葛飾北斎「冨嶽三十六景」はゴッホやモネも魅了した
「神奈川沖浪裏」。大迫力の波と翻弄される舟。彼方には見守るように富士山がそびえる。四季折々の表情を見せる富士山の姿。風景画の傑作シリーズ「冨嶽三十六景」は、ゴッホやモネなど多くの芸術家をも魅了した。
浮世絵界きってのヒットメーカー・葛飾北斎
江戸時代後期に活躍した浮世絵界きってのヒットメーカー・葛飾北斎は、現在の東京都墨田区で生まれたと伝わっている。商業活動が活発化した江戸時代、庶民自ら人気絵師の作品を買い求めるなど、大衆文化が花開いた。
6歳でスケッチに夢中になった葛飾北斎は19歳で勝川春章に弟子入り
浮世絵の世界に憧れを抱いた北斎は、6歳ですでにスケッチに夢中。そして19歳で歌舞伎役者の錦絵で知られる勝川春章に弟子入りした。翌年、20歳でついに浮世絵の世界にデビュー。「正宗娘おれん瀬川菊之丞」。
葛飾北斎が驚きの行動!漢画ややまと絵など他の流派を学び始める
美人画や役者絵を次々に手掛けても満足いかない北斎は、驚きの行動に出る。なんと他の流派の絵を学び始めたのだ。漢画ややまと絵。ひとつの流派に一生を捧げるのが常識だった当時、極めて異例のことだった。
葛飾北斎が西洋の遠近法を駆使した「江島春望」
さらに北斎は西洋画にまで注目する。「江島春望」。ポイントは「遠近法」。彼方の富士山と浜に寄せる波。西洋の遠近法を駆使して、これまでの日本にはない画風に挑戦。北斎は自分の理想とする絵を模索し続けたのだ。
苦悩した葛飾北斎は21日間、妙見堂に通い願をかけた
墨田区の法性寺には北斎の苦悩をうかがわせるエピソードが伝わっている。なかなか思いどおり自分の絵を描くことができなかった北斎は21日間、柳嶋の妙見堂に立派な浮世絵師になれますようにと願をかけたという。
人気のあまり46枚になった葛飾北斎「冨嶽三十六景」
そして72歳のとき、北斎は「冨嶽三十六景」を生み出す。あまりの人気に当初はタイトル通り36枚シリーズだったのが、後に10枚追加する。そのヒットの秘密は「遊び心」。
葛飾北斎の遊び心が伝わる「甲州三坂水面」
「甲州三坂水面」は本当なら富士山の真下にくるはずの湖面の富士山が、なぜか左にずれている。さらに夏の風景のはずが、雪化粧。最初の「おや?」をきっかけに作品の世界へ引き込んでいくのが北斎の知恵なのだ。
色で驚かせる葛飾北斎「冨嶽三十六景・凱風快晴」の赤富士
さらに富士山の色で「おや?」と思わせる仕掛けも。「冨嶽三十六景」では富士山の色は青が定番だが、なんと「凱風快晴」は紅い富士山。夕焼けか、それとも朝焼けか。北斎もこんな富士山を見たのだろうか。
葛飾北斎の名を不動のものにした「冨嶽三十六景」
流派を超え洋画に学んだ北斎。遊び心溢れる仕掛けを盛り込んだ「冨嶽三十六景」は多くの人々の心を鷲づかみ、北斎の名を不動のものにした。
ゴッホやモネも魅了した葛飾北斎「冨嶽三十六景」の遊び心
先人たちの底力 知恵泉
浮世絵界で空前のヒット作を生み出してきた葛飾北斎。人々の心をつかんで離さないその秘密を名画「冨嶽三十六景」から読み解き、江戸のヒットメーカー・葛飾北斎の知恵を5分でお届けする。(先人たちの底力 知恵泉)