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タイトルタイトル: 「住民を犠牲にした戦争」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
名前名前: 守屋 友作さん(北海道・歩兵第89連隊 戦地戦地: 日本 (沖縄)  収録年月日収録年月日: 2010年11月24日

チャプター

[1]1 チャプター1 機関銃手  03:08
[2]2 チャプター2 緑の島、沖縄  01:05
[3]3 チャプター3 十・十空襲  01:52
[4]4 チャプター4 姿を見せた米艦隊  06:33
[5]5 チャプター5 米軍上陸  06:05
[6]6 チャプター6 運玉森の戦い  03:05
[7]7 チャプター7 接近戦  01:20
[8]8 チャプター8 野戦病院へ  03:14
[9]9 チャプター9 壕に潜んだ3日間  01:46
[10]10 チャプター10 斬り込み  04:06
[11]11 チャプター11 掃討作戦  05:55
[12]12 チャプター12 「国頭突破」  06:34
[13]13 チャプター13 迫ってきた米兵  02:30
[14]14 チャプター14 終戦  04:56
[15]15 チャプター15 復員  05:19

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
収録年月日収録年月日: 2010年11月24日

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「守屋、機関銃やれ」と指名されたので、「はい」ってやるしかないですよ、指名された以上はね。「はい」。で、次男坊の場合は余り指名されないし、危険性があるということで、次男坊は余り指名しないですね、やっぱりね。いや、長男坊は指名しない、次男坊にやらせる、危険性があるからっていうことで、やっぱりその辺も多少ね、区分けしてると感じました、はっきり言われました。「守屋、次男坊だから、おまえ、機関銃やれ」、指名されました。

Q:日本の機関銃っていうのは、当時はどういうものだったんですか。

わしらの機関銃はもう九九式っていってね、新しくできた軽い機関銃ですよ。それで、一連に持って30発入るです、弾倉にね、30発入る。だから、連続、まあ大体30発出ることになるんですけど、まあ、そんなような機関銃で、機関銃のうちでも一番威力ないですよ、小さいし、軽いしね、九九式はね。

とにかく、輸送船乗った。乗ったけど、輸送船の中、もうね、5段階の段組んで、はって歩くようになってるんですよ、中は。丸太でみんな段組んでるんですよ、4段階に組んでるんですよ。そこへ、ダーッと並ぶんですよ、板が。暑くて暑くて、汗だくだくですよ、中に乗ってても、立たれないんですよ。ぎっしり兵隊が詰め込む。そうやって乗って、3日がかりで、沖縄の石川の湾に到着したんですよ。それで、「ここから上陸するんだ」ということであったけど、「波が強くて、この湾では上陸できない」というので、翌、次の日、那覇の港に回って、那覇の港から上陸したんです。それで、上陸する寸前になって、初めて、「これは沖縄の本島だ」と、「沖縄の島だ」と、「沖縄ってどこだい」って、わしら、分からないから、「いや、沖縄って日本の国だ」っていうことになった。「ああ、日本の国、日本へ来たのか」って、まず、そこでホッとした、一安心。「ああ、日本の国か」って、ホッとしましたね。

Q:その沖縄の風景だとか、やっぱり珍しかったですか。

ああ、珍しかった。上陸したときには、那覇市もね、ちっぽけなもんで、ただ目につくのは、砂糖工場と学校だけが、ポン、ポンとあるだけで、あと、みんな一軒家ですよ、ざっと、ポン、ポン、ポンと一軒家。草屋根が半分、かわらが半分、那覇市であっても。うん。全く貧弱な町ですよ、「これが市か」いっていうようなもんだった、そんな感じでしたね。でも、緑はもう、見渡す限り緑、海は緑、「いやあ、こんないいとこか」と思ってね、ええ、本当にもう懐かしかった、びっくりしたね。

戦争の気配は、当時、まだ、なかったけど、上陸して、10月10日の空襲で初めて。最初作業を、陣地つくりに行く朝7時ごろね、作業場に行く途中、アメリカの飛行機が7機飛んできた、10月10日だね、7機飛んできた。「キーン」っていうからね、「日本の飛行機と音がちょっと違うな、変だぞ」って言って、上見たら、7機ね、アメリカのグラマンが飛んできた。「おお、アメリカのグラマンだ」ということになって、初めてそのときは、「ああ、これアメリカが偵察に来たのか、もしかしたら、戦争始まるかな」と思ったね、そのときに。

そうして、あの日の10時ころかな、北飛行場と中飛行場、那覇市と、その3か所を爆撃したはずだね、そういうふうに記憶してる。それで、避難民がね、那覇市のほうから、南からダアーと流れてきて、東恩納の道路ね、避難民が真っ黒なって行った。しょえるものしょって、担ぐもの担いで、避難民がダアー、道路ね、北へ北へ逃げていくのを見ましたね。子どもさんは、ワンワンワン泣いてね、行くのは見ました。

20年の1月の何日かな、20年になってから今度、南部の東風平へ移動したね。2大隊本部はね、東風平付近に行きまして。そして、東風平へ行ってから、今度、東風平行ってから壕堀りやったんです。「敵が、アメリカが、もしかしたら、沖縄へ、本土向かってくるんでない」っていう情報は入ったの。それで、「陣地構築をやれ」というので、摩文仁周辺の岸壁に陣地構築やったね。

Q:どっちに向けた陣地だったんですか。

太平洋側だから、摩文仁だから、太平洋側に向けて陣地構築、港川から、あの海岸ずっとね、場所を指定してつくったね。洞穴、チョチョチョッてあるんですよ、沖縄はね。その洞穴につけ加えて、銃眼つくったり撃ち場所をつくるわけですね。

Q:全部海に向けて・・・。

海に向けて、すべてもう海に向けてつくりましたね。

今度、監視要員に選ばれたんですよね、「監視要員に行きなさい」というので、4名で監視要員行ったんです。それで、摩文仁の丘の土手の先のとこへテント張って、監視要員勤務やりました。あれ摩文仁、あそこら辺もね、険しくてね、今の道路何もないから、あの丘の鉄柵の先からロープ垂れて、そこを、ロープ伝って上がって監視要員、監視やったんですよ。3月の5日か6日だね。「敵艦隊が来るよ」と、「沖縄へ攻めてくる」と。「もう、日本本土に来てるんだ」という情報入ったのが25、6日だったかな。とにかく、発見したのがね、3月27日午前3時30何分っていうことで、わしが見つけて報告したの。もうね、水平線がラクダのごとく、こうなってきたの。それで、「班長殿、見てくれ」と。「アメリカ艦隊のようだ」っていうので、わしが報告して、班長が上がってきて見て、「ああ、なるほど、アメリカ艦隊に間違いない」と、「あれは間違いない」と。それで、「よく監視せよ」と言われて見ておったら、もう、みるみるうちにダアーと来た。だから、もう港側から、摩文仁の丘の海岸も真っ黒になった、アメリカ艦隊が。ダアー、真っ黒になってしまった、もう水平線見えないほど。「ああ、すばらしい艦隊さ。これ、いよいよ戦争始まるな」と思いましたね、そのときは。

27日来て、28日になったら艦砲をやるんですよ、摩文仁の土手に第一番に5、6発撃ちましたね、あそこへね。わしが立ってる土手にね、5、6発、ボーン、それが、一番最初だったね。ええ。28日の朝だね、9時か10時ころ、ボーン、ボーン、やってきた。「おお、いよいよ始まった」と思ったら、そうしたら、今度グラマンが来て、グラマンが8機だったか10機だったかぐらい来てね、頭の上高く飛んでチャーと来て、爆弾、飛行機から落とすんですよ。そうしたら、シューと頭の上飛んでいって、東風平のほうのトウキビ畑でバアーンバンって、それも、5、6発落としたね。それが始まりですね、戦争の。

そうしたと思ったら、今度、アメリカ兵は船からおりて、水泳ぎやってるのもいるんですよ、5、6人で、水泳ぎやって。眼鏡でこうやって見たら、真っ赤な顔して、真っ赤な体格でよ、「いやいやいや、すばらしい」のと、「これと戦争しなきゃならないな」そのときは思ったな。「いやいや、恐ろしいなアメリカというのは」と思ってね。初めてアメリカ見たからね、「あんなのと戦争しなきゃないのか」と思って、ハッと思ったね。

29日の朝になったら、もういないんですよ、船が、サーッと。何隻か、十何隻ぐらいが、ポッポッておっただけで、あと、いなくなって、皆、那覇のほうへ回っちゃったの。19日の朝はもういないです。10隻か、十何隻いたと思ったら、15隻もいたかな。あと全部、那覇へ回って、牧港へ行ったんだね。あっちは平らだから、上陸しやすいから、向こう行って上陸したわけ、あそこから、上陸したんだね。

Q:上陸の知らせっていうのが、守屋さんのような一兵士にも伝わってきたんですか。

いや、上陸したのは、そのときはわからないですよね、わしらにはないけども。今度、「監視員はやめれ」と、「もう監視撤収しろ」と、「監視しなくてもいい」と。「アメリカは那覇へ回った」からということで、「撤収しろ」という命令が4月の1日だったか2日だね、撤収したんですよ。今度、2大隊も、本当は2大隊があそこ主力だったんだよ。日本の考えは、最初はあそこに上陸してくると、港川かけてあれを上陸するっていう考えだったらしいの、それは、後からわかった話だけどね。それで、向こうへ回ったら「撤収して、2大隊も全部戦場へ行くんだ」という命令は出たね。

命令出ました。4月の2日の晩だと思う、2日の晩か、「戦場に出発」という命令出て、全部もう完全軍装して、夜、出発してね、戦場に向かった。それで、途中で休んで、昼は、とにかく、行軍できないでしょう、グラマンが飛んでるからね。昼は、もう、めいめいっていうか、草とか隠れやすいとこへ、みんな倒れ、横になったり何したりして、草木を利用して、昼は、いるんですよ、移動しないです。夜になったら、暗くなったら移動する。そうやって戦場に行ったんです。そして、戦場に行ったけど、夜、戦場に行った。近間まで行ったんだけど、とにかく、戦場がもう臭いものの、煙はモンモンモンモン上がってるしね、バリバリバリバリバリ、アメリカの戦車がいて、バリバリー、バババババリーってね、弾がパーンパン飛んでくるんですよ。だけど、それで合流するわけで行ったと、それら辺は、わしら新兵だからわからんけど、応援には行ったんだけど、とてもそこへね、割り込んでいかれる状況でないんですよ、あれ確かにね。「こんなとこに割り込んで行ったら、ひとたまりもない」と、わしらも思ったからね。で、一晩、墓なんか、みんな、箱出したり、何して入ったんだけど、とてもいられないですよ、もう。状況もわからないし、行ったばかりだからね。前の部隊がいるんだからね、戦ってるの、ある程度、やってるんですよ。だから、「これ割り込んでもしょうがない」と思ったんでないの、大隊長、偉い人が。「よし」と、うちの部隊はね、「これに混ざってもだめだ」と、「無駄だから、下がって運玉森に陣地構えろ」ということで、運玉森におさまったんです。

もう攻めてくる、寸前に、もう木や草がなくなっていくし、ドン、ドン、ドン、アメリカがね、迫(迫撃砲)は来る、艦砲は来る、爆撃する。だから、草、木なんかもなくなってしまうし、全く。根が1メーターか2メーターは残るけど、皆なくなっちゃう、吹っ飛んじゃってね。吹っ飛ぶし、険しいとこは、火炎放射器で焼くしね。そうやって攻めてくるから、ちょっとした小高い山は皆もう艦砲でバンバンたたくし、爆撃するし、石山と同じですよ。この辺の、石とってる山と同じで、ガラガラですよ、皆、ガラガラ。今、行ったら、あんなにきれいな緑だけど、当時の戦争の跡はすごかったですよ。石山で、石とったと同じガラガラですよ、ちょっと小高いとこはね。まだ、小高いとこの中はね、ちょっとした洞穴があるんですよ、沖縄、あっちこっち。それがあるから助かるの、兵隊も。でなかったら、みんな全滅ですよ、一人も残らないですよ。

Q:それ、身を隠す場所が、もう全然ないってことですか、焼かれて、上は。

戦争したあとは、ほとんどないって言っていいですね。ええ。穴があれば、穴に入るしかない。まあ、そういう穴があったから、多少なりでも生き延びれたね。

においもすごいですよ、もう。衣類からね、避難民の壕、そっちこっちあるし、そういうとこ行ったら、もう、いぶってるからね、においがすごいです。あと、死んだ地方人(住民)だとか、兵隊も死んでるからね、場所によってはね、そこへ行ったら、もうすごいです。ハエがね、銀バエがもうムーンと、夜なんか歩くとね、死んだあとはすぐわかるんです、銀バエがブーンと飛び立つの、夜でも。

持久戦で。だから、そうやっているうちに、運玉森でアメリカの兵隊が昼、11時ごろ、もう運玉森を越して、向かいの高い山こう上がっていく、はってね、それも11時ごろ見つけたの、おれが、監視入り口に立っとったら、こう、はってくから、「あれアメリカでないかな」って、こうやって。アメリカだと思って、今度少尉に、「少尉殿、あれはアメリカでないか、あれ。見てくれ」って。来て見て、「ああ、アメリカだ、撃て」って言ったね。「守屋撃て」って言うから、「はい。」それ今度向かって、ビリリリー、撃った。したら、初め、本当倒れてね。あと逃げたね。それから今度ね、向こうから撃ってきたもん、バリバリバリって撃ってきたし、今度、迫(迫撃砲)がバンバンバンバン、おれの撃った周囲に落ちるんだわね。おれをわかって、狙ってるわけじゃないんだけど。おれ1人、あとみんな壕に、穴に入ってるから、おれ一人で撃ってんだから、「撃て」って受けたあと、みんな壕に入ってるから。おれは壕の入り口から1間ぐらい出て撃ったからね、そうでないと撃てないんだわ、斜めじゃね、撃てないから、出て撃ったから。おれ、わかってなくても、彼らはそこの周囲に、迫まり来るからたまんないす、もたもたしとったら。だから、もうビリリービリーっておれ、12、3発か5、6発しか撃ってないんですよ。それでもうすぐ入って、また、こうやって、すき見たら、8名ほど倒れたけども、ものの30分か40分したら、兵隊、20人ぐらい来て、ズルズルみんな引っ張っていった、連れていった。だけど、それは、ねらわなかったけどね。それは、おれしか見てないんだ、おれが見てたけど、うちの部隊たち穴にいるから、それは見てないの。

Q:じゃ、撃ったら、物すごい攻撃を受けるから、撃つのも、そうしたら怖いですね。

まあ、そうだね。だから、「死ぬときは一気に死にたい」と、それだけだね、考えてるのは。「苦しみたくない」って、「彼みたいに苦しんで死にたくない」と、「負傷したくない」と、それだけだ。「死ぬのは、もう一気に死にたい」と、そうは思ったね。

それから今度手りゅう弾戦は毎晩のアメリカようにやったね、運玉森で、手りゅう弾戦。もう、壕の上に乗り込んじゃってるからね、運玉森では、手りゅう弾投げるんです。それで、手りゅう弾戦やって、やっぱり「天皇陛下万歳」って言って死んだのは1人いますね、ナカノワタリっていう同年兵だけだね。負傷したのを壕に、運玉森で連れてきても、「水くれ」手足を負傷したらね、水欲しがるんすよ、出血するとね。「水くれ、水くれ」って言うから、「おい、もう、水やれ」水やったら、死ぬけども、水やれ。水やったら、水喜んで飲むよ、ぐうっと。水飲んだらもう死んじゃうの、ぐぐって死んでしまうの。

運玉森から、負傷して、わしは、そこで下がったからね。下がって、ハセガワという戦友を、負傷したの連れて、ひめゆりの壕に、野戦病院に連れていったから。「守屋、おまえ連れていけ」って言われて、連れていって、「おまえ治療して、ね、4日、5日ならおまえ向こうにいれ」と、部隊もね、運玉森、長くもたないから、撤収するから、そっちへ行くから、東風平へ下がるから、「いれ」と言われたの。それで、ハセガワ連れていって、野戦病院へ連れていって、ハセガワを渡して、そこで、わしも治療してもらったけども、わしはもうとてもね、野戦病院行ったら、いられないです、中に。ワンワン泣いてるのもいるしさ、そうやって負傷して兵隊並んでるし、負傷したのがいっぱい並んでるし、今度、奥にはね、山積みになってるでしょ、2カ所も。うん。臭くて、臭くて臭くて、とてもいられない。

Q:山積みというのは、何が山積みなんですか。

兵隊、死んだ。まあ、兵隊ばかりではない、地方人も入ってるだろうからね。

あそこへ入った途端に、「いやあ、すごいな」と思ってびっくりした。なぜ、びっくりしたかっていったら、戦争で負傷してる兵隊、ずらっと並んでる、寝てるしね、奥にはね、死んだ兵隊が積み重なってるんですよ、地方人も入ってると思うよ、あれは。奥の方はちょっと暗くてはっきり見えなかったけど、よく見たら、兵隊が詰まってるんですよ、奥にずうっと。臭くて、臭くて、いられないですよ、とても。それで一晩でおれ出てきたの、出ちゃったの。

Q:でも、そこにいたら、弾には当たらないですよね。

弾には当たらない。弾には当たらないけど、とてもいられないですよ。

Q:負傷した兵士たちっていうのは、病院の負傷した兵士たちっていうのは、どんな様子でしたか、何か記憶にあることはありますか。

いや。記憶にあるっていうのは、奥のほうで自決しとったね。

一晩のうちに1人、おれいたときはね。1人、自決したね、奥で、バアーン。ああ、自決したな。そういえば、騒いどった、「自決したな」って。それ記憶にある。そんなのだから、「ここにいてもしょうないわ」と思って、わしは、次の晩に暗くなって出たの。

壕から、野戦病院から出たから、出て、まあ歩いてみたわね、「どこへ行くかな」と思ってね。歩いたら穴があったから、穴のぞいたら、民間人だったわな。それで、入っていって話ししたら、民間人だわな、はっきり民間人、それで「兵隊か」っていうから、「兵隊だ。負傷して、今、治療受けてきたんだけど、とってもいられなくて出てきたんだけど」って言ったら、それで「運玉森から、うちの部隊も近いうちに下がってくるんだと、ね、4日5日したら下がってくる、ということを言われてるから、ここへ置かしてくれ」って言ったら、「ああ、いなさい」と言われて、そこにいたんですよ、4日、3日いたのかね。3日目になったら、部隊が下がってくるし、今、アメリカ攻めてくるっていう情報が入ってきたの、兵隊が来たの、どこかの兵隊が。あれ、うちの部隊の兵隊だったかね、何か兵隊が来たんだ。来て、「地方人はここから出ていけ」と、「ここへ下がれ」と言われたの。それで、その地方人たちは下がっていった。  

あの壕、ひめゆりの壕から出て、その周囲歩いてるから、摩文仁の周囲だわな、うん、あの辺の壕なんだ。

与座の壕に入ったときにはまだ皆、大隊長初め、全部、偉いのおりましたね。それで、とにかく監視要員に出されたり、特攻に出されたりしとったね。夜ばかりだ、攻撃、もう昼は、全然出られないですよ。昼はもうグラマンとかね、爆撃あるしね、もう、昼は全然出られない。夜になって初めて攻撃するんだけど。だから、わし、与座へ行った途端は、余り、特攻、出なかったけども、機関銃だから。ほかの兵隊は、結構、特攻に行ったようだね、出たんだけど。

Q:特攻っていうのは、いわゆる斬り込みと同じことですか。

「斬り込み」っていうか、斬り込みとまた別だけど、まあ、とにかく勝ち戦だから、アメリカはね、前方にテント張って悠々と休んでるんです、夜。昼になったら行動するけどね。昼はもう、ある程度の監視要員だけ、高いとこ、ちゃんと配備はついてるけども、夜。昼はもう、あれだ、どんどん攻めてくるけど、夜になったら、皆テントで休んでるんです、ゆっくり、悠々と。それをねらうんですよ。それ、ねらうのには、大体3名で行くんです。手りゅう弾に黄色薬を縛りつけて、威力3倍ぐらいにして、それ持っていくんです。それ持って、前方300メートルぐらい、前方にテント張って、こうこうと電気つけて、歩哨がテントのくるわに3人ぐらいいる、大体2名か、3名いるんですよ。そのテントを爆破するのに出されるんですよ、命令、3人。それに向かっていくのが主だね、夜も、与座岳に行ってからは。

わしらも、最後になってから、兵隊がいなくなってから、わしも、4回か5回行ったけどね。うん。兵隊いなくなってから、「守屋行ってこい」、4回だったか、5回かな、行ったね。行ったけど、おれだけ生き残るんですよ。うん。「おい」って、「あそこ行くぞ」「今日撃たれるぞ」「おまえら、撃ってきたら、固まったらだめだぞ、走れよ」と、「走ったら弾当たんねんだから」と。ね。「わかった」「守屋、おまえ先に行ってくれや」って。「おお、おれ先歩くから、おまえついてこい」。して行くんだ。行ったら途端に、ね、ビイービイーってこう撃ってくる、おら、もういないもん、すぐ、撃ってきたら、ばあーっ、ばたんと隠れる。弾、ビューンと来る、当たらない、走って動いて、走っているうちは。2人そこへ固まっちゃって、走れないの、夜、暗いから、すくんじゃうの、みんな、だから当たっちゃう。「ウウー、やられるー」うなるのもいるし。ね。だけど、そんなの、かばってる余裕ないわ、かばってたら、こっちも死んじゃうから、かばえない。うん。で、「おお死んだな、やろう」って。「やつ死んじゃったわい」と思って。だから、しょうがない、一人でさっささっさと帰ってくる。「少尉殿、守屋帰ってきました」。はっ、「おめえ一人か」「はい。あとやられた」「ああ、そうか。よし終わりだ」、そうやって。

小川があって、小川の土手のとこに地方人の壕があるの、こう並んでね、避難する壕が。して、衣類とかなんとかいっぱい入とったね。そのときに、12名、歩哨に出されたの、「アメリカ攻めてきたら撃て」ということで出されたんです。そこで昼も監視やって、アメリカ攻めてきたら、撃つように構えとったの。構えとったけど、今度、3日目か4日目かね、もう100メートル手前まで、昼、11時、昼過ぎごろ、戦車4両とアメリカ兵隊、1個中隊ぐらい、150、60名、だあーと来たもんね。どんどんと、攻めてきた。「これは撃たんきゃなんないかな。見つかったら撃つべ」と。「見つかるまで、まず撃つんでない」と、「戦車いるからひとたまりもない、やられるぞ」と。「見つかればしょうない、撃つしかない」と、「死んでもやるしかない」と。「やるしかないから、とにかく、向こうで、見つからないうちは撃つんでないよ」と、撃たなかったの。撃たないでいたら、もう3時ごろになったら、そこから攻めてこないで、土手のそばまで来ないで、3時ごろ帰っていった、引き揚げていった。「おいおい」って、「帰っていったぞ」と。「だけど、明日はもうここへ来るわ。明日来たらひとたまりもない、抵抗したってどうにもならん」と、もう感じた、こっちはな。そうだ、戦車4両来てる、兵隊だあーっと来てるし。機関銃、おれしか持ってないし、あと小銃だ、一発一発ぽんぽん撃ったって、どこにも着かないでしょう。だから、「おい」って、「明日は来るぞ」と、「明日来たらやられるぞ」というので、今度、「おい、引き揚げるべ」と考えた。
 
撤収するには、今度、許可が要る。大隊長と小隊長ほか、みんな偉いのいるんだから、壕の中にね。その命令受けて出たんだから、許可なしで戻れない、戻れない。「よし、許可取りに、だれか行け」となった。「だれか行ってこい」と。ところが、だれも許可取りに行くっていうのがいないんだ、今度、夜だからね、夜だ、もう夜12時、もう2時ごろだったかな。もう過ぎちゃったんだな、何だかんだって、相談してるうちにね、2時ごろだと思うんだ。「おい、余り遅くなったら夜明けちゃうから、早く決めれ、だれか行けや」。だれも、「行け行け」たって行くやついない。「おい、守屋、頼むで」って、今度おれに来た。いや、前に、おれにも言っとったけど、いやいや、だれか行けばいいんでねが、何、おればかりして、何って。で、おれ、最初受け合わなかった。だけども、何だ、かんだおれに頼む。おまえ達者だから。「よしよし、したら行く」と、「だれも行かないんだら、おれ行ってやる」と、「よし、おれ行ってくるから、ね、待ってれよ」と。それで、おれ出かけた。1人で出て、いや、1人でいいと、2人なんか要らないと、1人のほうがいいんだと、隠れて歩くのに1人のほうが都合いいから、1人で行ってくるから、大丈夫だ。それで、おれ一人出たの。

出て、部隊に行って、ね、イナイ少尉に、「少尉殿、もう前方にね、昨日もう100メートル足らずのとこに、戦車4両とアメリカ兵が、だあーっと150名ぐらい、5、60名来たんだ」と。「今日はもう乗り込まれるから、到底ね、抵抗したってもう水の泡だから、撤収したいんだ」と。「わかった、撤収してもいい」と、「いいけども、守屋、夜明けないか」と言うから、「いや、もう夜明けます」「したら、だめだ」。「夜明けたら、おまえこれから行ったって撤収できないから、行かないで、今日はゆっくり休んで、明日の晩、暗くなったら行け」と、して「撤収してこい」と言われたの。おれ、そこでとめられたから助かったの、おれ。うん。あれすぐ帰されれば、おれも死んでるの。
戻って、少尉殿、もう、いぶって、もう、いぶってるから、全滅ですよって、「ああそうか」って、「しょうない。よし」。もう終わりだ。みんな、もう火炎放射器でやられたんだ。うん。戦車にも火炎放射器ついて、バーンってやるからね、ひとたまりもないですよ。やられちゃったの。もうおれ、斥候に出たから助かったんだ。

Q:その与座の壕では、そしたら、そこでも、やっぱり部隊の兵隊は死んでいったんですね。

そうだね。120名近くいたのが、もう突破する時点になったら、70名、そこそこだったからね、結構やられてるね。

深見大隊長から命令出ました。「北へ行ったら、2個大隊の健在の部隊がいる」と。「それと合流するために突破するんだ」と、「ついてこれる者は皆ついてこい」と、「ついてこれないのは、自決すれ」という命令が出ました。それが6月20…、30日かな、29日か30日だね。出ました。

それで、出発したのが(7月)1日か2日だね、出発開始、夜中11時ごろ出発する、壕から出始まったんですよ、夜。それ出るのも、わしが先頭で出たんだけど、出るのにも、アメリカ機関銃がいるから、アメリカ兵がいるから、上にね、与座壕の上にだあーっているから、機関銃据えつけているし。そのときも様子も見て、石をどーんと投げてやるの。そうすると、いればビビビビー、撃ってくるからすぐわかるんですよ。石か、鉄棒の余ってるのもあるから、鉄棒ぼーんと投げる、ガラガランっていうと、すぐビビビー、いれば来るんだけど、たまたま、そのとき来なかった。「よし、今だ」と。「いないようだぞ」というので、次から次と一人ずつ出たの。「守屋、先頭出れ」。大隊長おれのすぐ、まだ、わし機関銃担いどったから。もう機関銃、おれしかいないの、機関銃は。で、大隊長もおれを頼りにしとった。「おまえだけだ、機関銃。守屋、おれから離れるな」って言ってくれていたの。こっちも「偉い大隊長といればいい」と思ってね、安心だと思って頼りにしとった。そして、一番先に出て、して次々に出ていく。1時間くらいはかかったかね、あれ、出るのにね、みんな出るのに。それで、出たら、土手のとこにずらっとみんな並んで、座る、横になってずらっと並んでた。それで、「出たか」「番号は」、1、2、3、4、で、「何ぼ出た?」。それで、そのとき64名だと思った、64名だか出たの。終わりのようだ、という命令来て、そのとき、残ったのは、歩けないのは、何か7名か8名、歩けないのは置いてきたの、そのまま、「自決しろ」と言って置いてきたはずだ。それで、「よし」と、これで終わりだって。出発だってね。で、出発だって言って、大隊長先頭になって、「これから国頭行くぞ」と立った。

そうしてるうちに、夜明けになってきた。東、明るみ差して、「ああ夜明けてきた」っていうわけ。「よし、夜明けてきた、ここへ隠れるぞ」と。「よしっ」と、「ここ目標だ、ここへ、暗くなったら集まれ」と、「晩に暗くなったら集まれ。うん。おまえ、どこでも好きなとこへ行って隠れれ」と、めいめいに隠れれよと。固まって隠れるんでない、めいめいに隠れれ。それで、夜明けてきたから、めいめいに行って隠れる、ごみかぶって、こう引っ込んだようなとこに、ごみかぶって隠れる、めいめいに。

そのときはもう普天間の飛行場の横のほうだ。ね、こっちだから、右側だな、飛行場のね、右側のほう通っているんだ、あの辺のね、沢、通ってたんだ。そうしたら、またビビビビーっと撃ってきた。「ほら、穴に入れ、壕へ入れ」って、壕がこうあるんだ、穴。あるけど、水がこんなにあるんだ。「守屋、先入れ」「はい」って言って、がぶがぶがぶ入ってるけど、最初このぐらいだけど、がぶがぶ深いとこ、こんな深いんだ、奥へ行ったら。うん。そうしたら、今度は沖縄、棺おけも浮かんでるんだ、ぶかぶかって中で。

そこをバチバチバチ撃たれる。それから、「よっしゃ、撃ち止んだ。さあ、出るぞ、出れ」、出た。出ていった。出たと思った途端に、オノ准尉が、おらの准尉だから、ね、初年兵のときからの准尉だから。准尉が「守屋、やられたー」って言うわけよ。「どこやられた、准尉殿」って。「腕だ」って。ここ、腕貫通してた。「准尉殿、大丈夫だ、縛っておけば」って、縛れば大丈夫だって言ったっけ、「だめだ、だめだ」って言ったっけ、手りゅう弾の上でこうやり始まったから、おれ逃げたもん。逃げたっけ、バーンと自決した、准尉。

それから今度、そうしてるうちに今度、もう向こうの方にもう、土手の下はね、田んぼなんだね、それあとからわかったけど。田んぼはあるし、一段下なんだ。そうすると、向こうのほうに戦車いるしね、戦車ゴオッゴオッゴオ歩いて、たまにライトばあーばあー照らして、バリバリーって撃つんだ、何撃ってるかわかんないけど。こっちにもいるんだ。そして、向こうにおるアメリカ兵隊が機関銃つけて、見えるんだもん、照明弾でもって、パッパッと見えるんだ。ああ、あっちにも、こっちにもいるわいって。大体100メートル間隔でいるんだもん。それが、後からわかったけど、西海岸と東海岸の間の普天間の飛行場のすぐ、ね、横なんだもんね。そのときは、そういうことわからなかったけど、わかんなかったけど。

隠れて、それで9時ごろになったら、ヒューっと口笛吹いて、したら(米軍の)兵隊、だあーと来た、集まった、そこへ5、60名集まった、田んぼのへりいっぱい。集まったら、拳銃持って、2人で田んぼの中に入って、で、大隊長の襟章むしって持って、軍刀持って上がる、図のう持って、でかい革の図のう持っとったから、それも持って田んぼから上がって、みんなで軍刀振り回して、「わあわあわあっ」て、大騒ぎさ、襟章見てね。あと図のうから書類、みんな投げるんだ。投げたら、おれの頭の上、1間ぐらい、その書類、紙がぱらぱらぱらぱら飛んでる。そのときは泣いた、本当。
そのときは泣いたね、本当にね。みんなそこで戦死しちゃった、おれ一人だけ生きた。生きて。
そうしてたら、今度、拳銃持って2人で田んぼのへり、ずっと、おれのほうに向かってきた。あ、いよいよ来た。顔、もうごみこうやってかぶってたの。もう自決すると、手りゅう弾だけは持ってたから、見つかったら自決すると、覚悟を決めていたら、おれの方を見ないで、田んぼのへり、ずっと、そっち見て戻っていった。ああ、これはどうやら、今日も、助かりそうだと。早く暗くなってくれればいいと思ってね。暗くなるのを待った。いやあ、それが暑くて暑くて、もうそのときは、既に、7月の、うーん、4日か5日だからね、暑い暑い、汗だくで隠れとった、一日。それで、やっと暗くなったから、一人で行動始まった。

そこは。コザの民間の収容所なんですよ、後から、わかったけどね。そこへ行ったら、テントの入り口、行ったら、キャーと逃げるんですよ、奥にね。したら、一般の年寄りとか、ばあさんとか、じいさん、子どもさんと9人いたと思ったね。ええ。それで、奥にキャーっと逃げちゃったの。しょうがないから黙って立っとったら、出てきたの、赤ちゃん抱いて、姉さんね。出てきて、「ああ、びっくりした、兵隊さんですか」って言うから、「おれ、兵隊だ」って言ったら、姉さんが、「早く、その軍服抜いて、ね、この着物着なさい」っていって、出してくれたから、テントの角のとこ掘って、軍服、皆脱いて、そこへ手りゅう弾も埋めちゃったの。そして、いろいろ今度話ししたの。したら、姉さんが「どこの部隊ですか」、いや、「カトウ隊だ」、「隊長さん、どうしてるでしょう」「いや、隊長わからない」と、「隊長だけはわからん」と。だれだれは、こうこう、こういうとこでこうやって死んだと。それで、説明して、「兵隊さん、どこへ行くの、行くつもりで来たんだ」って言うから、「いや、国頭に行ったら、2個大隊の健在の部隊いるっていうから、そこへ行こうと思って来たんだけど、普天間のとこの田んぼで、みんな全滅したんだ、おれ一人だけなった」と言って。「ああ、兵隊さん、ね、そんな北へ行ったって、2個大隊の健在な部隊なんかいないよ」って、「兵隊さん、そんなして歩いてたら殺されちゃうから、ね、行くのなんかやめなさい」と、そこでとめられて。

それで、「日本の捕虜も4000人もいる」と、「石川にいるんだ」という話されたの。「それ姉さん見たのか」って言ったら、「いや、わしは見てないけど、親戚の人が見てるんだ」と。「巡査やってる」と、「CPの巡査やってるから、毎日行くん」って言うから、そういう話して、「いやとにかく、もう食べさせてくれ」と、腹減ってるから。そしたら、うどん炊いてくれた。「このうどん、どこから持ってきたの」って言ったら、「いや、アメリカの配給もらって食ってるんだ」と。1週間に1回配給当たるから。それで、食べさせてもらって、もうそこに行ったときは、もう自分の家、故郷に帰ったような気分、気持ちだったね、うん。食べさせてもらって、いろいろ兵隊の話して。で、「兵隊さん、捕虜になりなさい。いや、兵隊さん出ていきなさい」って、こう言うから、「出ていけって、どこへ行くの」って言ったら、言わないの。「何だ捕虜になれ」っていうのかって、言ったっけ、「うん」って言う。言いづらいわけだ。「捕虜になれって、捕虜なんかならないと、捕虜なるくらいなら、おれ自決する」と、「山へこれから行くわ」って。したら、「いやいや、兵隊さんだめだ、絶対だめ、そんなことして歩いたら殺されるから行くんでない」って泣くんだ。泣かれたの。

それから、「わかった」と。したら、「どうしたら生きれるか」と。「いや、兵隊さんだったら軍属で通るから、軍属になんなさい」と。「ああ、そうか」って。

Q:守屋さん、何でね、その身分やね、名前をこう偽ってね、捕虜になろうというふうに思ったんですか。

うん。いや、「とにかく捕虜になったとなると、親族や兄弟の恥だから、日本の恥」。ということは、もう教育中にも言われとったから、「おまえら、捕虜に絶対なってはならんぞと。兄弟親族の恥ぞと。死んでも捕虜にはなるな」と教育されとったから、それがあるから。まあ、偽名で、あくまでも偽名で、ね、兵隊っていうことを隠したいということですね。

復員するのも、まあ何となく、みんなが死んだのにね、わしが生きて帰ったということは、何かこう、わしは堂々とやったんだけども、戦友亡くなった実家に行くのが何か心細い、申しわけない感じはしたね。

「守屋さん、いやあ、よく生きてきたね」って泣かれて、ね、「守屋さん隠れてたのかい」って言われた。「ぐっ」と来たもんね、そのときね、さすがおれでも。「冗談でないと、おれはね、生き延び、戦って戦って、ね、何千名の中から生きたのに、隠れてたのか」って言われて情けなかった。 情けないと思った、そのとき。それから、「もう絶対、遺族のうちは行かない、行かない」と決めました。たくさんいるよ、班長とかいっぱいいるんだけど、帯広方面たくさんいるんだ、死んだのが。だけど、行かないもん、それでも。ああ、行くもんでない、懲りちゃった。冗談でないと、おれは、最後の最後まで戦ったんだと思ったら、もう腹立ったもんね。泣けて、腹立った、どっちかというと。だけど、どうしようもない。それからもう遺族へは行かない。

Q:守屋さん、もう戦争が終わって65年になりますけれども、沖縄戦のことを思い出すことっていうのは、やっぱりありますか。

ありますね、たくさん、いや、沖縄戦ね、かわいそうですよ。ばあさんなんかもね、道路にすくんでね、「兵隊さん助けてちょうだい、助けてちょうだい」って泣いてるよ。何も、かわってやることできない。それを置き去りに、ドンドンドンドン歩いていくけどね。ばあさんなんか、もう歩けない。置き去りになっているんでしょう、あれ、ばあさん。あと、一人娘さんなんかも、十七、八の娘さん、ここ、ぶら下がってるの、「兵隊さん、腕とってー、とってー」って泣いてる、そんなのも見たね。まあ、兵隊さん、もうとにかく、沖縄、一般民かわいそうですよ。じいさんから、子どもたちがね、倒れているのも二、三回見たけどね、ええ、哀れなもんですよ。巻き添え食って死んでいくね。もう絶対戦争はもうやるべきでないと思いますよ。

Q:それは、やっぱり日本兵のお一人としてね、「守ってあげれなかった」という気持ちっていうのは、やっぱりありますか。

そうですね。いや、守ってやれないというか、日本の兵隊が沖縄へ上陸しなければ、あんな戦争に、巻き添え食わなかったと思いますね。上陸したばかりにね、ああいう戦争の巻き添え食ったと、沖縄住民。本当にかわいそうですよ、沖縄住民はね。うん。犠牲になってるもんね。ええ。どんなことがあっても、戦争はやるべきでないしね。

出来事の背景出来事の背景

【沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~】

出来事の背景 写真昭和20年3月に始まった沖縄戦、米軍の総兵力は54万。沖縄守備軍は10万人。
そのうち、米軍上陸時に沖縄本島南部の防衛に当たっていたのが陸軍第24師団で、北海道出身の将兵を中心に、一部現地召集された兵士で編成されていた。

24師団は、南下してくる米軍を撃退するため、沖縄守備軍の32軍司令部のある首里の北西に進出、米軍と激戦になった。とくに、隷下の89連隊は西原村の運玉森で激しい戦闘となり、弾薬が尽きると手りゅう弾と銃剣による白兵突撃で次々に兵士の命は失われた。

5月下旬になると、32軍司令部は南部への撤退を決定。しかし、後退する日本軍と避難する住民であふれていた南部へと通じる道に向け、米軍は容赦なく砲爆撃を繰り返し、首里から喜屋武半島に通じる道沿いには死体の山が築かれた。兵士たちは、武器や弾薬を運びながらの撤退で、助けを求める住民を見捨てるしかなかった。

南部へ撤退した将兵たちは、「ガマ」と呼ばれる天然の洞窟にこもって戦い続けた。そこでは、軍民一体となっている洞窟もあり、ときには足手まといとなるなどと、軍が住民を追い出すできごとも起こった。

6月なかば、「馬乗り攻撃」と呼ばれる米軍の洞くつへの掃討戦が始まった。壕に爆弾を投げ入れ、火炎放射を浴びせたのだ。

6月23日、米軍は本島南部を制圧。32軍の幹部たちも次々と自決し、沖縄守備軍は完全に崩壊、組織的な戦闘は終結した。わずかに残った兵士たちに与えられたのは、「最後の一兵に至るまで敵の出血を強要すべし」というもの。投降は厳しく戒められ、自決やさらなる掃討戦で、さらに犠牲者は増えていった。

本土防衛の名の下、沖縄戦で亡くなった日本の軍人・軍属は9万4千人。住民も推定で9万4千人が命を落としたとされる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
秋田県に生まれる
 
中西別尋常小学校卒業
1944年
現役兵として旭川4部隊に入営
 
満州東安、歩兵89連隊に編入
 
沖縄に転進、東恩納で陣地構築
1945年
沖縄戦に軽機関銃手として参加 コザで終戦を迎える 当時、一等兵
1947年
名古屋にて復員
 
復員後は、酪農・農家に

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