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タイトルタイトル: 「性能試験での事故」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
名前名前: 鈴木 節造さん(回天特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(山口県大津島)  収録年月日収録年月日: 2009年1月15日

チャプター

[1]1 チャプター1 学徒出陣  03:44
[2]2 チャプター2 「回天」  05:00
[3]3 チャプター3 出撃がきまり、帰省した  00:38
[4]4 チャプター4 事故  07:18

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年1月15日

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そういう学徒兵なんとかって言ってね、全面的に禁止になるっていう事は、そのとき、急に決まったん違うか?だからそれはもう、文科系統ばっかりだろ?理科系統は全部学校に残ったもんね。

逃げ出したやつもおった。何万人かの中にはね。逃げ出したって捕まるに決まってる。だからもう、何か嫌な事言われたら精神っていうのはかく乱するんだろう?あのころの学校教育って言ったら、そういう右翼的な傾向があったけれど、共産的な傾向はやったら全部捕まるもんね。全部拘束されてしまう。だから中にはおったはずじゃわ。おったけれど、うまい事潜行してやっておったんやろうねぇ。

Q:鈴木さんはどういう風にお感じになったんですが。兵隊になるっていう事は。

だいたい兵隊嫌いやったもん。運動は好きやったけれど。親父に怒られて学校に行かせてもらったときはね、そんだけ延びるわな。兵隊になるの。だから良かったけれどな。みんなほとんどそうと違うか?大学生になっておる連中は。軍隊の好きな連中は先に軍隊に入っておる。

これで、たまたま、わしは本当に親父に怒られるまで、はじめから外地に出たい、ああいう気持ちがあったからね。もう拓大(へ)入って、後は外地へ。南方か、陸地だったら蒙古の方へ行ってな。そういう歌も流行っておったしな。「蒙古放浪」かなんて言うてな。だからそういう気持ちはあったけれど、軍隊行くっていう気持ちはさらさらなかったもんな。

わしは近畿やから。大阪やから。呉管轄になるわな。そこで2か月、3か月か。12月10日に入ったからねぇ。召集で。だからそこで3か月訓練させられて、大竹海兵団っていうところでね。それでそこで士官になるか、陸軍で言ったら幹部候補生になるか、もう全然不似合いでね、身体の悪いやつか、なんか思想的に悪いやつか、そんなんでもう選別されてしまうんでね。だからその性能的なあれがなかったからねぇ。士官候補生になったときは困ったわな。

幹部候補生になって初めて行った所が魚雷艇隊。それまではね、みんな他の連中は実習学校言うて、その課目の学校があんねん。海軍では。だから我々の魚雷艇隊っていうところは水雷学校の管轄になるわけ。で水雷学校で基本の勉強を教えられる企画になっておる。それが我々の場合だけは直接もう、魚雷艇隊にほうり込まれた。何で何も勉強せんのにこんなところへ入れられて、何をやるんやろうと。それで魚雷艇隊にほうり込まれて、1か月経ったときに「海軍最大の兵器が出来た」と。「希望するものは考えなさいっ」て。

そのときにその最大の兵器が出来たっていうもんやから、まぁ言うたらなぁ。その隊に行ったら生きて帰られへんっていう事が分かっておったら、ちゅうちょするわなぁ。でもそんなんやから、よしこれはおもしろいぞって言って。魚雷艇隊におってもやね、いちばん気になるのはスピードのある性能のある兵器が欲しいわな。そんな大きな大砲とか積めるような船じゃないもん。魚雷艇っていうのは。だからそこへ志願したわ。

Q:海軍最大の兵器が出来たって聴いて、それでどんなもんだと思ったんですか?それ。

いや、どんなん言われたらなぁ。わからんわ。それは何か模型でも見せてくれたらな、それはちょっとは分かるやろうけれど。まぁハワイの特殊潜航艇っていうのはいちばんの兵器や思っておったねぇ。だからハワイの特殊潜航艇以上のやつが回天やわな。だけどそれの訓練やろう思ったら大変やがな。そんなの。

Q:何で志願されたんですか。

何で志願されたって?もうどうせ軍隊に入れられたっていう事は半分死ぬ事を覚悟しておるやろ?それは覚悟せんやつもおるやろうけれど、そんなヤツは全然態度で出て来るからね。毎日「制裁」くらっておったんちゃうか?それはまぁ実践したわけでもないんだけれど、魚雷艇隊の訓練やっておったってね、魚雷艇の日本の魚雷艇は、言うたら30ノットが精一杯やなぁ。で、アメリカのヤツは50ノット出るんやろ?倍近い速力があるんやから。だから南方なんかの波の静かなところでやったらね、太刀打ちができへんっていう事は、アホでも分かるわけや。

Q:初めて回天っていうのを見たわけでしょ?そのときの事を覚えていますか。

鈴木:そりゃびっくりや。びっくり仰天や。あの中入るんかいなって。だからわしが入ったときなんか、回天なんて言わないもん。「カンオケ、カンオケ」言うとったもん。もうあれに乗ったら帰られへんっていう事になっとんだから。どうせ死ぬんならねぇ。戦果派手に死なな。つまらんなっていう風になってしまうわね。そういうような情況に人間っていうのは慣れるようになっとるん違う?第一に親姉弟の事を思うね。自分一人が犠牲になったら、親姉弟や後いくばくは生き残れるん違うかっていう。一縷(いちる)の望みで。走っていくん違うか?どうせ行くんならっていうのがあるからな。自分が一人犠牲になって。親姉弟が後を頑張ってくれたら。これに越した事ないわな。

わしも最後まぁ一日大阪へ帰ったけれどね。もう記念写真撮っておるけれど。母親はまったく知らんもんな。妹は帰ったときに言うとったわ。「兄さんあのとき別れに来たんやろ」って。「お前何でそんな事言うねん。分かったんかい」って言ったら、「何かそういう感じがしたで」って。

事故にあったのはね、わしらの乗っていく兵器が決まったわけ。わしの兵器が。だからそれの性能試験に乗りなさいって。お前はこれで突撃するんだぞと。最後のあれやから。自分で性能試験しとかんとチェックのしかたによったらな、変なあれが出ても困るから。どうせ行くんやからしっかりしたね、戦果を収めてもらわな困るんやから。それはみんなやらされるんやと。それでこの、まぁここに操縦者がおるやろ?この辺にちょっと空いておるところがおる。まぁ人が入れるぐらいのな。横向きで入ったら、だからここに入ってやね、これ・・機械全部あるからね。ここへ固まって全部機械があるから。だからここで性能試験しなさいよって言う事で、乗せられるわけや。最後の訓練で。

それでもう我々のときは、どういうんか湾岸攻撃で、湾の中の船を攻撃するんじゃないからね。航行艦襲撃やから、みんな太平洋の上を走っていくやつをつかまえて撃つんやからね。その訓練やから。もう、最高の感覚やわ。だからこれを攻撃して走っておるやつを攻撃する練習をするわね。そしたらこれを攻撃して何分かしたら浮き上がらないかんねん。向こうへ行ったり、島にあったり、他の船に当たったりする可能性が多いからね。だからそれがやね、見損なったわけ。はっきり言うて。攻撃するのに何分、観測したときから2分か。3分かあるわな。それでこれを攻撃した時点で今度浮上するのに1分かそこらで浮上せないかんの。訓練やから。それを浮上せんとやね、だーっと進んでおったわけや。という事は操縦しておったヤツがちょっと頭に来ておったね。もろに来ておった。それをわしが先に発見せにゃいかん。でもわしは一生懸命機械の性能ばっかり、こう見ておった。それでひょっと見たときには3分で浮き上がらなきゃいかんのを、見たときはもう4分5分経っておったわけ。「あーしもうた」と思ったけれど、そのときはもう遅かった。

岩にすべって上に飛び上がって島の上に飛んでおったらしいわ。それで引き上げてもろうてな。中から開けられへんからね。島の上に上がっておんのやから。それを見てハッチをあけて引き出してもらった。引き出してもらったけれど、そのときは気が張っておるからね。それで相手は予科練やろ?エエ恰好せなあかん。こっち。「どけ。頑張るわ。どうもないわ。」って偉そうな事言うてやね、起き上がろうと思ったんやけれど、そのままひっくり返った。立てへん。足が。それでそれから発着場までその追従艇言うやつでね、連れて行ってもらった。それで発着場に着いて、初めて今度、練兵場へ。隊長に報告せにゃいかん。訓練の模様をね。生きておるんやから。それが出来ひん。海軍では全ての行動を駈け足でいかにゃいかん。駈け足出来ひん。それでまぁ歩いて隊長待っておるからねぇ。そこへ行って報告して。それで報告するなり、すぐ医務室へ行けって隊長からの司令で。医務室までは歩いていったみたいやね。だから。それで医務室行って、背中の方が何か服脱げ言われて、背中の方をごそごそごそごしておるなぁと思った事は、何か、覚えているような覚えていないような。もう要するに医務室に行って寝転がされてからは全然覚えていない。それから十日経ったんか、十五日たったんか、もう日にちは元気になってから逆算したらね、一週間以上十日間以上は意識不明だったらしい。わたしは。それも初めて大小便を取ってくれたのも誰か全然覚えていない。それでまぁ、歩けるようになったんやから、ずーっとトイレまで歩いていって。そのまま歩いているときに、最初に会ったのは、軍医長や。それは覚えておるわ。というのは、軍医長が言う事がふるっておるもん。「お、鈴木、鈴木少尉。もう歩けるか。」それだけや。病気の経過も何も聞かれた覚えはなし。診察もしてもらった覚えはない。それからしばらくして、光(山口県光市)の正門のあたりに防空壕があってな、そこに避難しておれって、いちいち空襲あっても逃げるわけにいかんから。防空壕にのんびりしていなさいっていう事で。もうそれが結末ですわ。だから海軍病院は全然知りません。海軍病院に行けとも何とも言いもせんわ。身体の調子もどうやとも言わん。要するに使い捨てやな。はっきり言うて。もう元気なもんから元気なもんからどんどん潜水艦のある間は。鉄砲の弾と一緒やから。それが実像と違う?軍隊にある間はそんな事言われへんわな。今やからこれはっきり言うとるけれど。

出来事の背景出来事の背景

【人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、日本海軍は特攻兵器を開発。一人乗りの潜航艇「回天」である。1.5トンの爆薬を積んだ必死必殺の人間魚雷だった。

回天は、潜水艦に搭載されて海を行く。連合軍の艦隊や輸送船団に近づくと、潜水艦から搭乗員が乗り移って出撃、いったん浮上して目標を確認して、ふたたび潜航、時計とコンパスをたよりに接近、体当たりする。さらに、自爆装置も付いていて、いったん出撃すると二度と帰ることのできない兵器であった。
全国から集まった400人の搭乗員の若者たちは、山口県の大津島の訓練基地で、厳しい訓練を積んだが、15人が、海底に突っ込んだり、沈没したりする事故で命を失った。

出撃が本格化したのは、昭和20年3月以降の沖縄戦だったが、米軍の警戒が厳しくなり、目標を、当初の停泊艦から航行する艦艇に変更、攻撃を成功させるのはさらに困難になって行った。回天に乗り組んだのは、乗るべき航空機が不足してきたため、飛行兵を目指していた予科練出身の若者たちだった。回天に乗り組むことになった若者たちは、さまざまな思いを胸に秘めたまま、生きては帰れぬ兵器に乗り込んで出撃していった。

作戦開始から終戦までの9か月間で、確認された撃沈戦果は3隻。回天作戦で命を落とした若者は104人に上る。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1943年
大学予科在学中に学徒出陣で大竹海兵団へ入団。
1944年
回天搭乗員になるが、訓練中の事故で重傷を負う。
1945年
出撃のないまま終戦を迎える。

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日本(山口県大津島)

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