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タイトルタイトル: 「米軍上陸で陸上戦闘へ」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] “ベニヤボート”の特攻兵器 ~震洋特別攻撃隊~
名前名前: 久保 守人さん(震洋特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(沖縄・金武)  収録年月日収録年月日: 2009年12月4日

チャプター

[1]1 チャプター1 パイロットになりたかった  04:52
[2]2 チャプター2 22震洋隊 沖縄へ  04:54
[3]3 チャプター3 米軍機の攻撃  03:03
[4]4 チャプター4 仲間のかたき討ちを誓う  02:50
[5]5 チャプター5 出撃命令を待つ  03:12
[6]6 チャプター6 3度目の出撃  05:39

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] “ベニヤボート”の特攻兵器 ~震洋特別攻撃隊~
収録年月日収録年月日: 2009年12月4日

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僕は予科練に入って、僕はやっぱ戦闘機乗りを希望しとったね。あの当時の海軍の戦闘機乗り。もう片っ端からあれに乗って上がったら片っ端からもうたた、たたき落としたろうと思っとったわ。そんだけのファイトやったわ。何くそ、おまえらに(日本を)自由勝手にさせてたまるかいというのが僕らの信念だもん。そやろ。命がけやもん。あんたらの、話ししとる相手のあんたらの、「ああ、ごもっとも、ごもっとも」ばっかりもわかれども、おれたちは「ごもっとも、わかります」の中に、絶対に許されもんがある、こいつは片っ端からもうたたいてつぶしてやんのが、われわれの特攻隊の役目やもん。そやろ。

Q:あの川棚で初めて震洋見ました? その初めて見たときどう思いました?

いや、こんな面白いもんに爆弾積んでおれたちは行くのかと思うたら、いやあ、国はかわいそうだと思うた。国、日本の国はかわいそうだと思うた。そやろ。ベニヤのボートとあんた、山ほど鉄鋼を持っとるあんた、アメリカ相手やで。え。

びっくりした。こんな面白いもんにおれたちを乗せて爆弾と一緒に飛んで行けちゅうのか。ひどいことになったなあ。これやっぱり日本だな、ひどい道理やわと。おれたちそう思うたよ。そやろ。片っぽはベニヤ板やで。ベニヤ板ってあんた知っとる?ベニヤの板。このわれわれの指一つ、げんこつ一つでも穴あくんやで。そんなもんに乗ってかかって、爆弾積んで行けやで。あんたらっちゃどう思う。

こんなもんに乗っておれたちがぶつかるのかちゅうのが、川棚へ行って初めてびっくりこいたわ。いや、日本に船がない。何かもかんかもないない尽くしやから、「おい、おれたちようようベニヤ板の兵隊やなあ」言うたまま。われわれや、われわれの甲の13期や。甲の13期はもう、ありとあらゆるとこの特攻隊員や。僕らの同期生や。

Q:実際の訓練した震洋艇っていうのは、やっぱり実際乗ってみてどうでした。 もろい感じでした。

いや、もろいのはや、だらにしてしもうて(バカにされてしまって)。そやろ。こんなもんにおれたちを乗って飛んで行けちゅうのかと。「はあー、おい、日本もここまで来たら終わりやわい」ちゅうのが僕らの考え方。そんななら、もう暴れまくっていくと、こういうのが、われわれ若いあの当時の海軍の特攻隊員の考えや。どうせおまえらあっち行け、こっち行け言われるんなら、そんななら飛行機であれ船であれ、おまえこれで行け言われるなら、暴れて暴れて暴れて暴れて暴れまくって、アメリカ軍と戦うたろうと思うた。おれはそうやった。人は知らんよ。おれはそうやった。

あきれた。正直なこと言うてあきれた。このベニヤ板に爆弾積んで、「おまえ行け!」「えらいことになったもんだなあ」っちゅうのが第一印象。よーし、そんなんなら精いっぱいこれで乗って、沖縄戦はね、やってやってやってやってやりまくって戦うてこうというのが、当時の甲の13期の考え方や。奈良空て言ってね、あそこの奈良の御社のあの近くにあるとこにある航空隊の、そこへ入ってからが、その別館のそこへ行っちゃったんだから。

金武へ着いてからあんた、アメリカ軍がいつ来るやらわからん。どっから来るやらわからん。海も空も陸もやから、いつどこからどんだけの兵力が来るやらわからん。そんなもん相手やろ。そうすりゃあんた、われわれの同期生だけでも、一定の人間だけは、どんな大敵であろうと少ない敵であろうと、おまえらこっち行け、あっち行けちゅう軍の動きやからね。
そしたら僕らあこ行って、行って着いた時分は、着いたら、ああそうか、おれたちは奈良の部隊かと。ね。奈良空へ入ったんやから奈良の部隊かと。そしたら「いの一番」、どこの特攻隊に行くのも「いの一番」われわれは。あこの13期の予科練を引っ張り出せっちゅうなもんや。そいつをぴょっぴょっと引っ張り出されるやでね。そやからまともに考えても、一般の者は作業でけんねん、そやろ。ちょっこ(ちょっと)まとめてりゃ、「はい、おまえらこっちや、おまえらあっち」って、こうして一応戦闘に向かうていくんやで、それはひどいもんじゃった。
ああ、そうか。おれたちの決まってもうたんはここやったのかと。ね、われわれにすりゃ。ははあ、おまえらここの捨石やぞというて言われたのと一緒ちゅう。

いやほんとの土方やね。土方。ここらで言う土方。何って決まっとらんが。手当たり次第の土方。「いやあ、おい、おれたちようよう、飛行兵が乗る飛行機なくて、ようよう土方になってもうたなあ」言うて、わしゃ大笑いしとった。「かまうことねえ、そうせ、どうせ乗る飛行機ねえやならね(ないならね)、この土方の船で暴れまくったれ」ちゅうのが、われわれの特攻艇や。

初めは慣れるまでね、昔で言う中等学校出はね、土方ちゅうもんがどうや知らんがちゅう(どんなものか知らなかった)。「おい、おわっちゃ(わしら)乗る飛行機がなあなってもうたら、ようよう土方になってもうたのう」してよう、おわっちゃ言うたもんじゃ。土方。ミヤ、おれ、ほらミヤシタやろ。「ミヤ、おい、やつらおれらの乗る飛行機つくってくれんとって、おまえら土方で頑張るようになってもうたな。ひどいことになったなあ」「よーし、そんなんなら、どうせ捨てられてしもたど、土方なら、手当たり次第片っ端からもう、相手の敵を全滅させにゃ承知できん」ちゅうのがわれわれやね。そやろ。敵やもん。戦うとる敵やもん。そやろ。こんなもん、生易しいことでこの難関な越せんぞと。こんなもん手当たり次第、自分らの敵やさけ、片っ端からなぎ倒せと。さあ、命がけでまた頑張るぞちゅうのが、わしらの部隊の搭乗員の者の考え方。
あっち行ってもこっち行っても、食べ物はないわ、部落民や村民から「兵隊さん頑張ってくれ」言われるわ、兵器はないわ、弾薬はないわ、ないないない。飲み物も食べるもんもねえ、汲々してたって「頑張ってくれ」やろ。そらまあ極端なこと言うなら、あの当時の若いもんの破れかぶれやち。そやろ。どこ行くかわからないもん。行ったとこ、行ったとこがひどいんやもん、そやろ。初めに行ってかって、いやあこんなもんかと思うとったら、何のことはない、群がる敵やろが。いやあ、こんな追っ払っても追っ払ってもきりがないと。いやあ、ひでえことになったな。

「おい、やっぱり嘘でなかった、はや、おれたちを見て早や爆撃に来た。こりゃあひどいぞ」。それが僕らの合言葉やった。そらま、あっち行ってもこっち行っても弾の下やもんやから。

Q:最初こう飛んできたのは、すぐ敵だってわかりました。

敵やと思うたわ。

日本の飛行機飛んでこんがいもん。そやろ。日本の飛行機飛んでこんがいから、そこへ飛んできたいうたら、はあ、アメちゃんの何か来たか、こういうわけなもんで。今で言うアメちゃんや。

いや、いよいよここは、ここはいよいよ飛行機の爆撃の、一番の爆撃されるとこになったかと。えらいこっちゃ、これはひどいとこへ来たぞと。そらそこで早やもう自分の体はもう静止しとるもん、頭に落ちとっから、んな恐ろしいもんなしやっちゃ。そやろ。自分が死んだつもりでいれば、アメリカ軍と戦うて行くがやさかい。そうなったらな、きかんもんじゃ。

Q:えーと逃げました。戦ったんですか。

おれはね、山へ。山から「おい、こっち来いよ」言うた、呼ぼった者おったから、「お、あこにだれそれおるな。ほんならあそこへ行くか」ちゅうなもん。

Q:水に飛び込んで泳いで逃げました?

おれは飛び込んで逃げんよ。ただ浮いとるだけや。どうしようもねえもん、アメリカは飛行機やもん。こっちはあんた、プカプカ人間浮いとるだけやもん。そやろ。んな相手にならねえ。相手になって取るとこ一つもねえ。やられっぱなしや。

あんたたちはその、俗に言う何でもかんでもやられっぱなしって、わけわからんまい。ひどい、ひどい。ひどいなんちゅうもんじゃない。命かかっとりゃ、ひどいなんちゅう、片っ端からやから。そやろ。「また来やがった。また来やがった。こらもうあかんわい。しゃあないなあ。ほんならここでいっか」ちゅうようなもんやちゃ。

いやあ、あれもいっちゃったんか。いやあ、これもまたひでえ負傷、負傷やな。これもいっちゃったんか。それは悲しくてしょうがなかった。かわて(かわいそうで)。あんたたち、戦友愛ちゅうものわからんまい。そやろ。今こないして話しとるもんが、間もなくあちらへいっちゃうもんやから、かわて、かわて、かわて、もう涙ちょちょ切れとったわ。

だからあれ聞いたとき、かわてかわて泣いた。かわて。あれ(辻兵曹)も1艇隊やろ、おれも1艇隊やろ。おれは1艇隊の部隊長直接やったから、1艇隊の3小隊の4番艇やった。辻が1艇隊のあれ2番艇やったかと思うとるわ、しとるわ。多分2番艇やな、おらのたか(高)におるなと思うたんやから。かわてかわて。こんなわし、その敵討ちどこまで敵討ちやったろうと思うて、よーし、そんなちんこいのを相手にせんとでかいやつ、根こそぎ片っ端からどっぱらいたると思うたわ。その当時やよ。そら日本軍だもの。相手はアメリカ軍だもの。こんなもの来とるさかい、片っ端からたたき落としたるわちゅうのが、おわっちゃのそれが信念やった。ま、そういうことは幸いなかったけど。

Q:辻さんはやっぱり一番仲良かったですか。

あれが一番早くなあ(亡く)なったさかい仲良かったがね、かわかったよ。で、一番はおれ、ちょっと名前覚えてんがな、1番はね。2番が辻で3番が、3番だれやったろ。で、4番目がおれやったはずや。

Q:でも久保さんたちは死んだらかわいそうだと言いながら、自分で死にに行く部隊でしたよね、特攻隊だから。自分たちがこう17、8で死ぬっていうことはもったいないなとか思わなかったですか。

久保:もったいないなんちゅうないわ、あんた国があっち向いとるかこっち向いとるかちゅうときだよ。あんただってそれぞれに、直にあんた日本の自分の国があっち向いとるらんか、こっち向いとらんか、倒れ倒れのがいってもうとらんか、あんたそう思うたら、あんたそんなのんきにのほほん、ハハハ言うとられっかい。そんなもの日本人でねえわ。俺に言わせりゃ、それは日本人でねえ。
だからおわっちゃ、そういう貴い命を預かってきたから、生きとる間、東京行きゃできるだけ靖国神社へ参拝して、ああ、かわいやな、かわいやなちゅう。この亡くなった戦友を弔ってやらなかわいそうで、ほかに専念できない。そやろ。おれはそれや、ひとは知らん。おれはそういう思いや。かわて、かわて、かわてかなわんな。

いつ来るかな、いつ来るかな、いつ来るかな、その「おまえら行け」っちゅう命令がいつ来るかな、いつ来るかのこれを待っとるの。そやろ。いつ、あのあのベニヤボートやで。あんたが見たとおり。え。 あれがあんた、その当時のとっておきの兵器、兵器やで。ベニヤ。ね。穴あくんやで。こんなもんに乗ってかて爆弾抱えておわっちゃ行くんやで。あんたそういうできる。 あんたたちこの話聞いて、おらの言うた話全部想像できるか。恐らくできまい。どんな乗り物でどの方向へどんなして、途中に敵もおるだろうが、そんなもんとどんな戦闘してかて、そこ乗り越えて行っとるがか、想像したってあんたたち想像追っつかんまい。おわっちゃ次から次から次から次から、山ほど次から次からそんなものばっかり耳に入ってくるやろ。「そうか、あいつらもいっちゃったか。今度はおれたちの番かなあ」て言うとる、我々やねん。それが今現在に生き残っとる。

Q:その出撃命令を待つ間、いつ、いつか、きょうかあすかって待ってる間っていうのは、どんなこと考えてるんですか。

いや、おとましい(惜しい)とは思っとらんだよ。

Q:おとましい。

おとましいなんて思っとらんだ。そんなダラ(ばか)なこと思うとり、とにかく日本軍の敵になっとるんやから、こいつらを片っ端からたたき落とさんことにはだめやちゅうのがわれわれの考えや。あんたらのな、生易しい坊ちゃん育ちの「ああ、そうか、そうか」と違うよ。そんな生易しいことおまえ、相手の兵隊に勝てるかい。そやろ。「ミヤ、おまえ、アホなこと言うな。おまえはあっち行く前にやられちゃうんだぞ。ちゃんとそこらへん考えとけ」。そのとおり。よーし来てみされ。沖縄行ってから、よーし来てみされ。来てみされ、来たくらいなら、どんなんしてやったろうかなと思って考えとったわ。

Q:自信はありました?

自信あるなしかかわらず、あんた、そういう気概で前進せんことには道は前は開かんばいね。そんな生易しいんじゃないよ。あらゆる敵弾も空襲もアメリカの飛行機も車も、これみんなあんた、自分らを、おれたちをやっつけるために来とるがよ。

豊廣さんな、わし豊廣さんの直接やからね。第1艇隊の第3小隊の4番艇やからね、1、2、3、4番がある番号がおれやから、部隊長が指揮者やからね。そしたらね、正直なもんだね、「よーし、部隊長と一緒に行くならこんなもん、片っ端からもう、出会うやつ片っ端からもうなぎ倒していけ」ちゅうのが、人はどうや知らん、わたしはそういう思いやった。

実際は人が見ればどういうふうに見えるか知らんけど。ま、ひどいもんじゃった。ひどいもんじゃったけど、命がけのご苦労もあったちゃ。

Q:いよいよじゃあ出撃だっていったときに、行くぞって、豊廣さんからきょう出撃するって言われたときは、じゃあもう気持ちは…

ああ、高ぶってもうとる。よーし、腹いっぱいアメリカの軍艦見とるやさかい、よーし、一番でかいやつ探して、でかいやつに行ったれと、おれはそう思った。いや、おればっかりでないらしいよ。「ミヤ、そんなもんは、やくとぶつからんなら、そんな中間は吹っ飛ばせ」言うのも、そのまま当たったして何なる(どうなる)。でかいあれ、でかいやつにでかい穴ぶちあけて、こんでも言うこときかんのかっちゅうようにせにゃだちかん(ダメだ)ちゅうのが、われわれの考えやもん。そやろ。

はじめね、漫画と一緒やよ。そらベニヤ板やろ。それもあんた、ベニヤ板を運ぶリヤカーやろ。リヤカーの芯がピクリンピクリンと前が、真っすぐ行ってくれんが。こないギコギコ鳴っとればあんた、真っすぐ行こう言うたって行けるわけがない。それ途中でギコギコってこうやって、「ほらこれで動けんわい」。これが実態や。そんなもんに乗ってかて戦争せい言うがいで。あんたどう思う。

Q:無理がありますよね。

想像つかんまい。想像つかんまい。「おい、ミヤ。おらちょっと急いで乗って飛び乗ったら穴あいた」「そこ穴あいたらおまえ、そこから今度は水が入ってばやくやぞい(大変だぞ)」。「ほんで困っとるんじゃ。うまい方法ないか」「そんなもん中へ板持ってきて釘、コンコンコンと釘打ちつけて張っとけ」言うてかて、おれはそういうに笑うとったわ。

まあ考えてみりゃ漫画や。え。たんた踏みゃ穴開くがいぜ。たんた踏んだら穴あくもんに乗ってかて、でけえ爆弾抱えておまえら行けや。そんなん生き残りやぜ。あんたどう思う。あんたどう思う。あんた自分でそんな立場になったら、あんたはどう思う。

うん、おれの船の前がパーになった。どこへ行ったかわからなくなった。

Q:見失ってしまった。

うん。おれの船の前。宮本らち(たち)。

Q:どうして置いてけぼりを……

知らん。そんなもの相手のあんた、指揮者のとおり動いとるもん。おれらはそれを指揮しとらんねえもん。わからん。「あれれ。あれつんだってこんとこみたら来んだな(付いてきていると思ったら来てなかった)。どこに脱落したんかな」。こんな感じや。

Q:もう気がついたらもう、1隻になってました?

うん。「あれれ。あいつらどこ、おい、おわっちゃのこと置いてきぼりしたな、おい」という感じや。

いや、焦るちゅうもんじゃないわ。いや、あいつらどっか先に早や、目的物にぶつかるつもりで行っちゃったなあと。おれっちゃそういう解釈よ。

うん。「おい、ミヤ、おまえのエンジン調子ええなあ」。「おう、おれは調子ええわ。おまえは。」言うて、「おれパスンパスンいうとるわに、弱った」ちゅうのは3番艇やった。3番艇は「おい、ミヤ、おれの船パスンパスンいうて弱った」言うた。

おれはね、あかんだ。いやあ、バーンとぶっ放したると思ったらあかんだ。しゃあないな、ほな部隊戻るぞ。ほして部隊の陸上の、陸上戦闘するもんと一緒になった。

これはこんだけひどい、たくさんバタバタバタバタと戦死したもんじゃ。こりゃあ、ボヤッとしとったら、その仲間と一緒にパタパタパタパタパターッといってしまうと。そんなんなら、第一番先に早や戦闘に入っていこうと。ね。人がどうやこうや言うとる間に、おれは早や戦闘部隊に、早やその列へ入っていこうと。おれはそういう方法を取った。

出来事の背景出来事の背景

【“ベニヤボート”の特攻兵器 ~震洋特別攻撃隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を一挙に打開しようと、大規模な特攻部隊が海軍で組織された。その名も「震洋特別攻撃隊」。“太平洋を震撼させる“と謳い、6200隻を製造、およそ5千人をこの作戦に動員した。
その多くは、航空機搭乗員を目指していた予科練出身者や学徒兵の若者たちだった。しかし、秘密兵器「震洋」の実体は、ベニヤ板製のモーターボート。長さ5メートルの船首に250キロの爆薬を積み、敵の艦船に体当たり攻撃をしかけるという兵器であった。

開発を強く主張したのが海軍軍令部・黒島亀人。連合艦隊の参謀として攻撃を成功に導いた人物だ。

長崎県の川棚で訓練をした「震洋」の部隊は、米軍の侵攻で上陸が予想されたフィリピンや、沖縄本島や石垣島、奄美大島などの離島や本土各地の海岸などに配置された。しかし、作戦がはじまってからは、輸送中の爆撃や設計の不備によると見られる爆発事故が続出し、特攻作戦の前に多くの若者が命を落とした。狭いボートの中に、燃料タンク、4トントラック用エンジン、そして爆薬が詰め込まれていたのだ。しかし、海軍軍令部がこうした事態の改善に乗り出すことはなく、「震洋」による特攻作戦は終戦まで続行される。結局特攻に成功したのは数隻のみといわれている。5000人の兵士のうちおよそ半数が命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1926年
富山県氷見市にて生まれる。
1941年
名古屋陸軍造兵廠技能養成所入所。
1943年
三重海軍航空隊奈良分遣隊に、甲種飛行予科練習生として入隊。
1944年
川棚臨時魚雷艇訓練所に入所。震洋搭乗員となる。
1945年
第22震洋隊として佐世保港から沖縄県金武村へ出発。3次攻撃に参加するも、エンジントラブルにより帰還。捕虜として終戦を迎える。
1946年
復員。復員後は、鉄道省金沢管理局伏木駅勤務。

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