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タイトルタイトル: 「終戦知らずに2年の壕生活」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~
名前名前: 亀谷 長成さん(水戸・歩兵第2連隊 戦地戦地: ペリリュー島  収録年月日収録年月日: 2007年12月22日

チャプター

[1]1 チャプター1 米軍の猛烈な砲爆撃  03:03
[2]2 チャプター2 米軍上陸  06:02
[3]3 チャプター3 洞窟戦  05:41
[4]4 チャプター4 壕を転々と  04:51
[5]5 チャプター5 相次いで失った戦友  04:53
[6]6 チャプター6 「玉砕」を禁じる  02:27
[7]7 チャプター7 必死に耐えた壕への攻撃  03:31
[8]8 チャプター8 壕で息を潜める日々  04:46
[9]9 チャプター9 渇きとの闘い  03:37
[10]10 チャプター10 終戦を知らずに  03:34
[11]11 チャプター11 洞窟生活2年半  05:41

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~
収録年月日収録年月日: 2007年12月22日

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何も敵の攻撃というのはあんまりなかったですがね。向こうで約半年ぐらいかね。それぐらいやってから空襲が来るようになったんですよ。B29の爆撃機でね。それがもう夜間にも定期的に来るもんですからね。飛行場はもういつも爆弾で叩かれて、翌日はまた一生懸命直して、また友軍の戦闘機が飛べるように、みんなで協力して飛行場直しが主に仕事だったですね。

すごい数で来るんですよ、B29がね。それで爆弾、1発ずつ落とすんじゃなくて、パイプの桁みたいになって、これに6発ぐらい小型の「ちょうちん爆弾」と言ってね。これを取り付けて、これを落とすんだから、これがもう間隔的に落ちてくるんですよ、爆弾が。それですごい、これがこう飛び散るんでなくて、横に行くもんですからね。人間もやられるし、飛行機もやられるしね。たいへんだったんですよ。

友軍の飛行機も格納庫の前にちゃんと待っているんだけど、空襲が来たらまたやられてしまうしね。しまいには戦闘機もなくなるし、爆撃機もやられてしまうしね。敵の思うがままに攻撃やられて、あとは敵は上陸して、飛行場のほうから上陸して、それでどんどん山のほうへ攻撃されて、わしらは飛行場の勤務だったから、先に爆弾が来て山へ逃げ込んだんですよ。

ちょうど敵が上陸したのは飛行場の前の海岸のほうから上陸しましたので、いちばんやられたのが飛行場なんですよ。それから敵は上陸用舟艇が上陸して、どんどんどんどん山のほうへ攻撃してくるもんだから、みんな陸軍も歩兵は飛行場に防備してやっていた者が全部やられてしまってね。生きているだけを山のほうへ全部避難して、それから立て直して、この陣地に入って攻撃しても、にっちもさっちもいかず、敵のほうがすごいもんだから、攻撃が。どんどんどんどんもうやられて、奥へ奥へと攻撃されたもんですから。

整備しても敵が攻撃が毎日毎日来るもんだから、整備しても間に合わんですよ。飛行機もやられてしまうしね。それで戦闘機もやられてしまうし、もう思うままに敵の攻撃で全滅みたいに飛行機はやられてしまって。

やっぱり山のほうに全部ふさがって、鍾乳洞、これが100名ぐらい入れる鍾乳洞があったんですよ。そこへ陸軍も海軍も一応避難して、それで一時はここで食い止めて待っていたんだけど、どうしても戦車が来るし、西地区から北へ北へと追いやられてしまってね。あとは山のほうに散り散りばらばらにもう避難するしかなかったんですよ。

話にならんぐらい、攻撃、敵の戦闘機が数が多いもんですから、これがもう全部飛行場目がけて爆弾落とすもんですからね。それで友軍はもうにっちもさっちもいかずに、下がる一方なんですよ。そこで歩兵もだいぶやられて、生き残りは全部山のほうへ下がってきて、それで山のほうの陣地に第2線陣地に入って、一応は攻撃をやったんだけれども、もう敵にどんどん戦車でやられるもんだからどうしようもなくて、下がる一方でね。

何機って、数える暇もないくらい、相当何10機というぐらい来たんでないでしょうかね。次から次からもう防空壕(ごう)近くまで敵は来て、母艦から飛ばして来るもんだから、どうしようもなかったですね。

これはもうすごいもんでしたね。あの島のぐるり、船で、敵の軍艦でね。足でもまたいで行けるぐらい接近して敵はこの海岸のほうを取り巻いているんですよ。それでそこから艦砲射撃なんかやるもんですから、とっても日本が攻撃なんかできるもんでなかったですね。下がる一方だったですよ。

敵の軍艦がよ。これも山のほうはね。爆弾で叩いてから敵は上陸してくるもんだから、もう日本のやっぱり武器といっても限られていますからね。戦地でこれ持って戦争をやるというのは、まぁ機関銃が大体、大きな武器で、あとは小銃、こんなもんですからね。日本は陣地もそんなに頑丈な陣地はなかったですからどうしようもなかったですね。

何隻というものでないですよ。何10隻というぐらいに、マッチを並べて置いたるように、海岸取り巻いているんですよ。ペリリューの島の海岸をね。そこから戦車、船から下ろして上陸して、飛行場目がけてどんどん来て、どうしようもなかったですね。もうそこで自決したのは、この司令官とかね。ああいう上の人なんかもう全部この陣地のほうで自決されていますよ。

もういつ死んでもいいなと思うぐらい、あきらめていましたね。こっちは小銃持って戦っても、何もこたえないもんですから、敵には。向こうは機関銃でやってくるし、戦車砲でやってくるし、こっちは手りゅう弾、擲弾筒(てきだんとう)とかこういうものしか持っていないもんですからよ。これやったって何も効果ないんですよ。敵は離れてやっているもんだから。手りゅう弾なんて投げてもそんなに遠いところまで行くもんでないですからよ。それはみじめなもんでしたね、戦争というのは。

わたしたちの陣地はちょうどこのオレンジビーチ(米軍が上陸した海岸、米兵の血で海がオレンジ色に染まったことからこの呼び名がつけられた)に向かった山の中腹にあったんですよ。だからよく見えるもんですよ。こないしてどっちも高地が見えるもんですからね。ありのままに見ていますよ。

この壕の中からしゃがんで、こう前見ているんですがね。敵はどこに陣地があるか、これをやっぱり望遠鏡で見てから攻撃しますので、わしらが入っている陣地にも戦車砲撃ちこまれたんですがね。

それでわたしは前のほうに、いちばん前のほうに壕の前のほうに出て見ていたんだけど、そこへ戦車砲、撃ち込まれたもんだから、中のほうにこの戦車砲の弾が行って、わしらの奥のほうに入っていた兵隊が戦死したのがおりますよ。

それでもうそこから夜は引き上げて、後ろのほうの鍾乳洞に入りましたがね。その鍾乳洞は大きな鍾乳洞で、ずーっと入って中のほうにずーっと下がって大きく鍾乳洞はありましたから、96名ぐらい入りましたね、鍾乳洞に。そこもあとは発見されて、それで敵は入って来るもんだから、敵が入ってきますがどうしますかって上の方に言ったら、撃てというもんですからね。ちょうどそのとき、わたしは歩哨に立っていたんです、その中のほうでね、壕(ごう)の中のほうで。この入り口のほうに向かって。それで撃てというもんだから小銃で撃ったんですよ。当たらなかったはずだから、敵は下がって行って、まもなく時間がどれぐらいたったかなねぇ。30分ぐらいたったでしょうね。その間に敵は壕の入り口のツルシこん包爆薬というのを爆薬仕掛けてね、やって、そうするうちにわたしは次の兵隊とまた交代、歩哨交代したんですよ。

それで次の歩哨が立ってまもなく、この、こん包爆薬が爆発したんですよ。それで壕の前のほう、全部落ちてしまうしね。大きな入り口になって、その歩哨に立っていたのはやられてしまった、わしと交代して立った人が。それでわしは下のほうに下がっていって命は助かりましたがね。これも運がいいかなぁと思うぐらいのもんですね。すぐ交代して次の人がやられたもんだから。

悲壮なもんですねぇ。なんにも考える余裕はないですね。なんというかね、あの瞬間というのは。半分は死んでるような気持ちですね。物事何も考えないですよ。もう死んでるような気持ちですね。怖いとか、そういうようなものではないですね。いつ死んでもいいと思ってもうあきらめていますから。

そんでそこから脱出する決心で、この壕の入り口をちょっとこじ開けて、夜、みんなここから出たんですよ。雨の降る晩にね。それで敵にそれ発見されてしまって、壕から脱出するのがわかってしまって、それで機関銃バラバラやるもんだから、残った連中はもう出られなくなってね。17~18名ぐらい出られなくなって、わしらはもういちばん先に出たもんですから。

ここにいたらもう死ぬから、出なくちゃいかんという気持ちがあるもんですから、敵の機関銃構えているのは前の陣地でわかってるけど、そこからゆっくりゆっくりみんな出て、3分の2ぐらい出ましたかな。で、敵はわかって、その入り口のほうに機関銃をダダダダッとやって、もう出られなくなったんですね。あとの残りは。で、残った連中は石でその入り口を封鎖されて、それからわしらは海岸の近くの山のほうにずーっと避難したんですがね。

その残った連中は石で壕の入り口は全部封鎖されていましたから、そこに閉じ込められて、そこは糧秣(りょうまつ)は海軍の糧秣がお米はありましたので、それで水はもう上からポタポタたれる水をためて、ごはんを炊いて食べたらしいけどね。この残っている連中は。 それで面白いんですよ。敵はまたどうなってるかなぁという気持ちで、やっぱりこの壕の口を開けたんですね。それで入ってきて1人やられているのが寝ているもんだから、これ短剣でつっ突いたもんですから、神経は通っているもんだから動いたらしいね、これが。そうしたら幽霊と思って敵はすぐ逃げたそうですよ。それで助かったって。先にこれ、突っついて幽霊と思って敵は逃げたもんだから残りは助かったって。それでまた口はふさがれて。

攻撃してもこっち側は何もできないんですよ。敵にやられるだけだから。こっちが戦って敵を倒すという力がもう全然なくなっているから。敵の思うつぼにもうはまっているもんですからね。敵は機関銃持ってるし、夜も照明弾をあげて夜も攻撃するしね。どうしようもなかったですね。

小銃だけ、日本は。小銃と手りゅう弾は持っていましたね。日本の武器といっても1発弾をこめてドンとやるんです。敵は15発入っているタルタル銃でやるもんだから、これで来るもんですからね。どうしようもないんですね。こっちが1発撃つときは向こうは10発ぐらい撃つ。だから攻撃する余裕が出なかったですね。

で、陣地に入って、敵が来るのを、下まで戦車が来たときがありますがね。わしらが入っているこの陣地の下に。それでうちの班長がこの戦車にこの砲塔のところから体半分出してあっちこっち見ているのが、敵がおって、それ撃とうとしたんだけど、班長は敵から先に発見されていて、こっちに1発で命中してね。うんともすんとも声も出さんでもすぐ、なんにも言わんでもう亡くなった。やっぱり敵は見ていたんだね、遠くから。戦車は下にいるから。だからあれは狙撃兵だね。ああいう1発で撃ちとめるのは。狙撃兵がやったんだ、敵の。

下に戦車が来て、で、戦車側の砲塔のところに丸い出られるところがあるんですよ。そこから敵が上半身出しているんだから、これを撃とうとしてからに、班長がそこでやられてしまった、先に。やっぱりそのへんは敵も臭いなぁと思って見ていたんだね。陣地がたぶんあると思って見ていたはず。

あぁもう班長もやられてしまって、もうこれはどうしようかねという思案が募りましたが、もうどうしようもない。もうやられてしまったもんだから、あとはもう日が暮れるのを待って、後ろへ下がるよりほかなかった。

それで日が暮れるのを待ちきれんで出たやつがおるんですよ、大阪の人でね。これは足やられて、それでもうずっと安全な地点まで行くことできなくて、途中でくぼ地があったから、そこへ転げ落ちてもうそこにわしらが下がって来る途中会ったんだけど、この人は一緒に行こうってわしが言ったんだけど、もう私はついていけんから、ここで自分で自殺すると言って、そこで自殺した。小銃持っていて、これでやった。そこで自殺して亡くなった。

こっちも一生懸命だからね。命からがらだから。声はかけますよ。一緒に下がろうと言っても、相手はきかんもんだから、で、連れに行くことももうできないよ、もう。相手はもう決めているもんだから。もう私は皆についていけん。邪魔になるだけだからこっちで私はもう自殺するから、みんな下がってくださいと言って。足やられてよ。

何とも言えないねぇ。これは普通の、まぁ平和なときだったら、抱いて担いでも行けるけど、戦争で皆命からがらだからね。歩く人だけしか助からないですね。行こうと言っても向こうはもうこっちで足手まといになるから自殺するから、みんなお世話になりました。前へ下がってくださいと言うもんだから、そのままでしたね。

兵隊は死ぬことはなんとも思っていないからね。そういうときは、戦争のときは。もう七分ぐらいは死んでるからよ。生きているのは三分ぐらいしか生きてないから、度胸はもう決まってますよ。いつ死んでもいいと言って。大阪の人間でしたがねぇ。

これはあの、陣地配備する前にナカガワ大佐が来て、「海軍はどこの陣地に)きなさい」で、「何分隊はどこの陣地につきなさい」と命令が、一列にこう整列して、そこでナカガワ大佐があの、陣地につく前に「杯(さかずき)」、別れの「杯」一杯ずつくれるんですよ、これを飲んで、それから陣地につくんですよ。そのときにちゃんと、「もう死ぬまで守りなさい、どうしても敵に取られんように死ぬまで守りなさい」という命令が。

それから海軍はそのナカガワ大佐の指揮下に入って、で、海軍は何中隊はどこの壕、いや陣地。で、何分隊はどこの陣地ともう決められてるから、その配備で、わしらは山の中腹のいちばん後方の陣地だったです。歩兵が第一線陣地だからね。で、海軍は、志願兵のほうは2線陣地でももっと前のほうに志願兵は。わしらは徴募兵は3段目の陣地だった。

そのときは玉砕の話は何もしなかったですがね。その「死ぬまで戦いなさい、守りなさい」と、そういうナカガワ大佐の命令だった。しかしもうナカガワ大佐は、その我々兵隊よりか先に自決してしまったもんね。それからがもう問題ですよ、もう北へ北へもう下がってしまうと。

もうどうすることももう別にできないけど、あっ1人またやられたなぁという気持ちしかないですね。奥にいた兵隊がやられた。わしらはいちばん前に見張りして、敵はいまどこにいるかなと見張り、わしがいちばん前で見ていたんだが。戦車砲はわしのそばから奥へ入って行って、奥でさく裂して奥の人が死んだ。ヨシダ上等兵だったかね。

兵隊はもうこれは運命だから、そういう仕事についているもんだから、普通の農家の人が畑やるのと気持ちはそういう同じようなもんじゃないかね。兵隊はそれだけ訓練されてるから。それはそう思っていますね。それがもう仕事だと思えば。

弾はね、このヒューとする音が近くなったら、もう相当自分の体に接近しているんだから、これ気つけないといかん。で、もうすぐ自分の体を低くして、石のあるところのくぼ地に入るとか、その身を確保しないといちばん姿勢が高くしていると危ないですね、戦争中は。

それで、なんというか、迫撃砲、あれは相当、兵隊でもあの音だけは気持ち悪いですね、音が。その迫撃砲の音は。相当、どぎも抜かされるような音がしますよ。すごいですよ、迫撃砲の音は。それであれは瞬発信管だから、木の枝に当たってもさく裂するしね。すごいもんですわ。あれもボンボン頭の上から飛んでいくしね。

まぁ兵隊に行ってたらこれはそれだけ覚悟しないと、やっぱり一応もう戦争に巻き込まれているんだから、もう命はいつ死んでもこれはいいという覚悟で戦闘につかないと、命を大事にするということは考えないですよ。もう七分目は死んでるよ、もうその人間は。三分しか生きてないわ。なんとも怖くもなんにもない。弾が来てもよ。

もう昼間はね、話もできない。お互いに黙って、その暗いところで過ごす毎日でしたね。敵はいつも山のほうで掃討してあっちこっち探しているもんだから、敗残兵がおるということわかってるもんだから。で、昼はもう絶対に静かにしておかんと、ちょっとでも音をたてたらすぐわかってしまうもんですからね。

軍用犬がいなかったから助かったんじゃないかねぇ。軍用犬連れてきていたら、においしてすぐわかるから、敵はその軍用犬は連れてこなかったね。で、足跡もつくからね。やっぱり山あるところ、木の枝とか折れてしまうから。

音を立てたらすぐわかってしまうんだから。あんたがいる位置と、この隠れている位置と、その距離はあんまり遠くはないもんですからね。敵が歩いている、こっちは避難している。この距離というのはもう近いもんですから、音を立てられないわけですよ。で、昼もじぃーっと、この壁にもたれてじっとしている。それで敵は5時には引き揚げるんですよ、時間が来たら。そうしたら敵が帰ったらまた壕から出て皆集まって、きょうも1日助かったねぇ、よかったねぇという話から始まって、で、いろいろな話が出るんですね。

敵が来たら絶対動かんですよ。じっとして壕の壁にもたれているか、横たわっているか、それしかできないですね。入っている壕といっても、一時的に避難した壕だから、いい壕は探せないわけですよ、穴はね。

それでそうこうするうちに、北へ北へわしら下がって行ったら、5中隊、6中隊という陸軍の壕が、いい壕があったんですよ。で、そこへ海軍もお世話になって、そこで長いこと生活しましたね。

昼はその壕にみんな寝たり、話して、そこはちょっと壕は大きいから、下へ行って小さい声だったら外へ漏れないもんですから、昼間、話するぐらいの完全な壕だったから。それで夜はまた出て、糧秣(りょうまつ)、食い物がないと人間生きられんもんですからね。夜は出て、敵の攻撃したあとの陣地、こういう陣地探して、それで敵の陣地、こういう馬のツメ(ひづめ)、馬のツメにくっつけた鉄みたいな、こういう格好な壕で陣地をつくってあるからね。そこへ砂をまいて、そこで陣地構えて敵はやって、糧秣は食べ残したものはこの陣地の砂の中へ埋めてあるんですよ。そこの砂を掘ってそれで食べ残した缶詰なんか拾ってきて、命拾いしたようなもんですね。

それは大変でしたね、水がなくて。それで鍾乳洞だから上からポタポタ垂れますからね。これ溜めて、もうこれはもう命の水みたいなもんで、もう死ぬ人しかもらえないぐらいの水ですよ。それで夜寝ると、敵が攻撃したあとの高射砲の薬莢(やっきょう)、あれに水がたまっているもんだから、これを上はこぼしてからに、よく飲んだ覚えありますね。

山だからもう何も井戸も何もないからよ。薬きょうにたまってる水しか飲めなかった。水には苦労しましたね。

たいへんでしたよ。つばを飲むしかないですね。水がないときはもうつばを飲み込み、飲み込み、もう。それで薬きょうにたまってるのを探したらもうこれは幸運ですね。腹いっぱい飲めますよ。夜しか出て探さなかったけどよ、水は。

そんなに垂れるといっても、そんなに垂れるもんでない。ぽた、ぽたしてたれるだけだから、缶詰缶でためてもそんなにたまるもんでないですよ。だからまぁよっぽどもう、あぁいま死にそうな人しか、その水はあたらない。「水くれ、水くれ」しますよ、死ぬ前に。弾にあたった人は。そんなに水が欲しくなるかなぁと、わしら珍しいぐらい感じたね。「水くれ、水くれ」しますね。

それで壕の中で水もないもんだから、水はないよ、もう我慢しろって言ったけど、そのままもう「水くれ、水くれ」して、あとは死んでしまった。死ぬ前に言いますよ、必ず、「水くれ」って。弾にあたると血液が出ますね。そうしたらのど渇くなる。で、それで「水くれ、水くれ」する。そんで水があったら上等だけど、水はないもんだから、「水くれ、水くれ」して、あとはそのまま死んでしまう。

ヨシダ上等兵も、戦車砲撃ち込まれて、壕の奥のほうにいたやつが、話したでしょう、死んだって。あの人も「水くれ、水くれ」しよったが、もう水は何も1滴もないし、そのまま死んでいったね。水があったらもうほんとうに飲ませて成仏させるのに、そういうこともできなかった。

友軍が来るまで持ちこたえなさい。上の人の命令はよ。そして皆もう適当な人数で7、8名ぐらいずつ、分散して安全な場所を探して避難するわけですよ。

夜、日が暮れてみんな壕から出てきて、あぁきょうも1日助かったねぇ。よかったねぇって言って話するときはいちばん楽しいね。命が1日延びたとき、また明日もあるからよ。しかしもうあきらめてるから、命というのはそんなに怖いもんでもない。兵隊はよ。命はひとつしかないから、もうおれ、どうしても生きられないときもあるし、生きられるときもあるし、もうこれは運命だから。

しまいには慣れてしまいますよ。どうにもなれという。どうにもなれということしか考えない。死ぬことなんか何も誰も考えないはずよ。いつ死んでもいいという気持ちで皆戦っているから。

うん、まぁ昼はまぁ気は張り詰めて、もういつ死んでもいいという気持ちでいるけど、夜になると少しは和らいで、きょうは1日助かったね。また明日の命を大事にしようねと言って。みんな夜は集まって、生きているものだけ集まってよ。近いところの避難している壕から皆出てきて、夜は集まってからに話して、まぁ生き延びて帰ったのが34名だったかなぁ、6名だったかなぁ。34名か、「三十四(みとし)会」だから34名。それで「三十四会」とつけたのかなぁ。34名だ。茨城、栃木の人が多かった、陸軍。海軍は大阪、京都とか、まぁ沖縄からは海軍はわたしだけだったが。

そのときは一時は信じられない気持ちだったが、しだいに、「あ、やっぱり負けたのかな」というの、静かになっているもんだから、敵もあんまりこなくなって静かになってるもんだから、「あ、やっぱり負けたんだな」という気持ちが自然とわいてきました。

そんで、澄川閣下の言うとおりに、「もう戦争負けたもんだから、国に帰ってまた一生懸命働けばいいこともあるから国に帰ったほうがいいんじゃないか」ちって、で、ようやくみんな説得して、ほんで、あれ並んで、あれも、降伏したという式なはずだがね。で、帰りましたよ。

ああ、やっぱり日本は勝てなかったからもうダメかなという、日本の力不足だったんだなということがしみじみと湧いてきましたね。やっぱりわしらが飛行場にいるときでも、この爆撃の数から見てもまぁそれは勝てるようなもんではなかったと思うけど、負けたという話が自然にわかったときはもう、これはもう日本はやっぱり力が及ばなかったんだなと思って、自然に気を落とすぐらいみんなぐったり、体がぐったりしたような気持ちになっていましたよ。

喜びってまぁ、そんなに喜びというのはあんまりないですね。まぁ生きて帰れたということはもうこれは喜びかもわからんが、それも、みんなに大きく話せるようなものでもないしね。自分たちは白旗上げてまぁ出なかっただけは貫いたんだから。向こうが探しに来て日本が探しにきてそれに出て帰ってきたから、ある程度はまぁ、気持ちもいいかなぁと思うけど。まぁ一生懸命友軍が来るまで頑張ろうといって頑張っていたから、そういうこと思いますよ。

ああ、戦友たちは国のために立派に尽くしてくれてありがとうと思いますね。まぁ自分たちも、本当は突撃でもして戦死でもしておけばそれはよかったかもわからんけど1人でどうすることもできないから。30名余りも団体で最後まで頑張ったから、本当はもう友軍が来るのを楽しみに待っていたんですよ、「来たらわしらが先頭に立って道案内しようね」と言って兵隊同士は話しして、夜はそういう話しするときも。

出来事の背景出来事の背景

【ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~】

出来事の背景 写真 昭和19年(1944年)、米軍は、ペリリューを含むパラオ諸島をフィリピン奪還の拠点として利用するため、攻略を決定する。一方、日本軍は、パラオを死守するため、飛行場のあるペリリュー島に歩兵第2連隊を含むおよそ1万人の部隊を派遣した。
 9月13日、米軍は艦砲射撃を開始し2日後の15日、「2,3日で陥落させられる」との予想の下、3万人近い部隊を上陸させた。これに対して日本軍は島じゅうに張り巡らせた洞窟陣地を使って組織的な徹底抗戦に出た。日本軍は、米軍の圧倒的な兵力と物量に対し2か月以上にわたって抗戦し、1万人を超す戦死者を出して11月25日、組織的な戦闘は終結した。一方米軍も、日本軍の激しい抵抗によって、1万人近い戦死傷者を出した。
 ペリリュー島の戦いでは、洞窟に追い詰められた日本兵たちの多くが、死ぬなら敵に突撃し一矢報いて命を散らしたいと願ったが、大本営は「玉砕」を禁じ、「持久戦を完遂せよ」という命令を出していた。
 昭和20年8月の終戦後も、生き残った兵士たちは洞窟にたてこもり続け、戦闘終結から2年半後の昭和22年4月22日、元海軍少将の説得でようやく兵士たちは武装解除に応じた。そのとき生き残っていた日本兵はわずか34人だった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
沖縄県浦添市にて生まれる。
1943年
佐世保海兵団に、飛行機整備兵として入団。
1944年
陸戦隊に編入され、陸軍の指揮下に入る。ペリリュー島での戦闘当時、24歳、海軍上等整備兵。
1947年
復員(浦賀)。復員後は沖縄県にて商店を営む。

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