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タイトルタイトル: 「思いやりを含んだ戦果報告」 番組名番組名: [NHKスペシャル]特攻 ~なぜ拡大したのか~ 放送日 2015年8月8日
名前名前: 木下 顕吾さん(陸軍航空隊 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2015年5月23日

チャプター

[1]1 チャプター1 特攻出撃で死んだ仲間たち  05:36
[2]2 チャプター2 特攻  05:39
[3]3 チャプター3 特攻隊に指名される  05:28
[4]4 チャプター4 靖国隊と命名された部隊  02:33
[5]5 チャプター5 11月24日夕方  07:04
[6]6 チャプター6 帰途に着く  03:01
[7]7 チャプター7 戦果報告  06:44
[8]8 チャプター8 11月26日、2度目の出撃  06:56
[9]9 チャプター9 マスバテ島に不時着  02:22
[10]10 チャプター10 “軍神”となった自分  03:33
[11]11 チャプター11 マスバテで迎えた終戦  04:37
[12]12 チャプター12 死と命  02:49

チャプター

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番組名番組名: [NHKスペシャル]特攻 ~なぜ拡大したのか~ 放送日 2015年8月8日
収録年月日収録年月日: 2015年5月23日

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これが出丸中尉ですね。この方。僕と谷川と3人で、最後がね。このマスバテの飛行場で。

Q:木下さんは?

私はね、この次のページです。みんな特攻隊で亡くなったんです。もうそれぞれ本当に、松浦はおるか。私ももう何て言うんですか。私の記憶と後から発表される記録がずいぶん違うんですよ。

Q:何が違うんですか?

10名になったり12名になったり14名になったりするんです、特攻隊が。私が知っているのは12名なんです。ここに12名の写真がある。その証拠の写真があるんです、ここに。一緒に私と写っているんですよ。字もはっきり。これが松浦。松浦って書いてあるんですよ。私はこっちに入って、また次の方のページに写ってる。これ全部ね、これ大坪少尉、これ秦少尉ね。松浦軍曹ですよ。

Q:皆さん同じ隊の…

同じ靖国隊。

Q:特攻隊。

はい、そうです。本当におかしいんです。この中に僕がおるのか。木下って書いてありますからね。

Q:どちらですか?

出丸、1、2、3、4。これが松浦。木下と字が見えますね。

Q:こちら木下さんですか。

はい。

もうこれだけ一緒に並んでいてね、同じリンガエンでこの人も戦死をしている。松浦も。それでも特攻隊名簿に載らないんです。おかしいですよ。本当にね。いちばん文句を言うのは、この小山なんかですよ。皆さんも小山は知っていると思うんですけど。・・・でもニューギニアでも活躍をした。この新聞にも。これは10名ですよ。

Q:これは?

当時の新聞です。私の兄貴が取っておいたもの。それで「顕吾、おまえの写真ちぎってるからな」って。

Q:このなかに木下さんも?

おります、どこかに。ここですか。これはここにありませんけど、19年の11月の、12月に入ってからか。4~5日遅れていますが、発表が。あの間のどの新聞か分かりません。

Q:戦死されたことになっている。

なっています、これではね。これが松浦と五十嵐の氏名がないのはおかしいと。

Q:その2人分がないということですか?

はい。それで一緒に写真を撮って、五十嵐は12月17日に靖国隊で出ているっていうのははっきり。まあはっきりっておかしいですけど、いろいろな戦後の記事の中に載っております。しかし松浦のほうはただリンガエン上空で戦死としか書いていない。だから特攻隊も何かこうバラバラになったのかなと。

これも少年飛行の予備生ですね。みんなこれ後から。これ私が遺骨収集で行ったですからね。そのときのマスバテ飛行場です。私が不時着した飛行場に戦後、行っているわけです。

Q:こんなところですか?

これ特攻隊のそとば(卒塔婆)を全部立てています。レイテはまた船で出ていますけどね。

Q:結構広い所なんですね。

今は草を刈って民間の飛行機が1日1回離着陸しますからね。

Q:ここに不時着をされたんですか?

そうです。本にはもういろいろありますが、もうつぶれたような飛行機がね、飛行場の南の隅っこのほうや西側の隅っこに置いてありまして、草を掛けてありました。模擬飛行場で。それにみんな米軍が飛行機と思って撃ったらしいです。そこに僕と出丸と谷川少尉はもうやぶの中に入って見えなかったですけど。私と出丸のあれはね。しかも私の車を、飛行機を引っ張って隠してくれた人が書いてありますから。16師団の兵隊さんですよ。

Q:昭和19年10月25日に海軍が最初の特攻隊を出して、それが戦果を挙げてということがありましたけど、その体当たり攻撃が始まったということを木下さんはどこでどうお聞きになりましたか?

京城の隊で聞きました。第2錬成飛行隊と言うのですけども。

11月に入ったらすぐに情報が入ってきましたね。海軍は割合最初派手にスタートしたみたいですね。陸軍のほうがあまり派手ではなかったですが、海軍はかなり派手でした。私の記憶の中でも。おお、海軍がやったかということで、やがて陸軍だなという気持ちはありました。

Q:体当たり攻撃をするということに対して、どんなお気持ちでしたか?

その体当たりですがね、私はね、かなり前からそういうことがあり得るということは聞いておりました。なぜかというと、ニューギニア、ラバウルにおる戦隊ですね。あの戦隊の連中がね、自分が負傷したり飛行機が撃たれたりしますね。そうしたら、陸地に向かわんで、海の船に向かって、輸送船であろうが何であろうがかまわないのでしょうね。その付近に敵の船がおったら、それを目がけて体当たりする。もう何人も海軍の飛行機が船に体当たりするのを見ているわけです。そして、おそらく陸軍もそのとおりです。小山って僕の同期が生きて帰って、これは死にましたけど、それも行っております。陸軍の飛行機ですよ。陸軍の飛行機もしゃにむに。それで船に届きませんわね。いろんな都合で自分が負傷したりして、みんな海の中に入ってしまう。だから最後の死に場所を船に求めたというのは、やがてやっぱり自然と特攻隊ということになっていったんじゃないでしょうかね。死に場所が船だという。海ではなくして。 何も見えなかったらおしまいですけども。もうそういう情報はかなり聞きました。だからやがて僕らもフィリピンがああいう状態だし、海軍もああいう状態だし、やがては誰が行くか分からんけれども、やがては特攻隊という。まあ海軍はね、出ましたけれども。陸軍も出ているという感じは持っていました。だから目新しいものではなかったです。これは間違いありません。小野って玄武館の道場を、東京の吉祥寺でやっていて、もう亡くなりましたけれど。これが、「木下、来るかも分からんな」ということでね。もうあのころは陸軍、大尉ですからね、海軍さんはね。初っぱなが。だからそういう連中が行くんですからね。

Q:(関行男のような)海軍大尉が先頭になって突っ込んでいるという、自分たちもいずれは行くんだと。

はい。もう覚悟と言うよりも自然な形でね。まあ飛行機の宿命って言うとおかしいですけれども。まあそういうふうに感じておりましたね。それまでの私なんかも、B29が飛んで行きますが、見つかったら体当たりしようと思っていましたからね。

Q:どうしてですか?

高いのと速いのと戦っても勝ちようがないです、B29とでは。戦闘機は負けますよ。

Q:普通の戦い方では勝てないという気持ちはどれぐらいみなさんの中にあったんですか?

僕は、どんどん負傷して日本に帰ってくるでしょ、南方から。帰った連中が病院から出て、いわゆる飛行隊にそれぞれ分けてね、休養されるんですよ。休養する人たちがね、まあ実戦ですわね。自分もやられているわけ。実戦の、アメリカはどんな飛行機、あれはどんな癖があるということをですね、大体我々にご飯を食べながらでも寝ながらでも大体話、話題になりました。私なんかも同期が来ましたからね。小山って。これはもう率直にその瞬間まで、イヤーッと思う瞬間。ひっくり返る瞬間まで撃たれているわけ。ダーッと。1発でも当たればおしまいですが、まあそういう瞬間を体験した連中の話を生で聞いておりますからね。

Q:いずれは自分たちも突っ込むということもあり得るだろうなと思っていたら、その命令が来たということなんですね。

だから動じなかったですね。びくっとはしたけど。びくっていうのはパッと身がね、体が締まったけれども、来たという締まり方ですね。恐れるドキンじゃないですね。締まるというドキンです。私1人じゃないと思いますよ。まあその瞬間からみんなが口数が減りましたね。もう誰もが口数が減りました。黙っちゃったですね。

この無口はね、一つのあれかも分かりませんね。何とも言えない自分の心の整理かも分かりませんね。実際にぶつかるときとね。もうそういうのを頭の中で描いたかも分かりませんね。僕らはちょっと、少し年がいっている年上のほうでしたから。19歳でもね。ちょっと僕の方が大人だったかなとも思いますけどね。私はそういう目で、特に13期なんかしっかりしていましたね。13期生。少年飛行兵の。

Q:木下さんよりも年下になる?

3期下ですね。(八紘隊第3隊(靖国隊)には、少飛13期生が5人いた)これはもう僕にないぐらいのあれを持っていましたね。良く言えば魂を持っていたんでしょうね、きちんとしたね。僕らは慣れた雰囲気の中で入っていったっていう感じですけどもね。

Q:ちなみにそのときは 志願は募られたんですか?

そこはね、募集でなくしてね。やがてそういうのが来ますから、海軍が出たらしばらくしたらすぐにありましたからね。是か非かじゃないですよ。参加するか参加しないかという2文字の。みんな参加って書きますよ。決して行けんって書く人はなかったんじゃないですか。当たり前と思っていて。兵もそれから飛行機乗りも一緒ですからね。

惑うことはなかったです。これはもう真実です。またそういうことも考えたくなかったしね。行かずに済んだらなんていう気持ちは毛頭なかったです。当たり前と思っていました。

Q:なぜそんな気持ちにならなかったんですか?

環境でしょうね。それまでずっと戦況とかそういうものが流れてくる中でね。特に航空隊はよくニュースなんかに出ますものね、あのころは。もう毎日が航空隊ばっかりでした。ひどいとき、台湾沖のときなんか、今日も撃沈、今日も撃沈ですから。あのころ特攻隊っていう名目で出る人は少ないですもんね。全員が特攻隊ですからね。台湾沖の出撃は。あれは3日ぐらい続いたんでしょ。

Q:ニュースとかで華々しく伝えられるわけですよね、航空隊のことは。それが木下さんに影響していたっていうことですか?

影響と言うよりも、そういう道に行くということですね、我々は。我々も進んでいくという道です。飛んだら、命令が、敵の戦闘機をやれじゃないですからね。戦艦や航空母艦や輸送艦を撃沈しろっていう命令ですからね。もうそれに向かって真一文字です。ということは体当たりということしか。機関銃なんかで撃ったって、爆弾が当たれば、1発しか積んでない爆弾はおしまいですからね。当たればまともだけれども、当たらなかったらおしまいですものね。あとはもうめがけたでしょうね。だからそういう気持ちには、今でも変化がないですよ。むしろすまないと思っています。自分がそういうチャンスがなかったっていうことがね。これも本当に亡くなった方々にはすまないと思っています。特に僕の隊では僕1人ですから、生きてるのは。10人中私1人生きているわけですからね。私は長年仏壇にあの写真を置いておりました。靖国隊の写真をね。全員の。それでまあみんなに拝んだと言うよりも、むしろすまなかったっていう気持ちのほうが多いですよ。

そのときはね、靖国隊っていう名前をもらったんです。八紘隊の中の、八紘隊第3隊の中の靖国隊という名前。だから靖国隊という名前は、僕ら、冨永さん(富永恭次・第4航空軍司令官)からもらった隊の名前。

Q:それで10機が到着して、冨永軍司令官の前に皆さんで進んだ。そのときはどんなお話がありましたか?

お話というのはね、僕もよく覚えておりませんけどね。さっき言い掛けましたけどね。軍司令官はね、特攻隊の一人ひとりをよく勉強されておったですよ。勉強。出丸中尉は陸士で、何期でこうこう。谷川、大坪、秦は幹校を出てこうこうとか。それでなきゃ学徒動員の将校だとかってね、あれみんなうそですもの。僕らは最初から知っていましたもん。幹部候補生の少尉ですから、3人とも。それからその次が下士官で、僕と村岡が少年飛行兵。あと5人は全部少年飛行兵ですから。それ全部。それを一人ひとりね、出身の県まで大体知っておりまして。僕も他の人に何を言ったか分からんけれども。僕の前に来てね、富永さんの息子のことを言うわけ。自分の息子のことを。それで僕も全然知らんのよ。「息子も後からやるからな」って。「木下軍曹、息子も後からやるからな」って僕に言いましたよ。これはっきり覚えています。その息子がどこにおるか、戦後じゃないと分からないです。加古川におったんです。加古川のいわゆる学徒動員ですよ。学徒動員が30人ぐらいおりましたから。あの訓練でおりましたから。その中におられたんでしょうね。何で僕が加古川にいたことを知っているのかなと。それでみんな話していくのにね、君は13期だねとか、少年飛行兵の期別をみんなに話して。ああ、これは一人ひとりをよくね、みんなに会う前に、特攻隊に行く人のあれはよく調べておったんだなということが分かりました。話し方も非常におとなしい。しかし、君たちだけをやりませんと。

Q:11月24日。最初の出撃をされますけど、そのとき見送りなんかにも、いろんな方が来たりとかいうこともあったと思うんですけど、そのときことを詳しく教えていただけますか?

24日、ネグロスですね。

Q:最初の出撃のことです。

送りは整備兵の方。それから参謀とかそういう方だけです。私も木下師団長(第2飛行師団)なんかがおったということも全然分からんです。

Q:どんな状況だったのかを詳しく教えていただけますか?

私はね、出撃するまでにかなり時間が掛かったですね。もう4時ごろ分かったです。今夜夜間飛行になるぞっていうわけで。夜間飛行と言うと、他の人は夜間飛行の経験がないですから。だから僕と村岡と出丸と3人しかおりませんから。ああ、僕ら3人だなと。案の定3人に命令が来ました。命令は最初に、出丸中尉が1人で参謀から机の上で何か情報を聞きよったです。僕ら、村岡とはこっちに座って、その情報はくれませんでしたけどね。後から出丸中尉から概要を聞きました。それで、ああ、スリガオってレイテ島の東側にスリガオ海峡って。そこの中を通って、タクロバン、レイテ湾に向かっている戦艦がおると。輸送船を主力にしたものだというわけで。空母とか巡洋艦とか、そういうものではなくして、輸送船を主力にした船団が上がってきていると。そうしたらセブをまたいでこう行くのではなくして、セブをまたいで、それからレイテをまたいでスリガオに出て北上するコースしかありませんものね。もう頭の中で自分で描いているコースがバッと。それで僕も出丸中尉もそういう頭。このコースで行くと。そしてそれから1時間ぐらいもあったでしょうか。いよいよくらくなったな。もう6時を回ってきたからね。ほうっと思ったら、やがてプロペラが回りよったんです。プロペラは自分で回しませんからね。全部整備兵の方が回しますから。それでエンジンを掛けて出発だと。整備兵の方が並んで、参謀なんかが並んで、それで出発。あまりそんなごちゃごちゃもない。僕らも、おお、もうそれ詳しく情報が欲しいなと思ったこともないし。これで行けば分かるんだというような感じでね。もうだんだん夕暮れになってくる中を飛んで行ったんです。案の定スリガオに出たらもう、日がずっと沈んで、太陽も陸地の向こうに沈んでおりました。だからあとはもう、下は真っ黒、上は明るいっていう状態の中を飛んでおります。それでも薄ぼんやりは、高度を落としましたから、1,000ぐらいに。だからずっと海上を見ていきましたけれども。レイテ湾に入るまで全然船はありません。

Q:出撃して飛んでいくときはどんなお気持ちだったんですか? どんなことを考えていたんですか?

うーん。ちょっとどんなだったのかな。途中でちょっとね、僕の同期なのであまり言いたくなくて。しかし僕も書いているのでどうしようもありません。村岡がね、離陸してしばらくしたら、ネグロスの山の中に爆弾が落っこちちゃったんですよ。だから操作を誤ったのか、信管をはずそうと思って爆弾が落ちたのか、その理屈は分かりませんね。それで出丸中尉が爆弾がなければ帰れって。僕ら2機で行くから帰れと。無線はガーガー言って聞こえませんのでね。村岡にでも指示をしたみたいだけど、それも村岡はずっと付いてきたです。だから爆弾を積んでいるのは僕と出丸中尉と2人だったです。村岡は爆弾がなかったです。

それからタクロバンと思うようなものがはるか向こうに見えたころにね、パッとそこで初めて水野中尉なんかの援護機を見たです。お、今まで後ろにおって、前におらんかったです。ああ、友軍機が僕らを援護してくれているんだなと思って。それもだんだんくらくなったらもう見えなくなってしまう。それで僕ら3人になったら、とっぷり日が暮れてしまいましたからね。それでサマールの方向に舵(かじ)を切って、こっちに行くとサマール島にぶつかっちゃいますからね。海の方にずっと、サマールのいちばんこっち側の島の上空ぐらいを行ったわけです。ペタかなと思ったときに、村岡は操縦席のランプがある。あれをパチパチとこうやったんです。これは発見だっていうのでワーッと気が。もう集中的に海面に広がって。僕は見たけれども、出丸中尉にマフラーね。エンジンの後ろに排気管がありますが、あそこから火が見えるんです。マフラーの火。あれを離れて見ながら、もう海面を一生懸命になって。だんだん高度が落ちてきまして。そうしたら村岡がビューッとそばに来て、バーッと手を振って反転するんです。あ、船がおるんだっていうわけで、船は見えなかったんです。島っていうのはね、駆逐艦でも何でも夜は島陰に隠れるって言いますが。山の陰は同じお月さんが真上に来たら別ですけどね。ちょっとくらくなるんです。島陰っていうのは。バーッと見たけれども見えない。 そのうちにパッと。僕はそんなに大きな火じゃなかったけれども、火を見た。僕は本当に上から見てマッチのポッと火みたいな感じがしましたけど。それが村岡だと思うんです。それから僕ももう血が上ってしまってね。同期が目の前で死ぬんですからね、突っ込むんですから。もう気が狂ったみたいになって、出丸中尉はバーッと高度200~300まで下がって探したけれども、とうとう見当たらなかったですね。

そうしたら探しているうちに僕と出丸中尉とバラバラになってしまって、もう出丸中尉がどこにおるか分からないんです。僕も1人です。だからあのサマールの沖を右に行ってこう曲がって、またグルグル回ってみたけど、約30分間。とうとう見当たらなかった。ああ、これは爆弾の信管は切っているしね。どうしようかと思ったけれども、何か知らずに南に行った方向から、もう帰らなかったですね。そのままずっとネグロスの基地に向かって。羅針盤で調整して、それでネグロスに帰ってきた。僕が帰ったら、出丸中尉はとうに帰っていました。僕は爆弾を積んでいるものだから、飛行場が毎日空襲を受けますが、だから飛行場と言ってもガタガタ道なんですよ。それで、振動で爆弾が落ちないかと思ってヒヤヒヤしました。そうしたら大体こう、上空を2回ほど回ったら、カンテラって言いますが、あれで大体見当が付きましたから着陸したんです。止まり掛けたら整備兵が飛んできましたよ。爆弾を積んでいるものだから。それで動くなと。それでしばらく待ったら台車をダーッと持ってきて、爆弾を降ろして、初めて僕はそこから飛行機で格納庫のそばに。格納庫はないですけど、ピストのそばまで帰っていって、エンジンを止めて降ろしました。その前に僕に声を掛けたパイロットがおったんですよ。「誰だ」って言うから、僕が「靖国隊の木下です」って言ったんです。「木下軍曹です」ったら。「死ぬなー」って僕に大きな声で言いましたね。「死ぬな」って。「死んだらいかん」って。それで誰か分からないんです、闇の中で。これは整備兵かなと思ったら、向こうに行ったらチョークが入っているんですね。チョークが入っているっていうことは、飛行服ですが、ああ、誰かそういう人間もおるんだなと思って。僕は別に気にしなかったです。誰か、参謀かなんかの人がいてね、参謀でもみんな飛行機乗りの人はたくさんおりますからね。階級が少佐でも。誰かそういう人がおるんだなと思ってね。ということは、またの機会があるっていうね。また明くる日出るかも分からんので、そういう意味かと。私もこんがらがりましたが。

Q:死に急ぐなと。

そういう意味でしょうね。やっぱり夜の出撃はね、陸軍では僕らが初めてです。夜間攻撃は。それ以来ないです。どの本を読んでも夜間攻撃っていうのはないです。だから夜間攻撃がいかに難しいかね。

Q:飛行機が戻ってきて、そこからピストに行かれた?

同じ天幕ですからね。天幕の中に参謀が4~5人、将校の方がおられましたけども。大体今言ったようなことを話しました。僕はね、短かったです。15分もおったかなと思って。

Q:そのときにどういう報告をされたのかを、もう一回詳しく教えていただけますか?

24日ね、上がるときはネグロスで村岡のあれがあったと。爆弾が落ちたと。そのことはみんな参謀なんかも分かっていますからね。誰かが落としたなと。簡単には言っておきました。

Q:ちなみに村岡さんはその日帰ってこなくて、軍艦を沈めたことになっていますけど。

あれは僕は報告のとおりだと思うんです。僕の報告したことを、軍がああいう格好で、大型輸送船撃沈というふうに書いてありますね、あの新聞記事にもね。あれは軍がそういうふうに発表したと思います。

Q:それは、でも木下さんは輸送船にぶつかるところを見たわけではないですよね。

ない。明かりを見た。だからその明かりの身辺を探したけれども、とうとう見つからなかったです。

Q:戻ったときに、村岡さんは敵の輸送船に突っ込んだというふうに報告をしたのはどうしてだったんですか?

僕は一つの、同期である前にね、同じ特攻隊としての、犬死にではないと思う。何か見つけてぶつけているという。僕もそんな自信がありますものね。落ちたらぶつかっている。夜だからぶつかりやすいですよね。敵もこっちの飛行機が見えませんからね。だから明かりか何かあったらまともに突っ込まれます。

Q:村岡さんは何かを見つけて突っ込んだんだろうと。でも、木下さんは大型輸送船に突っ込むところを見たわけではないですよね。

ではないです。はい。

Q:それでもその報告をされたわけですよね。

光がついたのでね。バッとね。

Q:それは村岡さんが何かにぶつかったときの。

明かりと思ったわけです。

Q:炎だと。

爆弾を積んでいませんのでね、彼はね。爆弾ならまた違ったと思うんですよ。何にぶつかろうとね。だからそこが僕、村岡にすまないと思って。爆弾だったらもっとバーンですよ。250キロですもの。こんなのでポッとぐらいの火では収まらなんですよ。

Q:村岡さんが大型輸送船らしきものに突入したというふうに報告したのは、どうしてだったんですか?

私はそういうふうに報告を自然に、そういうふうに僕自体が美化ではなくしてね、そういうふうに思ったんですね。ごう沈じゃないけどもね。ごう沈はできませんよね、僕らも上空におるんですから。いっぺんに沈むわけじゃないですからね。いわゆる暗闇の中で見えなかったっていうふうに僕は。白川参謀にも言ったです。私が先に言ったんです。ガソリンで燃えたら明るくなってね、見えなければいけないんだけど、見えませんでしたねって。参謀もこうしていましたけどね。どう思ったかね。僕の報告を聞いて、分かった。ゆっくり安めと。案外簡単に僕の報告は終わりました。

Q:定かじゃない中で、でも大型輸送船らしきものに突入したというふうに、木下さんを報告させたのは何だった?

そこですね。僕は一つは、僕も無駄には死にたくないという気持ちがありますからね。だから村岡も何か目的があって突っ込んでいると思います。だからその目的をまあね。僕と村岡は学校も一緒だし、そんなに技量も変わらないでしょうから。むやみ勝手に、何もないところに突っ込んでいくということは考えられませんものね。

Q:おなじ同期として無駄死にしたとは考えたくなかったってお気持ちももしかしたらあったんですか?

それはあります。心の中では動いたですね。だからもう、何て言うんですか。高木さんが、木下がうそを言っているのではないかと言うようにね、それはうそと言ったらうそになるか知らんけどね。僕はそういうふうに見たんです。村岡の突っ込んだのをそういうふうに見て、もう1時間もしないうちに帰っているわけです、飛行場に。そのとおり報告をしたということです。僕は作り話ではないと、自分でも今でもそう思っています。やっぱり船に見えたものがあったということです。皆さんが夜の海上を飛んでみたら分かります。同じ色でないですからね。海の色っていうのは。夜でも。どす黒くなったり茶色になったり、海の色も真っ黒ではないですよ。

僕はピカッとした小さいけれども。もちろんあれより大きいけれども、その火の玉は見ているわけです。火をポッと見たことが。それで僕はその場所に低空飛行で探したわけ。出丸中尉も探しているわけです。それでもなんべんグルグル回っても、その付近ずっと回ったけれども、もう下手したら僕が落ちるぐらいのところまで下がったけれども、見つからなかった。しかし、私はそういう報告をしたわけです。

私はもう、そう言わなければね、あの中でね。海に突っ込んだなんてね、よしんばそれが、よしんばですよ。それが本当でもよう言わんですな。同期の村岡がね。

まあ同期を思いやって。そういうふうにしか言えなかった。これは正しいとは思いませんけどね。まあ僕の、思いやり。

26日は初っぱなから問題がありますね。3機か4機かという。(直掩隊長の)水野中尉は「4機だ」と言うし、僕は「3機だ」と言うし。それから高木さんの本(高木俊郎著『陸軍特別攻撃隊』)を見てみたら、高木さんは4機説を採っているんですね。水野さんのほうが正しいと。なぜか。上空から見ているということですよ。

Q:出発する、離陸する前はまた何かまた訓示とか、そういう儀式みたいなものはあったんですか?

それはもういつものとおりです。出丸中尉だけが詳しい情報を言われます。僕らは出丸中尉から簡単な。なぜかというと、何て言うんですか。あらかじめ目的は分かっているわけですから。特攻隊はね、南と北とありましてね。南のほう。ミンダナオに行く特攻隊と、僕らみたいに北のほうに行く特攻隊と分かれていましたから。僕らはもう北の特攻隊ですから。行くと言ったらもうリンガエンしかないわけです。だからとにかくあの付近のことについては、ものすごく僕らもピストで頭にその付近の状況を。だから出丸中尉も簡単に僕らに。こうやって。そのときはね、何か大艦隊のように言われたわけです。僕らも船数がなんぼとかは言いませんけどね。かなり艦隊が。

Q:26日の出撃するときは、24日出撃するときとなにか気持ちの変化はありましたか?

僕はね、やっぱり自分では今度は失敗できんなっていう、そういう反省はありました。今日はという感じに。今日は失敗できんなという。

Q:ずっと飛んでいくときはどんなことを考えながら飛んでいたんですか?

もう考えは、もう海ばかりで。こっちは山ですが、レイテ島ですが、もう出丸中尉と谷川少尉もほとんど、90パーセント以上こっちです。太平洋です。船団を見るために。船がどこにおるかと思ってね。もう目が充血するぐらい。もう99パーセントと言ってもいいぐらいです。99パーセントは僕の目は海上に向いていた。おそらく出丸中尉もそうだと思います。

Q:それは敵を見つけるのでもう…

それが頭の中に来ていてね。ものを考える。普通、索敵って言いますが、敵を探す。索敵行動だけで、もうこうして、もう同じ方向ですわ。そういう方向しか目が行っていませんね。こっちにたまに出丸中尉見たり、一緒に飛んでいるかなということを見たり。それで一緒に近くは飛んでいませんからね。もうそのころは500メートルから1キロぐらい近い、700~800メートルぐらい離れて飛んでいますからね。こうしたらいっぺんに落とされるっていうわけで。離れて飛んでいますからね。だからちょっと出丸中尉の姿を見るぐらいで。出丸中尉も変わった様子がないかなと。もう目は太平洋です。それから30分以上は太平洋から私の目はこっちに行っていません。

Q:もし敵の軍艦を見つけたら、そこで突っ込んで死ぬことになるわけじゃないですか。それでも一生懸命探そうという気持ちになったのはどうしてなんですか?

命令ですか。命令をまっとうしなければいけませんからね。船団を攻撃ですから。飛行機ではありませんから。全然対空砲火もありませんしね。下からも全然ないですよ。

僕はまだ探すつもりでおったんですよ。もう今日で最期だと思っているから。自分の命日だと思っているから。今日が自分の命日かなと。それで出丸中尉が…。左旋回ですわね。左旋回っていうことは、陸のほうに。そのままずっと南に向けて。ああこれ、ネグロスに帰るのかなと思った。それをずっと付いたら、オルモック湾ってあるんです

その海峡に掛かって、どうするのかなと思ったら、更にそのままネグロスに飛ばずに、ここでこう行けばネグロス。こういったらマスバテのほうなんです。こっちの進路に飛んでいくんです。それで僕、ふとオルモック湾のあれを見たら、さっき言った小型舟艇を2隻、白線を引いてね、オルモック湾の方に逃げる、アメリカの船かどこの船か知りませんが、2隻見ました。それを見て、そのままずっと行ったら、レイテ島からマスバテまではものの10分掛かりませんからね、飛行機で。そのうちに谷川少尉がああいう格好になって、ボンボンボンとガス欠の状況ですね。それで高度は落ちていくし。どうするのかなと思ったら、出丸中尉が爆弾をボーンと落とすんです。そうしたら谷川少尉も落として。それで見てボーン。それで僕もだいぶ考えた末、僕も爆弾を落としました。僕もレガスピーがいちばん近い飛行場でもそこから15分以上掛かるんです。その飛行場に行くまでに私も海の中か陸に不時着しなければいけませんね。それで僕もそこで落としちゃったんです。 それで谷川少尉が小さな飛行場に。飛行場にうまく入ったんだけど、オーバーランして。それで顔をけがされて。それで出丸中尉はね、その足でずっと着陸しちゃって。だから佐々木さんとの会話の中で、このことがどうも本当だと思う。出丸中尉も自分の燃料が心配。それで僕は更に2回回ったんです。回ったときに谷川少尉が飛行機から出てね。それで誰かに助けられるんです。まさか敵の兵隊に捕まったんじゃないかと思ったんですよ。よく見たらね、日本兵みたいなんですよ。300ぐらいですからね。ここに小高い山がある。150ぐらいの。飛行場の北側に山があるんだけど、その山の上に人の動く気配もするし。それで僕ももう一回回って、もうその飛行場が、小さな飛行場にね、弾痕がいっぱいあるんですよ。爆弾の跡が。しかも草は2メートルぐらいあるし。どこに弾痕がないかなと弾痕を探して、弾痕の合間を見て僕はそこに着陸した。

Q:木下さんの覚えているように教えていただきたいんですけど、今おっしゃったみたいに、今日は自分は死ぬと。

はい、命日と思っているわけですね。自分では。

Q:今日は自分の命日だと、そういうふうに思って出撃したのにかかわらずマスバテに不時着した。そのときはどんなお気持ちだったんですか?

いちばん最初に言いましたけど、マスバテに下りたときの心境というのはね、自分できちがいではないけどね、頭がおかしかったです。もう飛行機がないんですもの。僕らパイロットですよ。パイロットから飛行機を取ったら何が残りますか。兵隊おしまいですわ。その複雑な。日本の兵隊はおりますよ、そこに。警備隊がおるんだけれども。僕としては軍人はおしまいですわ。それは複雑な心境になったですよ。だから沖本っていうのが、(戦後)神主になったですが、酒を飲むと、木下さん、「あのときはあんた、死のうと思ったんじゃないか」って家内の前で言います。僕、戦友会に行くわけでしょ。必ず家内を連れていきますから。そうしたら、酒飲んでる席でね、そう言いますもん。だから僕の顔色も変わっていたかもしれません。

Q:いま死のうと思ってたんじゃないかって、戦友の方が…

僕が自殺すると。ピストル持っていますしね。

Q:実際木下さん、そのときどんなお気持ちで?

そんな気持ちはなかったけど。頭は動転していました。何もかも終わって。死ぬんじゃなくして、これで自分、このまま終わったのかなと思って。終わることが死ぬことか生きることかそれは分からんですよ。マスバテの兵隊に助けられるわけですけれども。嫌な心境でしたね。頭が狂ったんじゃなくして、ボーッとしてね。当たり前に人が見えなかったです。

Q:木下さんと出丸さんの飛行機はマスバテに…

飛べる状態ではあったんです。

Q:飛べる状態でも、その後は飛ばなかったんですか?

飛ばれん。出丸中尉の飛行機もエンジンも掛けていませんけど、僕の飛行機は僕の飛行機ですから、エンジン一生懸命やったけど飛ばなかった。

Q:ちなみに木下さんたちは、敵艦に突っ込んで大戦果を挙げたことになっていましたよね。大本営発表で。

はい。

Q:そういうラジオ放送もフィリピンでも聞けたという話を聞いているんですけど。

はい。

Q:それはお聞きになりましたか?

はい。それで12月に入ってからです。

Q:そのときのことを詳しく教えていただけますか?

さっき出ました沖本という通信隊の班長さんです。通信班っていうのが4~5名おりましてね。松村さんとか。通信班の人がたまたまガーガー言う無線機。携帯無線ってありますが、電波で回して無線が聞きますが。あれで回してガーガーいう中に、靖国っていう名前が出てきたっていうんです。靖国特攻隊、26日、谷川少尉、木下軍曹が突っ込んでどうこうってニュースが入ったっていうわけです。それで通信班の連中がそれを聞いたわけです。それでね、…またそれが同じ聞いている中に、また出るんですよ。だから、僕らの戦死したっていうことをね、なんべんもこうニュースで流している。そのニュースを傍受したんです。それで、「あら、木下さん、あんた戦死だぜ。特攻隊で体当たりだぜ」ってみんなが僕に冗談で言ってくるんですよ。

冗談半分にね、「ほら、あんた軍曹だけど、それなら軍神だ」なんて。それから僕に、みんな軍神、軍神って。今でも軍神で来ます、手紙が。軍神木下顕吾で来ます。暑中見舞いでも年賀状でも。

Q:それを聞いたときはどんなお気持ちでしたか?

いや、僕は悪い気持ちではなくして、もう自分の失敗っておかしいけれど、本当に自分がやらなかったことでしたからね。まあ反省はしていましたけど、そんな重荷にはなりませんでした。

どっちみち死ぬと思っていましたから。さっき言いましたように。マスバテで死ぬと思っていました。ゲリラからやられるのでも、米軍でも上がってきたらいちころですから。現に上がってきたから、米軍が。もうそれがね、よく分かるような本がありますよ。本って、僕らの戦友会の連中の本がありますから。

Q:いずれにしても…

もう生きて帰るなんていうことは、全然毛頭なかったです。自分の死ぬところはマスバテだと。レイテ湾ではなかったけど、ここでおしまいだなということは思っている。だから、沖本班長がね、僕に、「木下さん、あんた死ぬんじゃないか」って。死ぬっていうのは自殺するんじゃないかっていう、そんな面つらをしていたんでしょうね。僕の平素の中でね。

Q:飛行場で終戦を迎えることになると思うんですけど。そこから内地に戻ってくるときはどんなお気持ちだったですか?

それは何とも言えんね。僕の母親のことを話しましたけどね。もうオール復員軍人ですわね。歩兵であれ飛行機乗りであれ、気持ちは一緒ですわね。やはり九死に一生でしょうね。そういう連中がみんな港に着いて、千円もらって、服をもらってちょっと何か、毛布か何かもらったのかな。もらってみんながそれぞれ切符を書いてもらって。切符って証明書ですね。私だったら、佐世保から境港までの切符の証明書が出るわけです。それをもらってみんな帰ってくるわけですから。そこで2日ほど待っていて、別れましたけどね。もう日本もね、博多なんかも佐世保も軍港自体がもう焼け野原でね。どこも戦場でしたからね。はあ、日本もやられたんだな。特に福岡の駅なんか、駅がないんですよ。ボーッと遠くに駅があるんですよ。街がないんですよ、福岡の街が。爆撃で。うわあ、日本もすごいなと思って。境港に帰ったら、境港も駅がないんですよ。船が爆発して何十人と行方があれして。この間、70周年か何かの記念の慰霊祭がありましたが、境港の街もないんですよ。駅からずっと焼け野原。あらあ、日本もすごいなと思って。家に帰ってみたら、田舎ですから何も被害はなかったですけど。だから、そんなに、戦争が終わったんだっていう、あれは一つの自分でうまく、コントロールできたんじゃないでしょうかね。あまり気にもしませんでした。それでみんな兄貴も、亡くなったですけど、帰ってきていて。母親も生きて帰っていて。まあ毎日毎日親戚の者が集まってくる。それから悪いですけど、新聞記者や雑誌の方々が来るしね。「当分の間すいませんが、ちょっと1人にさせてください」って言ってね、1か月ぐらい私、戦争の話はしなかったです。まあ、毎日毎日来た記者もおりましたよ。どこの新聞か知りませんけど、毎日毎日。1か月ちょっと、私の心を落ち着かせてくださいと。私も頭がこんがらがっていてね。ちょっと今、おしゃべりしたい気持ちになりませんからと。1か月くらい。それで1か月ぐらいしたら、家に帰ってみたらうちの兄貴なんかも台湾からの引き揚げ者ですから。それで働くところもないし。兄貴は働く道があって働いていましたけど、電力関係で。僕も働かなければ食えませんからね。

Q:さっきもね、ふるさとでは 戦死していることになっていた。

はい。部落の人はね、僕がある程度話しました。ということは、みんな帰ってきたからね。来ますから、家に。夜でも昼でも、僕が畑に出て、あれしよったところが畑まで、「おっちゃん、話してよ」なんて若い者も来るしね。ここで24、25日の日は話しました。敵艦が見えないで帰ってきて、これはこうして山に入って、10か月あまり山で歩兵隊の兵隊と一緒になって、それで終戦になって帰ってきたって。そのことだけは簡便的に話しました。だから、戦死したということは理解してくれて、誤報だということをね。それから自分の墓も建っていましたから墓も壊す。それから、市役所に行って。全部自分で。うちの近所の人が助役をしていましたから。家内のおやじも収入役でしたから、籍を復元して、そういうのは全部自分でしましたから。

Q:特攻隊に任命されたり、出撃する…その当時の木下さんにとって、死ぬことというのはどんなことだったんですか?

難しいですね。私もよくね、五木さんの本で、死と命という本をずいぶん読んだですよ。答えになっていませんものね。死というのはね、自分で意識するときが僕はあると思うんですよ。僕、現におやじが死ぬときの死期の…、はっきりおやじは、「頼む」と。一番末っ子の僕に「頼む」と言いますからね。ああ、これは近いなと思ったです。そうしたらそれから2時間もしないうちに死んじゃった。やっぱり死ぬという時期が自分は分かると思うんです。しかしね、命。命となると答えはないですな。知らないうちに死んじゃう命もあるし。だからあの本には、命は時なりなんて書いてあるけど、それは答えにならんですものね。だから死と命とは、僕らの頭では区別できませんね。だから僕は、あのときは死に対してそんなに怖いとか、恐ろしいとか、そういう気持ちは。毎日が僕らは飛行機乗りですから。だから毎日下着は替えろという、学校からのしつけですから。靴下でも2日と履くなと。厳しいですよ。パイロットのしつけは。それぐらい言われてきたわけですから。毎日が死と対面の飛行機ですもん。

Q:それだけ死ぬことというのが当たり前と言うか、死というのがすぐ近くにある生活がずっと続いていた。

そうそうそう。毎日が死と対面だったっていうことです。教官も言いますからね。飛行機が離陸したらもう1人。いつ落ちるか分からんです。飛行機が地面に着いてもひっくり返ることがあるんだから。だからもう、飛行機に乗っている間は、隣り合わせじゃなくして、自分の前に死があるということです。

出来事の背景出来事の背景

【特攻~なぜ拡大したのか~】

出来事の背景 写真 爆弾を抱えての体当たり攻撃、特攻。戦争の終盤、日本はこの特攻でアメリカ軍を迎え撃ちました。戦死者は、4500人あまり。その大半が、二十歳前後の若者でした。
 昭和19年10月に始まった特攻は、終戦までの間に急激に拡大して行きます。特攻が初めて行われたのはフィリピンでした。最初に体当たり攻撃を行う事になる特攻隊が編成された10月20日。アメリカ軍がフィリピン・レイテ島に上陸を開始。20万の大軍が押し寄せました。太平洋の各地で敗退を重ねてきた日本軍にとってフィリピンは最後の重要拠点でした。しかし、主要な航空戦力を失っていた海軍には、強大なアメリカ軍を迎え撃つ手段がありませんでした。状況を打破するために立案されたのが、特攻でした。その戦果は、予想をはるかに超えたものとなります。20日に編成された特攻隊の一つ、5機の零戦からなる敷島隊は、空母3隻に命中してうち1隻を撃沈。隊員たちの命と引き換えに大戦果をあげました。
 この結果を受け、現地の海軍航空隊では体当たり攻撃の継続を決定。フィリピンの基地からは連日、多くの隊員が出撃して行くようになります。

 沖縄戦には、日本軍が開発したさまざまな特攻兵器が投入されていきました。ボートに爆弾を取り付け、敵艦に体当たりする、特攻艇、「震洋(しんよう)」。船体はベニヤ板。敵の銃弾を浴びただけで沈没しました。1.2トンの大型爆弾に翼と操縦席を取り付けた、「桜花(おうか)」。搭乗員は、桜花とともに攻撃機で敵艦隊の上空まで運ばれ切り離されました。しかし、桜花搭乗員の多くは、敵艦隊の上空にすらたどりつけず攻撃機もろとも撃ち落とされていきました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1924年
台湾の宜蘭に生まれる
1938年
台北州羅東郡の三星尋常小学校卒業し、逓信省の逓信管理講習所(台北)入所
1942年
東京陸軍航空学校、宇都宮陸軍飛行学校(少年飛行兵10期)を経て、搭乗員になる
1944年
11月、群山飛行場で、陸軍特別攻撃隊「第3八紘隊」(後に「靖国隊」と命名)が編成され、フィリピンへ
 
11月24日と26日、靖国隊として出撃。マスバテ島に不時着
1946年
6月 帰国 復員

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フィリピン(レイテ島)

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