(オープニングタイトル)
美しく豊かな日本の自然。私たちは、その恵まれた環境のなかで暮らしてきました。しかし、現代の日本ではその環境が急速に変わりつつあります。どうしてでしょう
今、日本では、私たちを取り巻く自然界でさまざまな問題が生じています。野性のシカに木の皮が食べられ、木々が枯れてしまう現象。「鹿害(ろくがい)」といわれています。また、大量のプランクトンが発生して海の色が変わって見える「赤潮」という現象。有害なプランクトンによる赤潮が発生すると、魚が呼吸できなくなり死んでしまうことがあります。そして、ゴミの問題。豊かな海がゴミで埋め立てられています。ゴミは、減量化が進んだ今でも50年前のおよそ4倍も出ています。ここ100年あまりで日本の自然環境は大きく変わってきているのです。
自然界で起こるさまざまな問題。その原因は何なのでしょう。野生のシカが木々や畑を荒らす鹿害(ろくがい)。もともと日本では、草食動物のシカを肉食動物のニホンオオカミが食べるという「食物連鎖」によって、数のバランスが保たれていました。たとえば、シカが増えればシカが食べる植物は減りますが、シカを食べるオオカミは増えます。すると、シカは減り、オオカミも減ります。シカが減った分、植物は増え、元に戻ります。こうして、自然のバランスは保たれます。
しかし、ニホンオオカミは絶滅。人に殺されたり、西洋犬の伝染病で死んだりしたといわれています。オオカミがいなくなるとシカは増え、シカが食べる植物が食い荒らされるようになりました。そこで、ハンターによってシカの数を適正な数に保ってきました。ところが近年、ハンターの数が減ってシカは再び数を増やし、自然界のバランスが崩れてしまったのです。
大量のプランクトンによって海の色が変わって見える赤潮。海の中の窒素などの循環のバランスが崩れたときに起こります。たとえば、工場や家庭の排水などが海に流れ込み、窒素などを含んだ物質が増えると、有害なプランクトンが大発生することがあります。赤潮は、人間が自然界の物質循環のバランスを崩してしまった場合にも起こることがあるのです。
洪水を防ぐためにコンクリートで護岸工事された川。その1970年代の写真があります。川の水の流れは変化がなくなり、すむ魚の種類は減ってしまいました。そこで、1980年代から行われ始めたのが「多自然型川作り」です。川底の一部を掘り下げ、河原を設けるなど、さまざまな自然の形を作り出す工夫がなされました。
工事から16年後。柳の木が自然に育ち、河原は緑に覆われました。川には水の流れの変化も戻りました。川底に石を入れて「瀬」を作り、流れの変化を起こしたのです。すると、下流では「淵(ふち)」ができ、さまざまな魚のすむ環境が復活しました。投網(とあみ)を打って、どんな魚がいるか調べてみました。4種類にまで減っていた魚が、16年後には16種類。川はよみがえってきたのです。
東京国際空港の拡張工事では、生態系を保つ取り組みがなされました。南側に建設されたD滑走路。ここは多摩川の河口の真正面です。埋め立ててしまえば川の流れを大きく変え、生態系も変わってしまいます。そこで考えられたのが、滑走路を柱の上に乗せ、川の流れをできるだけ止めないようにすること。これは、重い滑走路を柱で支える技術や、柱が海水でさびないようにする技術など、さまざまな科学技術によって可能になりました。このようにして東京湾の生態系を守っていこうとしているのです。
265年続いた江戸時代。江戸の町は、“究極のリサイクル社会”といわれています。江戸には、壊れたものを買い取り、直して売る商売がたくさんありました。着物のはぎれは売られ、古い着物を直すのに使われました。鉄くずとあめを物々交換してくれる「あめ屋」。鉄くずは鋳物(いもの)師によって鍋や釜に鋳直されました。紙くずも、もう一度溶かしてすき直し、「浅草紙」の名前で売られていました。かまどから出る灰は「灰買い」が買い、肥料や陶器のうわ薬などに使われました。人糞(じんぷん)も、「人糞買い」が買い、農家で肥料として使われました。
江戸時代の「物を大切に使いきる」生活は、ゴミを自然界に出さない“循環型社会”だったのです。そのため江戸では、ゴミによる埋め立ては1740年以降、およそ150年間、ほとんど進まなかったといわれています。現代の私たちには、使い捨ての大量消費社会を見つめ直し、“持続可能な社会”にする工夫が求められているのです。