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タイトルタイトル: 「終戦翌日の出撃準備命令」 番組名番組名: [NHKスペシャル]“終戦”知られざる7日間 放送日 2015年8月16日
名前名前: 堀之内 芳郎さん(震洋特別攻撃隊 戦地戦地: 日本(高知)  収録年月日収録年月日: 1994年8月8日

チャプター

[1]1 チャプター1 “矛を収める”  03:24
[2]2 チャプター2 “断固自衛反撃すべし”  03:34
[3]3 チャプター3 燃え上がる戦意  03:43
[4]4 チャプター4 誤報と分かり出撃準備はなくなった  04:52
[5]5 チャプター5 爆発事故  05:07

チャプター

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番組名番組名: [NHKスペシャル]“終戦”知られざる7日間 放送日 2015年8月16日
収録年月日収録年月日: 1994年8月8日

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どうもこう、雑音が入りましてね、よくあの、聞きとれませんでしたけども。ポツダム宣言を受諾したと、ほいで戦争、終戦だと、いうこととですね、次に「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」というのは、よく聞き取れましたね。隠忍自重せよと、いう、天皇陛下の、お言葉だということは分かりました。その程度で、あんまり詳しくは聞き取れませんでしたけどもね。しかし、前からうすうすはそういう情報が流れておりましたからね。これはまあ、終戦の詔勅だということは分かりました。それとそのあとでですね、やっぱり、海軍省から電報が入ったと思います。終戦だということ。それから、軽挙妄動しないようにと、いうですね、中央からの、電報が届いたように、記憶しております。

そのときはもう、これで終わりだと思いましたね。これで、戦争全て終わったんだと、残念ながら負けたんだと。この上は、もう、陛下の御心に沿って矛を収めなきゃいかんと、こういうような受け止め方が、一般だったと思いますね。まあ人によって若干、違いはあると思いますけれども。そういうような、受け止め方でして。逆にあの…、あちこちに起こりましたこの、戦闘を続けるんだと、いわゆる継戦ですね。そういうような意見はあんまり、聞かれなかったように思いますがね。少なくとも、本部の士官室の間ではですね。

やはりね、残念だーという気持ちと、ほっとする気持ちとやっぱり両方が存在しましたね。済んだという気持ちは確かにありました、これは隠しません。一方では、相反する気持ちですね、一方では「残念だー」という気持ちとですね、一方では、「ああ、これで済んだ」と、いう気持ちと。これはもう不思議なものですね。この両方が、私は存在したと思います。

翌日、16日のですね、午前中ですが、時間ははっきり覚えておりませんけれども。中央からの重要な電報が入るわけですね。それは、海軍総隊司令長官から、の電報でして。大本営海軍部命令の47号に基づいて、当面の作戦方針を示されたものが届いた。それは、「積極的な進攻作戦は見合わせる」と。「ただし、本土正面に来攻する敵に対しては、断固(自衛)反撃すべし」と。非常にその、強い調子の作戦方針でしたね。こういう電報が、届いたわけですね。でもそこで、いや、これ戦争まだ終わってないんだと、きたらやるんだと、いうことで、昨日、しぼみかけていた戦意がですね、また燃え上がるわけですね。

それで、私は当日はですね、司令は朝から、高松の方に終戦業務の打ち合わせのためにですね、出張中なんです。私が先任将校としてですね、副長、次席指揮官でしたから、司令に代わって電報を打つわけです。部下の全体にですね。海軍総隊からの作戦方針、命令を受けてですね、これを自分の部隊に発令したということです。それが今言いましたように、上級司令部の、作戦方針を伝えるとともにですね、手綱を緩めてはいけないと、実力の満を持して任務を達成しなさいと、こういう電報をですね、部下の各隊に発令したということです。これが16日の11時2分、ということで。これは、電報が残っとりますから確実ですね。この電報を受け取って、各部隊とも戦意が高揚するわけですね。来たらやるんだと。そういう状況にあったのが、16日の午後の状況です。

私が各隊に電報を打ったあとですね、すぐその敵情が入ってくるわけですね。まあ時刻ははっきり覚えておりませんけれども、だいたい、いろんな資料を見ますと、午後の6時すぎかと思いますけれども。敵が出たという電報が入るわけですね。それは、確か、上級司令部の、第8特攻戦隊司令部からだったと記憶しますけれども。敵の戦艦が高知沖に現れたと、こういう、情報が入るわけですね。そうすっと、さっき言いましたように、部隊はもう非常に戦意高揚してですね、いわば、一触即発というような状況のところに、そういう電報が、敵情が入ってきたということですから、これはいよいよ、戦意は燃え上がると。こういうことになりますね。そこで私は、この電報を受けてですね、すぐその、関係の幹部を、士官をですね、集めてそして、どういうふうにするか、対応を協議したわけです。とにかくはっきりした位置とか、敵の位置とかですね、艦種とかそういうもの、まだはっきりしませんけれども。とにかく事態は、切迫してると。これはもう、すぐ、反撃の態勢をとらなければいけないということで。とりあえず、「“第一警戒配備”となせ」という、電報を打つわけです。これを受けて、戦闘部署というのものがありまして、それでその、“第一警戒配備”の場合は、どういうふうに準備をするんだということが、前もってちゃんと決まっておりましたから、それに従って、各隊その、反撃の準備をすると。こういうことになったわけですね。

Q:堀之内さん、高知沖に、敵の艦船が現れたって聞いたとき、どんな思いがしました、そのとき。

いやあ、「来たか」っと、こう思いましたね。いよいよ来たかと、思いましたね。

Q:周りの下士官たちも、かなり高揚してましたか?

はい。これはもう、やはり特攻隊ですからね、一般の人よりも、そういう気持ちは私は強かったと思います。そのために、日夜訓練しとった搭乗員ですからね。来た、やるぞと、いう気持ちになったと思っております。

電報を受けて、各、回天隊、震洋隊、魚雷艇隊、みんな反撃の準備をするわけです。いわゆる、出撃準備をするわけですね。各隊とも準備をして。そして、ほとんど、いつでも出られると、いう状況まで進んでいたと思います。例えば、須崎におりました回天隊はですね、トンネルのとこまで、トンネルの口まで、「回天」を出しましてですね。水際ではありませんけれども、トンネルの口まで出して、そして、いつでも、まき出せるという状況にして。そして、搭乗員ももうちゃんと、出撃の準備を整えて、発進の命令を待ってるという、戦闘即応といいますかね、そういうところまで、各隊とも進んでおりました。

Q:搭乗員たちはもう、まさに、乗り込む直前。

そうですね。そこで次にですね、情報がはっきりしてくれば出撃しなさいと、こういう、命令を出したでしょうね。ところが逆だったわけですね。今言いましたように、もう全て準備は整って、いつでも出撃できるという状況になってるところに、次の情報が入ったわけです。私はですね、これきたと、思いましたね。ところが、実際は、ここが逆で、敵の戦艦が現れたというのは、漁船の間違いだったと、こういう電報だったわけです。全く、こちらの期待に反するものだったわけですね。期待といいますか、予期、予期に反する電報が入ったということです。そこで、すぐ、その情報とですね、一緒に、“第一警戒配備”を復旧しなさいという、命令を出したと、こういうことです。

その前からまあずいぶん敵の機動部隊が、砲撃しましてね。それから、15日にもいろいろ都井岬に敵の艦隊が北上するとかですね、いろんな情報が乱れ飛んでるわけですね。そういうもうほんとに切迫した状況。しかも、土佐湾と日向灘っていうのは、敵の第一番の上陸地点と判断しとるわけですね。そういうもう、非常にその緊迫した情勢の中に人間がおりますとね、ちょっとしたことがやっぱり、そういうふうにとれますね。例えば、漁船をですね、誤認したというのもですね、やはりそういう、それを認めた人の頭に、そういう状況があるもんですから、ものがそういうふうに見えてくると、いうことだと思いますね。頭の中がそういうふうになっとるわけですから。

これはもう、絶対に忘れることできませんね。私はこの50年間。もう、この8月が近づくにつれてですね、その当時のことは、非常にあれですね、気持ちをくらくしますね。沈ませますね。これはあの、個人的なあれですけれども。私は毎朝、仏壇に、拝んでおりますけれども。必ずこの事故で、亡くなった人たちのことを、考えながら、拝んでおります。

やっぱり、その、第一点はですね、やっぱり、終戦後、だったということですね。はい。

私が命令出さなければ、起こらなかったわけですね。準備しないわけですから出撃は。私が発令しなければ。この事件は起こらなかったわけですよ。もしという、もしが許されればですよ、もし私が、“第一(警戒)配備”を下令しなければ、この事件は起こらなかったはずです。だけれども、先程、話しましたように、上級司令部の命令は、来たらやるんだということにまだなってるわけですから。そしてしかもそこに敵が出現したと。そういう状況であればですね、これは、やはり、私が、と同じような命令を下したのが普通ではないかと、こういうふうに私は思います。

ですから、一方でまあ、何ですね、ああいうその、命令を下したのは正しかったという考えと、一方では、かわいそうなことをしたという気持ちがですね、両方存在するというのが、本当の私の気持ちですね。まあ、自己弁護ととられるかもしれませんけれども、私の本当の気持ちは、そういうことで、その二つの気持ちが、重なり合っていると。それがですね、8月の16日が近づけば、互いにその気持ちが複雑に重なり合ってですね、そして、心のとげをチクチクつつくと、いうのが私の本当の気持ちです。

出来事の背景出来事の背景

【“終戦” 知られざる7日間】

出来事の背景 写真堀之内さんは、8月16日、高知県にある回天や震洋、魚雷艇などの部隊の先任将校として、各部隊に本土正面に来攻する敵に対しては断固反撃すべしという海軍総隊司令長官からの電報を伝えました。高知県沖に敵艦発見という情報を受け、出撃準備の命令を出しますが誤報と判明し、出撃は取りやめになりました。しかし震洋隊が準備中に爆発事故を起こし、111人が犠牲になりました。一連の経緯と思いを証言します。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1914年
鹿児島県高城村に生まれる
1931年
海軍兵学校に入校
    
巡洋艦や駆逐艦などに乗り組む。中国方面の作戦に従事
1945年
5月、第23突撃隊特攻長として高知県須崎町(現・須崎市)に赴任
 
須崎町で終戦を迎える
 
戦後は警察予備隊を経て、海上自衛隊へ

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