ」っていうときは横舵っていう、こんなわたしの隣のやつが船を平らにして、わたしの方はもう舵平らにしとけば、「潜れー、上へあがれー」って言うときだけ動かせば良いように平らにしちゃうわけです。ほーと、あとの少年飛行兵の3人が艦内を回って「これは何だ」とか「あれ何だ」とか言って話してるんですよね。ほれでわたしの所へ来て、「池田兵曹、ちょっと舵やらせてくださいよ」って。「おう、やってくれ、やってくれ」って言って。いくらかあれですね、上げ下げしたりして。いたずらっていうわけじゃないですけど、これ上げたり下げたりしてね。それでも船はもうあまり関係ないですから一人で5~6分ぐらいやったんですか。よろこんで、3人でよろこんで「ありがとうございましたー」なんて言って、自分たちの部屋に帰りましたけど。帰って何やってるかと思ったら「今度はトランプやるんですよ」なんて言って、トランプ始めたりしてましたよね。だから同い年ですから「うちのおふくろはこうだよ」とか「俺、俺のとこは百姓でこういうもん作ってんだ」とかね、言ってましたね。

「回天戦用意!」は8月の6日か7日に惑星を見たの、夜。それでその見張り員が「方向何度」っていって「光が見えます」という方向にって。ほれで艦内は非常ベルが鳴って全部配置ついて。で「魚雷戦、回天戦」のあの命令が出たんです。ほれで艦長が艦橋、まだ浮いてるときですから艦橋に登って行って。ほれで自分のメガネだとあれ小さいからよく見えない。それで見張り員のメガネ、大っきなメガネで見たら、そうしたら惑星ということがわかって。ですから配置解除になりました。

「魚雷戦回天戦用意!」が、もう非常ベルが鳴ると同時に・・彼らもやっぱりわたしらと同じように蒸し暑いとこにいますから半ズボン、パンツで上はもうランニングか裸なんですから、非常ベルが鳴った途端に急いで自分たちの服装を整えるわけですね。ちゃんと飛行服に着替えて。ほれで、いつでも乗れるように自分の、自分が2号艇なら2号艇のはしごの下へいって、あとの命令を待ってるわけです。その惑星のときも、彼らはワーッと着替えて飛んでって、自分の士官室の方のそばに自分たちの寝るとこがあるんでそこにいて、非常ベルが鳴った途端に3、4、5号艇の連中がそこで着替えて、わたしの背中を通って、後ろのあの回天の搭乗口に待機するわけですね。それですからその惑星だからってわかってまた帰って来たら、すぐあれですね。すぐ服装を替えてまた半ズボンになって「なんで、あれ惑星だったよ」なんて言って来ましたよ。だからね、だからこいつらね、これでねほんとに死に・・そんときはね「死ににいくんだから」と思ったよ。だから、だからね、このね、5人はね、あれだったね。どういう腹を持ってたかわかんないですよ。

Q:その惑星のときは、「なーんだ、惑星か」なんてちょっとあっけらかんとされてたんですか? 

あっけら、そう。だからこれ、ケラケラしてて、「よくこれらはあれだな、人間魚雷に乗って、ほれ行く気持ち持ってるんだな」とぼくは不思議に思いましたよ。ほんとにね、普通の人間じゃないですね、あれだと。ですから、わたしらと話しても艦内を歩いていてもね、「これは本当に、あれは敵に遭って本当に死ぬの覚悟してんのかな」って不思議なぐらいだったですよ。

けど最後にね、終戦になって帰ってきたときに鈴木少尉が「生きてて良かった」って。そう言って、わたしにね、ささやくように言って光(山口県)の基地を降りたんですけどね。それがまあ、彼ら3人は亡くなったけれどもそれがねえ、人間としての本心じゃないですかね。

見張り員オカベっていうんですが、これがあれですよ「マスト!」って言って。わたしは右の方にいたもんですから、わたしもメガネ前の方こう向けたら、メガネいっぱいにですね、もうマストがダーっと並んでんですよね。そうしたら艦長がやっぱりタバコが好きでタバコ吸ってましてね、「ちょっと見せろー」なんて言ってあれです、前方の、オカベのメガネを借りて見たら「いやーいるわ、いるわい」って言って。それであれです。「潜航用意!魚雷戦回天戦用意!」って言って自分から飛び込んだんですよ。ですから艦長がいちばん初め入ってそれで「潜航」って言うんで見張り員がバタバタっと入って、そのオカベがハッチ閉める。「ハッチよし」と言った途端に「ベント開けー」って言って潜ったですね。それで初めは魚雷戦のつもりだったんですが、約8千メートル距離があるんでとっても。魚雷は3千、4千ぐらいで魚雷戦できるんですけど、8千メートルっていうと魚雷がだめですから、どうしても回天ということになって、回天で「回天戦用意」に切り替えたんですよ。それでもう「魚雷戦回天戦用意」のもうベルが鳴ってみんな飛び込んで潜り始めたらもうすぐ成瀬さんらの5人が服着替えましてね。そのまんまみんなあれ、自分のその搭乗口へ飛んでいったんですね。

ほれで伝声管で、信号長が「成瀬中尉、指令塔へ」って呼んで、成瀬中尉はわたしら後ろの八ッチから上がって来まして、それで艦長に「どうだ、行くか」なんて言われましてね、「行きます、行かせてください」。もうそういう話はみんな聞こえるんですよ。すぐ、もうハッチ一つ上ですから。「行きまーす」っていうね、はっきりして言ってましたね。

多聞隊の彼ら5人が、8月11日に乗るときは、若手の連中はもう何も言わずに急いであれですね、飛行服着替えてもう短刀を握って自分たちの搭乗口へ行ったですけど。成瀬さん(中尉)だけは後ろから、いちばん潜水艦のうしろからあれですね、「ありがとうございました」って言って。1号艇ですからいちばん前の船室まで後ろから歩いて行きまして。でわたしが舵取ってる所へきて「おー、池田兵曹ありがとうな」って、「世話になったな」そう言って行かれましたね。

Q:それで何基出たんですか? 回天は。 

3本です。3本のこの3人が出て。1本は鈴木さん(少尉)はジャイロかな、でそれが2号艇。3号艇はエンジンがかかんなくて出られなくって。岩瀬(岩井一飛曹)かな、それで2艇残して。まあその2本。いちばん初めに「2号艇故障」と言ったときの艦長は怒鳴ってましたからね。「すぐ直せ!なにやっちょる」 海ん中潜ってて、17メートル潜って潜望鏡あげて見ていて、ほいで「すぐに直せ、なにやっちょる!」ってもうメガネとっくん脱いで言ってんですけど、潜ってるなんてことはもう全然頭へなかったですね。やっぱりわたしらも、もう興奮してますから。みんなお互いに興奮してますからね。もうこれで、わたしも「これでまあやられるんなら、駆逐艦に・・人間魚雷出ていって、あと駆逐艦でやられるんならやられるんだし、助かるなら助かるだろう」と。まあ、どっちでもいいんだと思いましたよ。「どうにでもなれ」っていう気持ちになったですよ。

Q:回天がこう3基出てったときはどういうふうに。成瀬さんが出てったわけですよね。

ええ。もう成瀬さん(中尉)1号艇ですからいちばん先に出たんですけど、もう「1号艇発進」って言って電話の連絡するやつが「1号艇発進」って言って、言ったらとたんにもうあれですからね。バンドおさえてる、魚雷をおさえてるバンドが外されるんですよね。もう外れればダーっと飛び出ますから、外れるのが甲板にゴトゴトンと落ちた、落ちるか落ちないかっていうときには、もう回天がもう前に進みますからね。ただ「行っちゃったんだ。成瀬さんが行ったんだ」っていう。だけどあとはもう、何にも頭の中には残んないですね。もうまっ白ですよ。

人間の本能なんですね。生きるっていうことは本能だと思うんですよね。死ぬことは本能じゃないですよ。ですから、わたしらだって駆逐艦が頭からワーッとすごい音、もうすごい音で。ほんとですよ。25メートルぐらい上ですから、もう駆逐艦のエンジン音だとかスクリュー音がワーワーワーワーっと頭の上通って。「いやー、もうこれで終わりだ」と思ったですよ。だけど結局は、助かりたいから、わたしなんかその関東学院っていうのはキリスト教のね学校ですから、ほんとに「助けてくれ、助けてくれー」って、口には出さなかったけど「助けてくれー」って言いましたよ。

Q:爆発音は聞いたんですか? 

ええ、ズズーっていう音はあれですね。うちの船乗り、連中は全部聞いてます。それで船は左15度ガーっとかしいだ(傾いた)のが、わたしなんかはこうなったですからね。舵持ってて。それから、それで艦長は潜望鏡こうやって。こうじゃないですからね。潜望鏡をこうやって抱きついて見てて「3機命中3隻轟沈」って言って叫んで。伝声管から「3隻轟沈」って言って艦内に知らせる。艦内では「やった、やった、万歳、万歳」って各区画で言ってましたが、艦長が「黙とうー」って言ってね黙とうしたんですよ。

結局、戦果のことは、そのとき「3隻轟沈!」と言ってあれしたんですが、わたしが、この前、この本を書くときに厚生省と話をしたところが、8月11、アメリカとも・・その前の先任将校、小平っていう先任将校ですが、その方も「366の8月11日に人間魚雷3基、輸送船に向かって人間魚雷3基発進してるけれども、そのときの状況を知らせろ」って言って、アメリカとの話も「そういうあれは無い」って言うんですよね。こっちの厚生省も「そういう記録が載ってない」って言うんですけれど、結局わたしなんかはその場に乗ってていて、爆発音らしきものとあとは船がかしいだのは自分で体験してますから当たったっていう確信は持ってますけど、そういう話も出てるんですよね。だから失速しちゃったのか、途中でその故障してなくなっちゃったのかは、今でも言われても未知数ですよね。ただ、音の聞こえたのと船のかしいだ(傾いた)のは自分自身で、自分が経験してますからわかってますけど。そういうとこを調べるとそういう「8月11日はそういうことは一切なかった」ってこう言うんですから、どっちがあれだか、本当だか嘘だかわかんないんですけど、艦長の口からは絶対にそういう話は出なかったですね。

終戦ね。もう電令暗号文で来て、暗号(担当)のウツミっていうの、これも亡くなっちゃってんですけど、ウツミが暗号が来て暗号を解読して、艦長に見せるか見せないかって迷ったらしいです。それも4日前にそういうことやってますから、見せて良いか悪いかって本人が言うんですから、これは。見せようかどうしようかって思って考えて、やっぱりこれは命令だから見せないわけにいかないって言うんで、解読して艦長んとこに持ってって。ほれで艦長が伝声管で、こういうわけで日本は負けたんだと。ほれで「呉に帰ってこい」っていう電報が入ったから、これから呉に向かうっていう話を伝声管でしたんですよ。そうしたら8割、7割から8割の人間が「まだ回天は残ってる。魚雷は4本持ってるんだから沖縄に行く」ってがんばったんですが、艦長ともう一人の軍医長があれですね、前部兵室、後部兵室に行ってその沖縄行くって言う連中に「いいかい。一回呉に帰っても、また出直すっていうことも出来るんだから、一応これで呉へみんな帰ることを承知せい」と言ってあれですよ、呉に帰ろうっていうことで、それから浮き上がったんです。それまでは潜ってました。それで艦長は「敷布(シーツ)か何か、持って来て潜望鏡に結わえろ」って言うんで、あれは主計兵だったですか。敷布を二つに裂いて潜望鏡、艦橋へ持って行ってそんときの信号員かな、潜望鏡にくくりつけまして、それで潜望鏡を上げて潜望鏡が17メートル上がって、その上に結局はその白旗として敷布(シーツ)がピラピラしてたんですよ。それでその当直員だけは、当直員だけ残して全員が甲板に上がりました。で、「君が代」と「海行かば」を歌って。

こっち(回天)3号艇が1本残っているところに(搭乗員の)鈴木さんと岩瀬(岩井)かな、が2人とも人間魚雷の陰になるようなとこへ、もうまるっきり頭下げていたんですね。と、それから整備員も一緒にいました。だけど1号艇を積んでる架台、4,5号艇の架台が固縛してあるバンドが外れてそのまんまの格好で残っているんですからね。見たら何とも言えなかったですよ。光で積んで、5本積んで出るときはね、ほんとに元気で威勢よく出てったんですがね。帰りはそう3本いない。それで潜望鏡上げて白い敷布結わいてるんですからね。ほんとにあれですね。もう鈴木さんやなんかじゃないけど、口もききたくなかったですよ。ほんとに、あれですよね。空になった架台とバンドを見たら何にも言えなかったですね。

もうまず何で我々が一生懸命にやってんのに、なぜ降参、負けちゃったんだろう、降参しちゃったんだろうっていう気持ちの方が強かったですね。
だから「沖縄へ突っ込む」って言うやつが多いんですよね。「日本は負けてない」ってこう言うんですから。だけど艦長が「そうじゃないんだ」と。「こうだ、陛下のご命令だから一回呉へ帰るんだ」って言って、ほいでみんな納得したんです。わたしなんかはもうほんとに、その艦長が潜ってるときに伝声管で言って聞こえる。それが聞こえたときはもう、舵の前にこうやって座ってたんですけど、もうまるっきりもう何て言うんですか、もう肩から、体中の力がワーッと抜けちゃってあれですよね。セミかなんかの抜け殻みたいなだったですよ。口もきけなかったですよ。で、まだそんときね、は二十歳になるかならないかだから。だけどやっぱりですね、呉へ帰って隣の船につけて、ほいで落ち着いたらば、「ああ、俺は助かって生きて帰って来たんだ」っていう気持ちにはなりましたね。それまでは、まるっきりあれですよ、抜け殻みたいだったですよ。

もう整備兵はもう、2本故障させたもんで、これもあれですね、食事ぐらいとってたんだと思うんですけど、これらもあんまり口きかなかったですね。だから特攻隊2人はもうまるっきり、帽子を深くかぶっちゃって下向いたっきりだったですね。だから光(山口県)に入って降ろすときに、鈴木さんがわたしにゴチョゴチョッと言って、「ありがとうございました」って言って降りただけで、他の連中は口もきかないで降りちゃったですね。それから鈴木さんは30年ぐらいあれですね、回天の話を自分の親兄弟にもしなかったらしいです。なおさら近所の人にも何も話をしないで、30年ぐらいしなかったらしいですね。それでぼつぼつ話をして、で、大津島に初めて、戦後初めて大津島にお参り行って、それで行って半年ぐらいで亡くなっちゃいましたね。安心したんじゃないかと思うんですよ。

艦長はあれですね、飲みながら話したんですけど「かわいそうなことした。本当は撃たなくても良かったと、俺はあとで考えた」って言うんですよね。ほれで、2回ぐらい、この3人の戦死した3人の実家にはお線香あげに行きましたね。ほたら、3回目に成瀬さんの所へ行ったときに、「もう来ないでくれ」って断られたんです。そんな話も涙こぼしながら言ってました。ですから艦長も、そのときはやっぱりもう、国のためという思いがあったからあったからこそ、かわいそうだという気持ちも持ってたと思うんですけど、発進させたんですよね。ですから戦後、わたしがそうやって行ったときに「かわいそうだった。かわいそうだった」って、涙流しながらわたしには言いましたよ。ほんとに、ほんとにかわいそうだったです。

出来事の背景出来事の背景

【人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、日本海軍は特攻兵器を開発。一人乗りの潜航艇「回天」である。1.5トンの爆薬を積んだ必死必殺の人間魚雷だった。

回天は、潜水艦に搭載されて海を行く。連合軍の艦隊や輸送船団に近づくと、潜水艦から搭乗員が乗り移って出撃、いったん浮上して目標を確認して、ふたたび潜航、時計とコンパスをたよりに接近、体当たりする。さらに、自爆装置も付いていて、いったん出撃すると二度と帰ることのできない兵器であった。
全国から集まった400人の搭乗員の若者たちは、山口県の大津島の訓練基地で、厳しい訓練を積んだが、15人が、海底に突っ込んだり、沈没したりする事故で命を失った。

出撃が本格化したのは、昭和20年3月以降の沖縄戦だったが、米軍の警戒が厳しくなり、目標を、当初の停泊艦から航行する艦艇に変更、攻撃を成功させるのはさらに困難になって行った。回天に乗り組んだのは、乗るべき航空機が不足してきたため、飛行兵を目指していた予科練出身の若者たちだった。回天に乗り組むことになった若者たちは、さまざまな思いを胸に秘めたまま、生きては帰れぬ兵器に乗り込んで出撃していった。

作戦開始から終戦までの9か月間で、確認された撃沈戦果は3隻。回天作戦で命を落とした若者は104人に上る。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1926年
神奈川県横浜市にて生まれる。
1942年
私立関東学院中学校3年修了。横須賀第2海兵団に入団。
1944年
伊366潜水艦乗組員となる。
1945年
終戦。当時、19歳。終戦後は、皇国葡萄酒株式会社勤務。

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