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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01ドキリ★関ヶ原の戦いを制し江戸幕府を開いた
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ときは、西暦(せいれき)1600年。今の岐阜県関ヶ原(せきがはら)。天下をめぐって、徳川家康と石田三成が激突(げきとつ)。家康の東軍7万に対し、三成の西軍は8万。家康側がおされ気味になったとき、事態は動きます。小早川秀秋率いる1万5000の軍が、とつぜん、三成を裏切り、家康の味方になったのです。形勢は一気に逆転。家康の大勝利に終わります。家康は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の座をつかみ取ります。そして、自分の本拠(ほんきょ)地である江戸、今の東京に幕府を開くのです。

scene 02子どものころから重ねた苦労
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大勝利の秘密は、家康の手紙。「自分に味方してくれたら領地を保証する」と、大名たちに根回しをして、有利な状況(じょうきょう)になるのを待ったのです。家康は子どものころから苦労を重ねていました。今の愛知県、三河の国の小さな大名の家に生まれた家康は、人質として有力な大名のもとを転々としました。いつ殺されてもおかしくない身の上として13年を過ごします。そして今川義元の人質となっていたとき、桶狭間(おけはざま)の戦いで義元が織田信長に討ち取られ、家康は自由の身に。戦国大名として頭角を現していきます。

scene 03“待つ”家康
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戦国時代、天下にいちばん先に近づいたのは、織田信長。そのあとに豊臣秀吉が続きました。しかし天下統一を急いだ信長は、家臣に裏切られ、殺されました。秀吉は、天下を治めたあと、中国の征服(せいふく)を考え、朝鮮に兵を送り失敗。病で亡くなります。2人の人生を目の当たりにした家康。ならば自分は、慎重(しんちょう)にチャンスを待とう。そう考えるようになっていきました。

scene 04心配のたねは豊臣秀頼
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慎重(しんちょう)に行動した結果、天下を手にした家康。しかし、大きな心配のたねがありました。それは、秀吉の息子、豊臣秀頼(ひでより)。西日本の大名たちへの影響(えいきょう)力を持ち、無視できない存在でした。豊臣家を完全にほろぼし、徳川の世にしたい家康。秀頼をせめるきっかけが必要でした。再び待つこと14年。ようやくそのときが訪れます。

scene 0574歳でついに天下を
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家康が目をつけたのは、秀頼が新しくつくった鐘(かね)に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」の文字。「家康の名前を切りはなし、豊臣が楽しむ、とある。家康をのろっている」と言いがかりをつけたのです。そして豊臣家を二度にわたってせめほろぼすと、ついに家康に刃(は)向かう勢力はなくなりました。このとき家康、74歳(さい)。あせらず待つことで敵をほろぼし、このあと260年続く江戸時代の土台を築いたのです。

scene 06土地を開発し元気な町をつくる
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家康の江戸の町づくりを見てみましょう。実は家康は、もともと望んで江戸に来たわけではありません。秀吉の天下の時代に、領地としてあたえられたのです。しかし、そこは広いだけのじめじめした土地でした。がっかりする家臣たちを前に、家康はこれをチャンスととらえます。大々的に開発し、元気な町をつくろうと考えたのです。

scene 07ドキリ★江戸を開発し大都市へと変身させた
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江戸時代の初め、今の東京の一部は海でした。そこで家康は海をうめたて、土地を増やしました。新しい土地に家臣や民を呼び寄せ、町づくりを始めると、一気に江戸は活気づきました。家康が特に力を入れたのが、運河を開くことです。全国からの船が行き交い、物の流通が盛んになると、江戸はさらに発展しました。じめじめした土地から日本有数の大都市へ。人口はどんどん増え、やがて、100万人が暮らす世界的な大都市に成長。今の東京につながっていきました。

scene 08年号ごろあわせ
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1603年は、家康が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になり、江戸幕府を開いた年。こう覚えましょう。「ヒーローおさ(1603)める、江戸幕府」。

歴史にドキリ
徳川家康~戦国から江戸へ~
天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利を収めると、260年続く安定した江戸時代の基礎を作った。待つ男・家康の戦略を見る。

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