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タイトルタイトル: 「“これで横浜に戻れる”」 番組名番組名: [BS1スペシャル]八月十五日、私は ~著名人が語る戦争~ 放送日 2015年8月9日
名前名前: 桂 歌丸さん(桂歌丸さんの戦争体験 戦地戦地: 日本(神奈川)  収録年月日収録年月日: 2015年3月24日

チャプター

[1]1 チャプター1 “これで横浜に戻れる”  03:46
[2]2 チャプター2 たくましい祖母の姿  04:46

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番組名番組名: [BS1スペシャル]八月十五日、私は ~著名人が語る戦争~ 放送日 2015年8月9日
収録年月日収録年月日: 2015年3月24日

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終戦を迎えた…。正直言いましてね、都会の人間ですよね、こんなこと言うと失礼にあたるかも分からないですけど、それがいくら個人疎開とはいえ、田舎へ疎開させられて、ものすごい差別を受けたんです。その当時のことですからしょうがないですよね。本当にいやでした。正直言っていやでした。早く横浜に帰りたかったです。祖母のもとに帰りたかったですよ。だから、今だから言えますけれども戦争が終わってほっとしましたね。それは子ども心にも覚えています、それは。ああ、俺は本当にこれで横浜に帰れるんだ。早くおばあちゃん迎えてに来てくれないかな。あたしおばあちゃん子だったものですから、そういうふうに感じました。

Q:嫌な思いをされたところがね、疎開をされて、疎開先で嫌な思いされただけに、当時、終戦に読んでいらっしゃいますけれども、終戦を迎えたときというのは、正直どんな気持ちで?

終戦になったときですか?

Q:ほっとしたとおっしゃいましたけども。

まあ終戦ってまあ、戦争が終わったって言われて。ああ、本当に戦争が終わったんだから横浜へ帰れるんだって、それ以外はなんにも思わなかったですね。まあ、帰って本当に焼け野原で、まあまあひどい目にも遭いましたけれどもね。でも、ああ、横浜へ帰ってきてよかったなと感じましたね。横浜が大好きなものですから、子どものうちからいまだにだから同じ町内に住んでますね。なんで横浜にそんな長くいるんだって、やっぱり郷土愛っていうんですか、が、深く持っているし。そういう経験をしたことも一つの原因じゃないかって私はそう思いますけれどもね。だから横浜から離れる気もないし、今さら離れるわけありませんけれどもね。横浜で生まれたから、横浜で目をつぶろうと思っています。

Q:子ども心に、親族のおばあさまにこれで会えるんだという気持ちが。

本当にね、終わったって聞いたとたんにね、早くおばあちゃん迎えに来てくれないかなって思いましたね、でもそのころは交通事情だってひどく悪いですしね、いくら千葉の駅から近いところだといっても、うん、汽車の事情やなんかがあるんで。でも、祖母も大変にまあまあ女傑だったものですからね、意外と早く終戦になって一週間ぐらいで迎えにきてくれたんじゃないかな。ほっとしましたね。はい。

その当時はもう夢中でしたけれども子どもだからまだまだ分かりませんが、後になって考えてみるとすげえ人だったなって。おばあちゃんがいたからこそ今のあたしがあるんじゃないかなって。まあまあ。おやじの顔はまるで分かりません。3歳になったかならないうちにおやじがもう他界してますし。おふくろとはちょっと事情があって離れていたもんですからね。だから祖母のことが99パーセント頭の中にある。だから今でも私は祖母を尊敬していますね。うん。女傑と言われた人ですからね。町内で。それこそ町のおっかないあんちゃんもうちの祖母が道を通るとはじによけたというくらいの人ですからね。これはまじですから、この話はね。はい。

Q:それくらいたくましいおばあさまを間近に一緒に過ごしてこられた経験というのは、戦後ですね、それって歌丸師匠のその後の落語のお話、噺(はなし)家として活動されているところに生きているところはありますか?

でもね、マイナスな点もすごくあります。甘やかされて育ったですからわがままですよ。すごいわがままでした。そのわがままで噺家になってから大きなしくじりもしました。大きな失敗もやりました。すげぇ苦しい思いもしました。祖母がいなくなってしまってから、目をつぶってから。でも師匠だの先輩から助けられて、あと後になって100パーセント自分が悪いんだというふうに、まあまあ感じましたしね。人を笑わせる商売ですから、「自分が苦労したんでは落語の中に苦というものが出てしまうからお客様は笑ってくれない。苦労するのはいいけれどもその苦労をしたことを早く笑い話にできるように努力しろ」と私のお師匠の五代目の古今亭今輔に言われましたんでね。だから今の師匠の米丸も「歌丸さんは若いころに苦労したのがずいぶん役に立っているね」って言われることがありますんでね。苦労するのはいいですけれども、やっぱり努力一つで乗り越えていくべきだと思いますがね。ずいぶん歯をくいしばりましたよ。歯は丈夫ですね。だからいまだにね。歯をくいしばったおかげだと思っていますけどね。

Q:その8月15日を70年前に経験された方は、少なくなって、経験していない世代が増えてきている中で、その中で師匠のように戦争を経験された方が、語る、伝えていくということの意味ってやっぱり大きいものを感じていらっしゃいますか? ご自身で。70年たちますが。

伝えていくべきだとは思いますけれども、話をしただけでは分かってくれないですよね。どういう、つまり食糧難時代というものがどういうもんだったのか。あるいは焼夷(い)弾というものがどういう落ち方をして爆弾というものがどういうふうに落ちたのか。そして進駐軍というものが戦後になって乗り込んできてどういう思いをしたのか。口では言えますけれども、ご存じでないからそれは身を持って体験することはできませんけれども。でも伝えていくべきだと思います。私は。決して忘れてはいけないこと。しかし、日本は二度とふたたびああいう戦争は起こしてもらいたくないと思いますね。あんなものは愚の骨頂です。世界中が本当の平和にならなきゃいけない時代が早くこなくちゃいけないと思っていますね。

出来事の背景出来事の背景

【桂歌丸さんの戦争体験】

出来事の背景 写真 9歳のとき疎開先の千葉で終戦を迎えた桂歌丸さん。生まれ育った横浜から祖母が迎えに来てくれました。しかし、横浜に着いてみると生家は空襲で焼失していてバラック暮らしが始まります。歌丸さんはたくましい祖母の姿を見て戦後の復興期、育ってきました。「戦争は愚の骨頂、日本は二度とふたたびああいう戦争はおこしてもらいたくない」と語ります。

 このインタビューは「8.15朗読・収録プロジェクト実行委員会」の活動の際に収録したものです。「8.15朗読・収録プロジェクト」は、漫画家の森田拳次さんの呼びかけで発足した「私の八月十五日の会」が制作した書籍が元になっています。今回のインタビューはNHKがその収録現場に同行して取材しました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1936年
神奈川県横浜市中区真金町(現・南区)に生まれる
 
母親の実家の千葉へ疎開する
1945年
8月、疎開先で終戦を迎える
 
横浜へ戻り祖母と暮らす
1951年
入門し落語家の道へ
 
落語芸術協会会長 古典落語の本格派として知られる

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