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ピエール=オーギュスト・ルノワール~パリ・モンマルトルには若き画家たちが集った
フランス・パリ。ルノワールが活躍したのは19世紀後半から20世紀初め。モンマルトルには若き画家たちが集い、ルノワールもその一人だった。当時モンマルトルに庶民に人気のダンスホールがあった。
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光の一瞬を捉えた印象派らしい代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
そこで生まれたのが代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。流行りの衣装に身を包み、ダンスやおしゃべりに興じる人々。木漏れ日が人々の姿を輝かせている。光の一瞬を捉えた描き方は印象派が始めた画期的な手法。
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ルノワールはモネやセザンヌと開いた展覧会で印象派の画家として世に出た
ルノワールが印象派の画家として世に出たのは1874年、モネやセザンヌなどの仲間たちと開いた展覧会がきっかけ。「陽光の中の裸婦」。肌には青や紫の影が落ちている。ところどころに白く輝く日の光が踊っている。
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まるで死体じゃないかと非難されたルノワール「陽光の中の裸婦」
背景は殴り書きのような荒々しいタッチで木漏れ日のゆらめきを描いている。この作品は激しい非難に晒された。当時のある新聞では「女性の肌が青ざめ、紫がかかった斑点に覆われている。これはまるで死体じゃないか」
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ブーグローの絵と比べると奇怪だったルノワールの絵
当時の画壇の権威だったブーグローの裸婦像と比べてみよう。筆跡を残さないなめらかなタッチで美の女神ヴィーナスを描いている。こうした絵が名画とされた時代、ルノワールの絵はまさに奇怪なものだった。
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印象派の描き方に疑問を覚えるようになった40代のルノワール
40代のルノワール。印象派展から7年後、ルノワールは光を追う印象派の描き方に疑問を覚える。「私は引き裂かれた状態だった。戸外では変化する光に振り回されて構図や形を考える余裕がなくなってしまう」
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ルノワールの葛藤を物語る「雨傘」
「自分で何をやっているのかわからなくなってしまった。袋小路に陥ってしまったのだ」。このころのルノワールの葛藤を物語る絵がある。「雨傘」は右側が最初に描かれ、左側は4年後に描かれたことが分かっている。
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右の女性と左の女性のタッチが違う・ルノワールが印象派を脱却する試み
右側の女性はやや粗い筆遣いで輪郭線のない印象派の技法、左側の女性は輪郭がはっきりしてなめらかなタッチ。ルノワールが印象派を脱却しようとした試みだった。
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イタリアでラファエロを見て古典絵画の高度な描写力に圧倒されるルノワール
絵から見える葛藤。ルノワールは旅に出る。イタリアで出会ったルネサンスの巨匠ラファエロの「小椅子の聖母」。幼子イエスのふっくらした足、マリアの透き通る肌。ルノワールは古典絵画の高度な描写力に圧倒される。
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ルノワールが印象派時代と全く異なる技法で完成させた「大水浴図」
帰国後、印象派時代とは全く異なる新たな技法を試す。完成させたのが「大水浴図」。まず目につくのは裸婦たちのはっきりした輪郭線。近寄ってみると女性の肌は筆跡が全く見えないほどなめらかだ。
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ルノワールが葛藤の末に3年もの月日をかけて描き上げた「大水浴図」
3年もの月日をかけて完成。より高みを目指そうと葛藤の末に描き上げたこの絵は、ルノワール最大級の作品となった。
ルノワールの葛藤・印象派から脱却して描き上げた「大水浴図」
日曜美術館
フランスで活躍した印象派の画家・ピエール=オーギュスト・ルノワール。光の一瞬を捉えた描き方が特徴だったが、「陽光の中の裸婦」では、「女性の肌が青ざめ、紫がかった斑点に覆われている」と非難を受け、次第にルノワールは光を追う印象派の描き方に疑問を持つようになった。印象派から脱却しようと新たな技法を試みたルノワールの葛藤に迫り、作品の注目ポイントを7分でお届けする。(日曜美術館)